地球を救う国連の“SDGs”活動知っていますか?

1月31日の朝日新聞で初めて知ったが、地球環境や経済活動、人々の暮らしなどを持続可能とするために、すべての国連加盟国が2030年までに取り組む行動計画SDGs(Sustainable Development Goals)が2015年の国連総会で全会一致で採択されている。日本政府も安倍総理を本部長とする「SDGs推進本部」を発足(昨年5月)させ、昨年末に実施計画を発表している(首相官邸HP掲載)。朝日新聞ではキャスターの国谷裕子氏をナビゲーターとして、「2030 SDGsで変える」をテーマにこの動きを作り出している世界の人たちを紹介しながら、SDGsを広めていきたいとしている。トランプ米国大統領の「7か国入国禁止」大統領令が全世界に大きな波紋を起こしているが、今まさに欧米における保護主義、孤立主義という逆風の中で、国際協調の機運を守り、発展させていくかが問われている。国谷氏のレポートに期待するとともに、政治の重要性は言うまでもないが、個人の行動(買い物の仕方、廃棄食料など)にも訴えるためにメディアにも頑張って欲しい。
SDGsは17の目標を掲げている。
1. 貧困をなくそう:1日1.25ドル未満で生活する極度の貧困をなくす。
2. 飢餓をゼロに:すべての人が1年中安全で栄養のある食料を得られるようにする。
3. すべての人に健康と福祉を:世界の妊産婦の死亡率を10万人あたり70人未満に減らす。
4. 質の高い教育をみんなに:すべての子供が中等教育を終了できるようにする。
5. ジェンダー平等を実現しよう:政治、経済などのあらゆるレベルで女性のリーダーシップの機会を確保する。
6. 安全な水とトイレを世界中に:すべての人が安全で安価な飲料水を得られるようにする。
7. エネルギーをみんなに、そしてクリーンに:再生可能エネルギーの割合を大幅に拡大させる。
8. 働き甲斐も、経済成長も:すべての男女に人間らしい仕事と同一労働同一賃金を達成する。
9. 産業と技術革新の基盤をつくろう:後発の開発途上国で安価にインターネットを使えるようにする。
10. 人や国の不平等をなくそう:各国の下位40%の人々の所得増加率が国内平均を上回るようにする。
11. 住み続けられるまちづくりを:災害による被災者を大幅に削減し、経済損失を減らす。
12. つくる責任、つかう責任:世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させ食品ロスを減らす。
13. 気候変動に具体的な対策を:国の政策や計画に気候変動対策を盛り込む。
14. 海の豊かさを守ろう:漁獲を効果的に規制し、破壊的な漁業慣行をなくす。
15. 陸の豊かさも守ろう:世界全体で新たな森林や再植林を大幅に増やす。
16. 平和と攻勢をすべての人に:暴力の防止とテロの撲滅のため、国際協力を通じて国の機関を強化する。
17. パートナーシップで目標を達成しよう:世界の輸出に占める後発の開発途上国のシェアを倍増させる。
国谷氏の「SDGsへの思い」の記事の冒頭にSDGsのとりまとめに奔走したナイジェリア出身のアミーナ・モハメッドさんの言葉が紹介されている。
「地球は人間なしで存続できる。私たちは地球がなければ存続できない。先に消えるのは私たちなのです。」
温暖化や貧困問題など1国では解決できない地球規模の問題解決のために、今こそ世界が協調しなければならないときに、欧米の保護主義の台頭が逆風になることが懸念される。我々個人も一人一人が、この問題を真剣に捉え、行動すべき時ともいえる。

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人を大切にする経営(日本レーザー)

