トヨタの失敗学

「トヨタの失敗学~”ミス“を”成果“に変える仕事術」(㈱OJTソリューションズ著、KADOKAWA、2016.8刊)という本が出た。「失敗を貴重な経験として生かせる会社がイノベーションを起こし、成長する会社」というのが常識となっている。ハーバード大学などでも経営大学院を受験する際の論文テーマに「将来の目標」「仕事で達成したこと」などと並んでよく出題されるのが「失敗体験」というのを、当ブログでも「世界のエリートの”失敗力“とは?http://okinaka.jasipa.jp/archives/555」で紹介した。失敗を活かす風土つくりを寓話風に綴った「ニワトリを殺すな(ケビン・D・ワン著、幻冬舎)」もブログで紹介した(http://okinaka.jasipa.jp/archives/155)。ニワトリは群れの中の一羽が血を流していると寄ってたかってその傷をつついて殺してしまうとの事。我々もニワトリと同じことをやってはいないか。失敗した人を責めるだけでは業績は上がらず、失敗した人の経験を活かし、みんなで知恵を絞って失敗の原因を追究することの大切さを書いた。
“㈱OJTソリューションズ”とはトヨタ自動車とリクルートグループによって設立されたコンサルティング会社だ。そのトヨタに“失敗”という言葉はなく、不良やミスは改善のチャンスととらえる文化が醸成されているという。真因を突きとめるために「なぜ?」を5回繰り返すトヨタの文化は有名だ。トヨタでは、失敗の責任を個人に押し付けることはしない。失敗を契機に、失敗しない仕組みをいかに作るかに皆で腐心する。
このような文化を定着させ、効果を発揮するためには、長年の継続的な取り組みの蓄積がものを言い、簡単なことではない。どんな小さな失敗でも隠さず表に出す「バッド・ニュース・ファースト」の実践、標準・基準化の推進、座学だけではなく「座学+実践」で「分かったつもり」による失敗の回避、他人の失敗を自分の失敗と考える風土作り、自分で考えさせるため上司は「答え」を教えない指導の徹底、ヒヤリハットも含めた失敗の記録を慣習化し、定期的な振り返りを実施する、などに加えて、部下への仕事の指示の際に「仕事の意義」を伝え意識を高める活動の徹底などを長年にわたって実施し、定着させている。
トヨタの「失敗は、より良い仕事を実現し、強い組織をつくるための貴重な学びの機会になる。失敗こそが成功につながる“宝の山”」と考えた風土作りを是非とも参考にしていただきたいと思う。失敗を恐れる風土・文化には、“チャレンジ”という言葉はない。

事業環境最悪の島根県で成長続ける建設会社(島根電工)

日経朝刊の広告を見て、タイトルに惹かれて早速買って読んだ。本のタイトルは「“不思議な会社”に不思議なんてない」(荒木恭司島根電工社長、あさ出版、2016.7刊)。
島根県は県民所得が46位、隣の鳥取県は最下位の47位、両県合わせた人口は減り続けて130万人、しかも島根電工は建設業という典型的な不況業種。そんな最悪な状況の中で売り上げを伸ばし、平成26年はバブル期(平成2年)の1.8倍の155億円の売り上げを達成。該社は、「日本でいちばん大切にしたい会社3」(坂本光司著、あさ出版)に、「社員、地域、お客様にやさしい会社は不況下でも高成長」と紹介されている。世間で「不思議な会社」と言われるそうだが、こんな会社がなぜこんなにも成長し続けることができるのか?
荒木氏が30代後半若くして出雲営業所長を命ぜられた頃のこと。本社が出雲市にないということで、地元の公共事業がもらえず、日々格闘していた。その頃に出合った一冊の本があった。スカンジナビア航空の社長ヤン・カールセンが書いた「真実の瞬間」だ。39歳で社長になった彼は倒産寸前の会社をたった1年で回復させてしまう。彼がとった戦略は、顧客に対する「感動的なサービス」の提供だった。スカンジナビア航空は運輸業からサービス業に大きく転換したことで他社との差別化に成功し、業績をV字回復させた。それをヒントに、「島根電工を建設業からサービス業へ」の発想の転換が、生き残る道だと思うようになったそうだ。このまま公共工事や、ゼネコンの大型工事に依存していては将来はないとの危機感も相まって、一般家庭を対象にした「住まいのお助け隊」の事業を周囲の抵抗もあったが始めた。当ブログでも紹介した町田市の「でんかのヤマグチ」(http://okinaka.jasipa.jp/archives/180)と同じ発想だ。2001年に事業を立ち上げ、2006年から、島根県民には有名なテレビコマーシャル(作業着の若者たちが“助けたい”と歌いながら、一列になって行進していく)の効果もあって、今では全体の売り上げの約半分が、この事業の売り上げとなっている。
一般家庭を対象に、コンセント1個をつけるような小口の事業を推進するには、お客様からの信頼が欠かせない。お客様さえ気付かないニーズの掘り起こし、お客様の期待を超える感動を与えることなどで、リピート率を上げることが必須になる。そのためには社員のマナー教育や、文化の醸成に力を注いだ。新人の時には20日間の合宿研修、2年次、3年次には4か月に1回2泊3日の合宿研修では、「人生観」、「職業感」、「感動を与えること」などに重点を置いている。講師もすべて社内の人間。4年次以降も研修は続き、「部下を研修に行かせないと恥ずかしい・・・」、そのような文化を作っている。先輩が若手を見守り指導する「ビッグ・ブラザー制度」もある。家族ぐるみでの会社のファン作りにも注力されている。入社3年目までの社員の家族を集めて会社の実情や方針を説明する会を催したり、新人の家族に会社で頑張っている姿をアルバムにして送ったり、大々的に家族を含めた大運動会を開催したり、様々な形で施策を打っている。結果として、離職率がほぼゼロ、出産育児後100%復帰などを達成している。
何よりも社員を信用して、育てている。リストラもしない。見学者も多いそうだが、島根電工の取り組みで多くの中小企業を元気にしたいとの思いで、フランチャイズ制を敷いている。これは島根電工がより儲けたいための仕組みではなく、フランチャイズの企業の社員を研修のために受け入れたりしながら、島根電工の文化や風土を全国に届けるためのものだ。松下幸之助の言う「全員経営」にも通じる経営だが、お客様の信頼を勝ち取るのは社員であり、その社員を大事にする経営が、企業成長の要であるとの荒木社長の哲学に強い共感を覚える。

