北欧2都&ロシア旅行~エストニア タリン編~

初日は、朝早く7時30分のフェリーでヘルシンキからエストニアの首都タリンに向かう。2時間強の行程だが、定員2040名9階建ての大型フェリーで心地よい船旅だった(線所から眺めた朝日、エストニアの国旗がはためく船尾)。

エストニアの地は、ドイツ、デンマークとロシア、スカンディナヴィアを結ぶ軍事戦略地点として大いに着目されたため、たびたび各国の侵略、占領を受けた歴史を持つ。1918年にやっと独立を達成したが、その後もナチス・ドイツやロシアの侵攻を受け1991年に再度独立を果たした。1219年デンマークの侵攻を受けた際、デンマーク王によりトーンペア城が築かれた。南西の塔は「のっぽのヘルマン塔」と呼ばれ、高さは46メートルもあります。“タリン”はエストニア語で「デンマークの城」との意で、トーンペア城がその名の由来となっている。世界遺産となっている旧市街は、13世紀から14世紀にかけて作られた強固な城壁に囲まれている。トーンペア城の本丸(ピンクの建物)は今は国家議事堂となっている。

国会議事堂の前には、ロシア正教の宗教建築アレクサンドル・ネフスキー大聖堂がある。1905年にロシア・ロマノフ王朝17代アレクサンドルⅢ世の命によってエストニアの民族運動を抑えるために建てられた。歴史的にエストニアの人々にはあまり歓迎されていないようで、一時は取壊しの計画すらあったそうだ、それでもエストニアに住むロシア正教の信者(国民の25%)にとっては今も大切な教会となっている。バルチック艦隊の出航地で、エストニア人の戦死者を追悼するプレートも飾られている。すぐ近くにタリン最古の教会「聖マリア教会」がある。こちらはルター派の教会の中心的存在となっている。キリスト系の聖ニコラス教会もある。いろんな教会が共存するのが、侵攻・侵略の歴史を物語る。

城壁に囲まれた旧市街に足を踏み入れれば、まるで絵本の世界に迷い込んだかのよう。中世の建物がそのまま残る歴史地区はトーンペア地区も含めてユネスコ世界遺産としても登録されている。昔ギルトが住んで今はアーティストのアトリエなどが集まる聖カタリーナ通りや、「セーターの壁」と呼ばれるおばあちゃん達が手編みをしながらセーターや帽子を売っているミューリバヘ通りなどもある(城壁の壁に赤い屋根が突き出ている)。

途中にある2か所の展望台から背の高い聖オラフ教会、そして赤屋根の可愛らしい街並み、そしてバルト海が一望できる。

タリン歴史地区の中心となるのが、タリン旧市庁舎の建つラエコヤ広場 だ。広場に通じる通りには店頭に面白い飾り物があった。その一角に1422年来のヨーロッパ最古の薬局がある。中に入ると普通の薬を販売していますが、奥の部屋に行くと「焼き蜂」や「ユニコーンの角の粉末」など、中世の怪しげな薬が展示されている。タリン独特のお菓子(薬?)「マジパン」を売り出したのもこの薬局。

1864年創業のタリン最古のカフェ「マイアスモック」ではマジパンをベースにした可愛いオブジェが人気で観光客を呼び寄せている(材料の72%はアーモンド、残りの28%は秘密だという薬)。

昼食も含めて6~7時間歩いたが、一見する価値のある街だ。16時30分のフェリーでヘルシンキへ戻り宿泊。

北欧2都&ロシア旅行記~序章~

9月末から10月初めにかけて、フィンランド(ヘルシンキ)、エストニア(タリン)、サンクトペテルブルグ&モスクワ(ロシア)を訪問した。ヘルシンキ、タリン、サンクトペテルルグは、フィンランド湾に面した都市で歴史的につながりが深い。日本航空直行便でヘルシンキまで行き(10時間弱)、翌日、85km先のエストニアの首都タリンまでフェリーでの日帰りを楽しんだ。初めて知ったがタリンは、日露戦争で戦ったバルチック艦隊が日本に向けて出港した港だそうだ。17世紀前半まで世界で最も高い建造物だった聖オラフ教会を中心としたかわいらしい街並みが有名だ。