以前、「致知」の記事の紹介で「人を大切にする経営で見事再建!(日本レーザー)」とのタイトルで日本レーザーを紹介した(http://okinaka.jasipa.jp/archives/3075)。PHP出版の雑誌「衆知(旧松下幸之助塾)」2017.1-2月号にも、松下幸之助塾での講義録として、「責任はすべて社長にあり~信念と覚悟で実践する“社員を大切にする会社”~」のタイトルで日本レーザーが紹介されている。「致知」と「衆知」双方で掲載される会社が多いのは人間学と経営学に共通するものがあるということだろう
1994年に日本電子から子会社の「日本レーザー」に社長として出向し、就任2年目で債務超過の会社を黒字化。その後23年間、一切のリストラなしに黒字を達成し、維持し続けている。平成23年に「日本で一番大切にしたい会社大賞」の企業庁長官賞など、名誉ある表彰を軒並み受けている。その人とは、近藤宜之氏だ。前回のブログと重複するところもあるが、特に親会社からの独立も含めて、経営者と社員が当事者意識をもって一丸となるための各種施策を紹介する。
“子会社の社長は親会社から”という“子会社の社員のモチベーションの壁”を打ち破ると同時に、経営の独立独歩、独立自尊を達成するために一般的なIPOや自社株を他社に買い取ってもらうM&A,経営陣による買収MBOではなく、日本で初めてのMEBO(Management and Employee Buyout 経営陣と従業員による買収)の手法をとって親会社から独立した。しかも、ファンドは入れずに自己資本と銀行からの借り入れだけで日本レーザーを買収した。すでにある銀行からの借入金の補償問題などもあったが(前稿参照)、社員(正社員のみではなく嘱託社員も)から希望枠の4倍もの申し込みがあり、急遽資本金を増やして再登記したそうだ。
なぜ社員がこんなにも会社を信用して投資をしたか?近藤社長は、日ごろからの施策で社員のモチベーションが高まっていたからだという。社員の間で「会社から大切にされている」実感があったから。その施策とは?
まずは、社員のライフスタイルに応じた多様な雇用制度。1日4時間勤務のパート、6~7時間勤務の嘱託契約社員、8時間勤務の正社員。状況に応じて派遣社員から正社員にと移行可能となっている。また、病気の人には地位と待遇を維持し、闘病期間中もそれまでと同じ給料を払い続ける。60歳以上でも成長意欲のある人は嘱託社員としていつまでも働ける。女性が生き生きと働ける職場つくり、女性の育成にも注力している。該社では。妊娠・主産を理由に退職した人は1件もないという。女性の管理職比率は3割と高い。
これらの雇用制度を効果的に運用するためにも、社員一人一人の思いを知らなければならない。それには社長が社員と向き合うこと。社長室を作らず、社長がフロアを歩き回り、社員とさりげなく話を交わす。「今週の気付き」という施策がある。仕事で気付いたことや家庭での出来事など何でもいいので感じたことを毎週メールで送る。ルールは、“人の批判をしない”、“気付きで問題点が含まれている場合は解決策も併記する“こと。10年続けているが社員からのメールと社長、役員が返信したメール合わせて約6万通となり、社長のパソコンの社員別フォルダーに保存されているそうだ。
教育や人事評価制度にも力を入れている。社長自らが社員を教育することが重要と考え、毎週「社長塾」を開いて創業の志を伝えたり、毎月の全社会議で講義をしたりしておられる。人事評価制度は”透明性“と”納得性“を重視し、例えば評価制度では、上司と本人が決められた項目に関して評価をし、その差を納得できるまで時間をかけて説明する(年2~3回実施)。賃金制度では、粗利の3%を成果賞与として、案件別にチームで話し合い配分を決める。その際、案件の主体となる社員が上司の貢献度合いを決める権利を持ち、結果は公表する。この運用をスムースに行うために社員の一体感を醸成するための施策も重要で、社内ラウンジ(冷蔵庫に缶ビール)があり、就業後社員が集う場として活用している。社員の誕生日には社長直筆のカードとギフトを送る。
“言いたいことが言える社風”もモチベーションのために重要と言う。言いたいことが言えるかどうかは社長次第。社長が変わらねばと、ムッとすることもあるが、3秒おいて落ち着くように努力しているそうだ。“日々の経営は、社長にとってまさに修業の場”とも。
まさに信念と覚悟で築きあげた風土、そして23年間黒字を維持するという結果が、その成果を示している。社員を大切にしないと公言する社長はいないと思うが、建前として大切にすると言いつつ、苦境に陥ると社員よりも業績重視となって、社員を切り捨てる経営者もいる。「社員が気持ちよく働ける会社」、「精神爽奮(爽やかに奮い立つ)」(http://okinaka.jasipa.jp/archives/20)を具現化することで、社員の能力UPを図ることが経営の基本とも言えるのではないだろうか。今話題の「働き方改革」にも役立つ話と考える。

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スペイン旅行~その6~マドリッド

スペイン旅行の観光最終日は、スペインの首都マドリッドだ。16世紀にマドリッドが首都になるまで都として栄えたトレドにも行きたかったが教会や大聖堂がクリスマスで休館との事で残念ながら行けなかった(それでも行った人もおり、街の美しさは感動的とのことだった。残念!)。ハプスブルグ家が実権を握った16世紀からスペイン王国として栄え、新大陸から流入する富によって栄え、セルバンテスやベラスケスなどの文化人がマドリードで活躍した。しかし、19世紀フランス支配からのスペイン独立戦争、20世紀のスペイン内戦、民主化運動などでマドリードは翻弄されたが、ファン・カルロス1世のもと民主化は進んだ(現在は2004年就任のフェリペ6世)。
まずマドリード見学。すでに無電柱となり、洗濯物を干すことも規制されており、景観を国家政策として大切にしている。まずはドン・キホーテ像のあるスペイン広場へ。次に10世紀にイスラム教徒により建立された王宮へ。16世紀にはハプスブルグ家の居城となる。その後火災で焼失し(1734年)、フランスブルボン家のフェリペ2世の時に再建された(1755年)。後方にマドリード唯一の大聖堂“アルムデナ大聖堂”(1995年)尖塔が見える。王宮には現在王家は住んでおらず、公式行事にのみ利用されている。

