テレビで放映される平和祈念式典を見ていると、被爆者の声や、被爆2世、3世の話についつい目頭が熱くなる。今年は、両市長が読み上げる世界に向けた「平和宣言」には特に熱い思いを感じた。阿部総理や、衆議院議長などが揃う前で、政府に対する厳しい批判、要求が世界に向け発信された。
まず1点目(広島&長崎)は、インドへの日本の原子力関連技術の輸出を可能にする「原子力協定交渉」を進めることで合意した件。インドは核保有国であるにもかかわらず、核拡散防止条約(NPT)に入っていない。インドは、対パキスタン抗争の中で、平和的な利用を目指した原子力活用をいつのまにか核開発に転用した国だ。今日の長崎市長は「NPTを形骸化し、NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与える」と批判した。
もう1点(長崎)は、政府がこの4月、スイス・ジュネーブでの核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しなかった事を批判し、「世界の期待を裏切った」「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢を示した」と指摘。政府に「被爆国としての原点に返ること」を求めた。
長崎では、反核運動を引っ張った(国連でも講演)長崎の被爆者、山口仙二さんが7月に亡くなったことを挙げ、減り続ける被爆者の平均年齢が78歳を超えたと指摘。「ノーモア・ヒバクシャ」という山口さんの演説を引き、若い世代に「被爆者の声に耳を傾けて」と呼びかけた。
「致知2010.8」に13歳で被爆された笹森恵子さんが、爆撃国アメリカに渡り、看護師として働きながら、「被爆経験の語りべ」として米国でも有名になるほどの活躍をされている様子が掲載されていた。笹森氏は2009年、その活躍が認められミネソタのウィノア州立の卒業式で、ヒューマニティ分野の名誉博士号を受けられた。昭和24年にアメリカ人のノーマン・カズンズ氏が被爆者の治療を助けるための「精神養子運動」を提案され、その「原爆乙女」に選出されたのが、アメリカ行きのきっかけになったという。笠森氏は、「私が原爆に遭わず、大やけどをしていなかったら、いくら平和を訴えても人の心には響かないでしょう。核を日本に落としたアメリカ、そして世界中の核保有国に大きな影響力を持つアメリカで核廃絶を訴えていくのが自分の仕事」と言う。「真の平和―それは額にはめたお題目ではなく、誰もが幸せに生きていく社会を実現するという現実なのです。ひとりで平和は実現できませんが、誰かが動かなければ多くの人を動かすことは出来ない」とも。そして、「素晴らしい人生を送り、素晴らしい社会を作っていくのに必要なものは、勇気と行動と愛情だ」とも言う。
- 勇気と行動だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。
- 行動と愛情だけでは、物事を変革するに怖じ気づいてしまうことがある。
- 勇気と愛情だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまうことがある。
- この三つが揃って、初めて物事を成していくことが出来る
長崎の被爆経験者の平均年齢が78歳を超えていると言う。長崎市長の言うように「世界で唯一の被爆国としての原点に返り」揺らぐことなく核廃絶を世界に発信していく国挙げての取り組みがなければ、福島同様、いつか忘れ去られることになるだろう。子供たちにも、今のうちに被爆者の声が届く政策・教育が求められる。
同感です。被爆国であり未曽有の原発事故を経験した日本だからこそ世界に先駆けてやるべき役割があると思います。市長のスピーチには心打たれました。子供たちにはしっかりと伝えていかなければなりませんね。