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“禅”が現代人を救う!(マインドフルネスのルーツ)

近年、日本では、政治家や企業人が座禅を組み、書店では“禅”関連の本が並ぶ。欧米では、日本の“禅”をルーツとする“マインドフルネス”の概念が普及し、座禅などの企業研修がGoogleやゴールドマン・サックスなどの有名企業で採用が広がっている。マインドフルネス関連の本も日本の書店で数多く並んでいる。
東京の下町、台東区谷中にある臨済宗「全生庵」(山岡鉄舟が開いた禅寺)には、中曽根首相も首相時代毎週末、現在は安倍首相も時折座禅を組みに訪れるので有名だ。中曽根さんは自著で「健康で5年間の首相時代を全うできたのも、座禅のお陰です。1週間の肉体的苦悩と疲労が洗い落とされるのです」と書いているとか。
マインドフルネスに欧米で注目がされ始めたのは、リーマンショックが契機と言われる。実利の追求を善とする「実 践主義(プラグマティズム)」が壁にぶち当たり、“自己実現”を重視した自己中心的な考え方がリーマンショックを生んだとの理解が生まれ、仏教的な思想に目が向けられるようになった。
座禅の基本は、「調身(姿勢を調える)」→「調息(息を調える)」→「調 心(心を落ち着かせる)」の順に行うこと。姿勢を整え、深く呼吸に意識を集中する。そして呼吸の数を数えることで雑念を意識の外に流し、心を穏やかに整えていく。
日本でも企業や大学で“禅”の研修を取り入れるところが出始めたそうだ。インターネットの毎日新聞デジタルニュースによると、昨年度から経営コンサルタント会社「シマーズ」(代表取締役社長島津清彦氏)で禅の思想を取り入れた企業研修の提供を始め、1年で大企業や官庁など16社の研修を請け負ったという。東日本大震災で自宅が液状化で大きな被害を受けたのを契機に「人生後悔したくない。人間本位の社会、会社を作る手助けをしたい」と一念発起。スティーブ・ジョブスや稲盛和夫氏など著名な経営者を調べると多くが“禅”に行き着くため、これは何かあるなと直感し、曹洞宗で得度を経て、自らその効果を実感し起業した。日本大学では、危機管理学部(今年4月新設)で、座禅の講座を設け、上記「全生庵」の住職平井正修氏が客員教授となって学生の指導を行っているそうだ。構内に専用の座禅室を設け、1年生は月1回90分の座禅講座を受講する。
米国スタンフォード大学でマインドフルネス教室を運営するのが、日本生まれのスティーヴン・マーフィ重松氏で、「スタンフォード大学マインドフルネス教室(坂井純子訳、講談社、2016.7刊)という本を出版されている。重松氏の講座の目的は、「あなたは誰か」の問いかけから「本当の自分」を見つけ、「人生の目的」を見つけること。
変化が激しく、情報過多の時代、その中での競争の激化で、ストレス満載の時代。一度ゆったりと座禅の世界を経験し、自らを見つめなおすことによって、主観(感情)を排して 物事をあるがままに見れるようになれるなら、一度経験してみたいなとも思っている。日々忙しさに取り紛れ、ストレスを貯めている人も一度座禅を考えてみてはどうだろうか。
今年3度目4輪目の月下美人の花が咲いた(22日)。一晩のはかない花だが、見事な風貌と香りに心が癒される。

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冲中一郎