政治が暗澹たる状態にある。「失われた20年」とよく言われるように、自民党がダメになり政権交代に期待したが、民主党も経験のなさが輪をかけたのか、全くの期待倒れの状態だ。しかし、政治に希望を失ってしまえば、その国は終わる。
こんな中で、この3月末に「国会議員の仕事」という自民党林芳正氏(50歳)と民主党津村啓介氏(39歳)共同著作の本が出た。政局に終始する政治の世界ばかりが報道されるが、まじめに日本のこと、国民の事を考え行動している人もいることをもっとメディアはとりあげるべきではなかろうか。その本の中に、徳富蘇峰が「大きな改革を成し遂げるためには、三種類の人間が必要」と言った言葉があるそうだ。「思想家と、破壊者と、創造者だ」と。明治維新で言えば思想家は坂本龍馬、吉田松陰、破壊者は木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛の維新三傑、創造者は伊藤博文、山縣有朋。今の政権は小沢、鳩山、菅と破壊者ばかりというのもうなづける。若手が創造者にならなければ、国の未来はない。若手の真の政治家を応援したい。
菅政権はほとんどの人が末期症状と思っていると思うが、震災・原発対策に一刻の猶予も与えられないがために仕方なく政権を維持している状態とも言える。
田原総一郎氏も言っているが、「最初は鳩山さんよりいいだろうと思ったが、こんなにひどいとは思わなかった」という心情は、多くの国民が持っているのではないかと思う。私が思うに、30年と言う長い間国会議員をやっていて、これほどまでに菅さんを支えてくれる人がいない総理と言うのも珍しいのではないだろうか。「イラ菅」というように自説を主張しながら怒鳴り散らす、相手の意見を聞かない、反省しない(実際は見てはいないが)などまさに、人間力に欠けているのが表面化したのではないだろうか?
しかし、後任候補がイメージできないのは、まさに「政治の貧困」と言えます。ソフトブレーンの宋さんがメールマガジンで言っていますが、菅総理の「浜岡原発の停止」判断に、数多くの政治家や有識者が「人気取りが目的だ」「アメリカの圧力があったから」との批判をしているが、浜岡の停止の是非以前に、この様な批判の質が低すぎると嘆いておられます。このように批判する人は、次にどのような議論に発展させようとしているのか?だから何?と聞きたいということです。そもそも議論とはその利益、立場、価値観の相違と、知識量や情報量の相違を乗り越えるための大切な手段なのに、その相違自体を批判することは最初から議論を拒否するようなもの戸言う宋さんの言葉には説得力があります。真の議論につながる批判はOKだが、批判のための批判は何の益にもならず却って議論が先に進まず害になるもの。
原発政策を推し進めてきた過去の政権(自民党)も、この問題には何も釈明もせず、党内で原発推進会議を結成したことに対しても公党としての正式なコメントがない。党として意見が割れる場合は、重要な問題であればあるほど、国民に対して何も表明しないのは昔から変わらない。ドラッカーの言う「あなたの顧客とは?」を政治家に投げかければどう答えるのだろうか?「自分」あるいは「自分の党」と答えるのだろうか?
しかし、希望を感じさせる本が出た。自民党参議院議員林芳正氏(50歳)と民主党衆議院議員津村啓介氏(39歳)の共著「国会議員の仕事―職業としての政治」を読んだ。国会議員の評判が悪いため、大学の生協において、学生に興味を湧かせる本にしたいとの思いから書かれた本であるが、いろんな旧態依然とした壁も数多くなる中で、少なくとも党派を超えて日本のために必死に働いてくれている実態が分かる(どこまで真実かは別にしても)。こういう若い人たちを活かす〔老獪な議員がこういう人を殺してしまう〕、党派を超えて真に日本の事を考え、真の議論をしている若い人たちをもっとメディアは取り上げるべきではないだろうか。
国難を抱えた今こそ、国民の審判に供する情報提供の仕方を考え、政治に希望を取り戻すことが必須ではないだろうか?下品な、人間性が感じられないけなし合いはもう見たくない!
幕末の人物伝が好きなうめたろうです。たしかに今の政治の世界には、破壊者と既に自ら全く改革改善の行動をしない、人を中傷ばかりする政治家が多いですね。血税泥棒のなにものでないですね。先日、3才年下の従兄が、減税日本から出馬して名古屋市議員に初当選しました。周りに強烈な支援者もいないのに、身内初の政治家になって、地方から庶民派の政治を目指して奮闘してます。私も市議会議員とはいえ、疲弊した政治の世界を変えて欲しいと願ってる次第です。