翌日はヘルシンキを半日観光し、午後、特急列車「アレグロ」で国境超えの列車の旅でサンクトペテルブルグへ。ヘルシンキは19世紀初めにロシアのアレクサンドル1世がスウェーデンの影響を弱くするためにサンクトペテルブルグに近いヘルシンキを首都とした。その後、19世紀半ばにドイツの建築家エンゲルが設計した御影石が敷き詰められた元老院広場を囲む、大聖堂、ヘルシンキ大学、国会議事堂が建設され、今では市民の憩いの場としてヘルシンキのシンボル的場所となっている。


サンクトペテルブルグはロシア帝国時代(1721-1917)の首都で、ソビエト連邦時代(1924 91年)はレニングラードと呼ばれた街だ。まさにロマノフ朝時代(1613年 – 1917年)のピョートル大帝(1682年 – 1725年)によって1703年にヨーロッパ風に築かれた人工都市だ。エルミタージュ美術館をはじめ、周辺には“琥珀の間”で有名なエカテリーナ宮殿、噴水で有名なピョートル大帝夏の宮殿などのある見所一杯のネヴァ川河口の美しい街だ。


最後は、ロシアの首都モスクワだ。サンクトペテルブルグから飛行機で1時間強で着く。交通渋滞が激しく、政府の要人がクレムリンなどに行く際、道路を封鎖することもしばしばで渋滞をより激しくしているそうだ。モスクワの観光スポットはやはり政治の中心クレムリンと赤い広場だ。


今が紅葉のピークで、行く先々で黄葉主体の少し赤みがかった紅葉が見られた。ヘルシンキでホテルの前のビルが真っ赤な蔦で覆われているのが特に印象的だった。


6泊8日の旅だったが、懸念していた食事も期待以上に良く、雨にも降られず気持ちよく廻れた旅だった。エルミタージュ美術館が目的だったが、行く先々見所が多く、飽きずに楽しめた旅でもあった。続いて、今回の旅行を日ごとに追いながら、報告することにしたい。

ウェブサイトに社長の顔写真を載せた企業の株価は上がる!?

最近新聞でも投資家の企業評価が利益や資産だけではなく、他の尺度も重視し始めているとの記事が目につくようになった。当ブログでも、社会的インパクト投資(http://okinaka.jasipa.jp/archives/4496)、CSV経営(http://okinaka.jasipa.jp/archives/4857)、社会派B企業の逆襲(http://okinaka.jasipa.jp/archives/5223)などでその動向を報じてきた。
9月5日日経朝刊19面のコラム「一目均衡」(編集委員松崎雄典)に、 “社長の写真、投資の尺度に”とのタイトルで、最近の投資家の評価尺度が非財務情報に傾斜していることを報じている。上場企業がウェブサイトに社長や役員の顔写真を掲載しているかどうかと株価の関連をある企業(レオス・キャピタルワークス他2社協賛)が調査をした。株式時価評価額100~1000億円の中小型株を対象に2012年末から17年3月末までの株価の動きを調べたそうだ。結果は、社長の顔写真をサイトに掲載していない企業の株価パフォーマンスの悪さが目立ち、そうした企業の単純平均は全体より14%以上も相対的に値下がりし、逆に役員の顔写真を出している企業の株価は値動きが良く、平均70%強上回ったらしい。調査会社は言う。「写真の少ない企業は情報効果に消極的な傾向がある」と。
ニューヨーク大学のバルーク・レブ教授は、「利益や資産など財務情報が株価に与える影響度は1980年代までの8~9割から5割程度に下がったと分析しているという。研究開発費が利益を圧迫しやすいIT企業が伸びるにつれ低下が顕著になった。と同時に。企業の環境や社会への働きかけを見るESG投資や、前述の社会的インパクト投資、CSV経営など、新たな目線で捉えようとする投資家の動きは止まらない。松崎氏は「企業の実力を測る物差しは常に進化している」と締めくくる。
地球が存続するための国連のSDGs活動(http://okinaka.jasipa.jp/archives/6070)もやっと日本でも取り上げられるようになってきた。企業としても、もちろん利益を出さなくてはならないが、環境など社会的問題の解決に絡めての事業の展開も視野に入れていかなければ社会から評価されない時代が来るかもしれない。

冲中一郎