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次は“マヨール広場”と“太陽の門広場(プエルタ・デル・ソル)”だ。“マヨール広場”は、赤い壁の建物に囲まれ、マドリッドで最も古く17世紀初めに作られた広場だ。この広場を作ったフェリペ3世の騎馬像が立つ。近くに交通の要衝ともいえる“太陽の門広場”がある。この公園に面して、マドリード自治州政府があり、その建物の時計が有名だ。毎年12月31日、新年を告げる鐘の音が鳴り響き、建物の下に集まった大勢の人々が12粒のブドウを食べるのが、伝統的な行事という。旧郵便局の前には、0 km地点を示すプレートがあり、マドリッドから放射線状に延びる国道の基点を表示している(日本の日本橋のようなもの)。この公園には、熊とぶどうの像もある。熊とぶどうはマドリード市の紋章でもあり、マドリード市民に大変人気があり、待ち合わせによく使われる場所となっている。

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いよいよ本命のプラド美術館に向かう。カルロス3世の命で1785年に自然科学展示場として設計された、歴史あるプラド美術館。プラド美術館入り口の階段をあがったところに、マドリッドで唯一のゴシック形式の教会がある。“サン・ジェロニモ・エル・リアル教会”だ。プラド美術館の外にはゴヤの像が立っている。入り口は長い行列だ。内部は写真撮影禁止のため、説明だけになることをお許しください。

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プラド美術館に飾られている3巨匠は、16世紀のエル・グレコ、17世紀のディエゴ・ベラスケス、18世紀のゴヤだ。
スペインバロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケスの最大にして不朽の名作『ラス・メニーナス(女官たち)』。門外不出でプラド美術館でしか見られない。当時のスペイン国王フェリペ4世の娘である皇女マルガリータを中心に、数人の女官たちを描いた集団肖像画で、スペイン独自の厳しい明暗対比(陰影法)による写実性豊かな描写手法を用いながら、当時の王室の生活の情景を、見事に計算された構図として評価されている。太陽光線を使った遠近法に秀でた“バッカスの勝利”、ベラスケスを代表する歴史画“ブレダの開城”もある。
ギリシャのクレタ島出身のエル・グレコ。1560年ごろイタリアに渡り絵画を勉強した後、1567年ごろ当時スペイン内で宗教の中心地だったトレドへ。彼の作品の大半は宗教画で残りは肖像画だと言われています。イエス・キリストが天に昇っていく様子を描いた幻想的な宗教画の「三位一体」や、雲に乗って現れた天使ガブリエルと驚く聖母マリアを描いた「受胎告知」が代表的な作品だ。
ゴヤも長い下積み生活を経て、カルロス4世に仕えた宮廷画家。しかし後に聴力を失い、次第に社会批判の風刺へ傾倒していった。プラド美術館では、そんなゴヤの人生を作品を通して眺めることができる。有名な「裸のマヤ」「着衣のマヤ」。50歳過ぎての作品で、モデルはゴヤと深い関係にあったアルバ侯爵夫人との説がある。当時は女性の裸体表現は厳しい規制下にあったため、すぐさま「着衣のマハ」を制作したとも言われる。宮廷画家の任命を受けたカルロス4世の家族を描いた「カルロス4世一家の肖像画」、実質権限を握っていた女王を主体に描くなど、家族の力関係を忠実に描いた手法が面白い。聴覚の喪失、知識人との交流を経て、強い批判精神と観察力を会得、「マドリード1808年5月3日プリンシペ・ピオの丘での銃殺」は、フランスによるスペイン征服に対する反乱への報復として、銃殺される風景を描いた衝撃的な作品だ。今まさに銃殺されようとしているマドリッド市民にスポットライトが当たっており、その表情が切なく心に響く。その後、「我が子を喰らうサトゥルヌス」「砂に埋もれる犬」などのそれまでの絵からは想像できない “黒い絵”シリーズで現状批判をし、82歳で幕を閉じた。
他にもボッテイチェリ、ラファエロ、ヂューラー、ブルューゲルなどの作品や、「モナリザ」のもっとも古いと言われる模倣品もある。

マドリードの遅い昼食は、スペイン広場の近くのサン・ミゲル市場で。市場の中の各店でパエリアなど適当に買い揃え、売り子からワインなど飲み物を買いながら食べる(市場の真ん中に席が用意されている)というめったにない経験をした。地下鉄でホテルへ。夕方、クリスマスイブいうことでホテルよりスパークリングワイン(CAVA)とお菓子の差し入れがあった。

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翌日無事マドリードを経ち、フラントフルト経由で羽田に着いた。バルセロナ以外は天候にも恵まれ、いい旅だった。食事もパエリア(スペインではパエージョ)やタパス料理が主体だったが前評判よりも良く、満足できた。

冲中一郎