スロベニア・クロアチア旅行~その3~ディオクレティアヌス宮殿

今回のメインはスプリットのディオクレティアヌス宮殿。その前に、中世の街並みが美しい世界遺産の島「古都トロギール」を訪ねる。紀元前3世紀にできたギリシア人植民都市が街の始まりで、中世に敵の侵入を防ぐために水路で本土と隔てられた島にある旧市街地だ。橋を渡って北門をくぐると、ぐるっと囲む壁の中で、すぐイヴァナ・パブロ広場に着く。この広場の周りに主要な世界遺産建築が並ぶ。鐘楼が聳え立つ「聖ロブロ大聖堂」や「市庁舎」、「時計台」、「裁判所」など。「聖ロブロ大聖堂」は13世紀から17世紀にかけて建てられたロマネスク・ゴシック様式の代表的な建築物だ。建築家の名前をとった「ラドヴァンの門」には聖書の場面を忠実に描いた細かい彫刻が施されている。門の右側にアダム、左側にイヴ、双方が獅子の上に載っている像がある。「市庁舎」は今も使われているそうだ。「裁判所」の広場では、アカペラグループがCDを売ることを目的に観光客に時々歌を提供していた。

大聖堂の47mの鐘楼に昇ると見晴らしが素晴らしいと聞き、登ってみた。一列しかないきつい階段で、しかも屋上手前の階段はよりきつい勾配の鉄の梯子で下が見えるため怖さを我慢して昇った。クロアチア独自の素晴らしい光景に巡り合えた。最初の写真の左側がクロアチア本土、右側がチオヴォ島(トロギールはクロアチア本土とチオヴォ島の間の島)。

次に行ったのは、アドリア海沿岸の中心都市で、クロアチア第2の都市「スピリット」。スプリットの町の起源とも言える世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿」を訪ずれた。この宮殿は3世紀末から4世紀初頭にかけて古代ローマのディオクレティアヌス帝によって建てられたもの。皇帝没後は、ローマ帝国も衰退しこの宮殿は数百年の間廃墟となっていたとのことだ。7世紀頃、ローマ帝国が滅亡後、近郊のサロナから異民族(特に南スラヴ人)が大挙してこの地に入り込んできて、頑強な城壁に囲まれた宮殿内に住み着いたのがスピリットの起源だそうだ。現在でも、この中で生活している人がおり、レストランや土産物店などとしても利用されている。
バスを降りるとすぐ宮殿の外壁が目の前に現れる。宮殿の説明パネルにあるローマ帝国時代の宮殿の図。その後、正門から宮殿に入る。

入ってすぐにローマ時代のまま残っている地下宮殿、そして地上の広場に面して、大聖堂(尖塔の右側の八角形の建物)が見える。広場の南には宮殿内から見た正門がある。

その正門のそばを上がると宮殿の前庭に出る。天井が丸く抜けて音響効果が良いらしく、有名なアカペラグループが歌を歌いながらCDを売っている。

宮殿内の街並み。実際に人が住んでいる証左ともなる洗濯物。

北門を出ると10世紀に実在したグルグール・ニンスキ大司教の像。左足の親指を触ると幸福が訪れるという。東門を出ると広場で大規模な青空市場が開かれていた。青果物、花、洋服など市民と思われる方々が大きな包みをもって買いに来ている。

昼食後、今回の旅の最終目的地ドゥブロヴニクに向かう。ドゥブロヴニクは、クロアチア共和国の飛び地になっており、途中ボスニア・ヘルツェゴビ唯一の海港ネウムを通過することになる。安いと評判のネウムのスーパーに立ち寄る。

ドゥブロヴニク旧市街の近くのアドリア海に面したホテルに宿泊。

スロベニア・クロアチア旅行~その2~プリトヴィッツェ湖畔国立公園

いよいよ今回のメイン、クロアチアに入る。最初は、「一生に一度は訪れたい世界の絶景」にも選ばれる世界遺産「プリトヴィッツェ湖畔国立公園」だ。多くの湖があるクロアチアを代表する景勝地だ。総面積200k㎡で、最高1280m、最低380mの標高差を結ぶ湖と湖を結ぶ多くの滝が最大の見どころだ。エメラルドグリーンの湖面に移る深い森や泳ぐ魚にも目が留まる。大小16個の湖のうち最も大きいコジャク湖を境に上湖群と下湖群に分かれる。今回は下湖群を1時間程度で回った。まず目にしたのは、高さ78mの大滝で、遠景と近景だ。

木道を歩きながら、湖の色と泳ぐ魚に見入っているとすぐにまた滝に遭遇する。洞窟もある。

そうするうちに、下湖で最も美しいといわれる「ミルカ・トルニナの滝」が見える。19世紀から20世紀に活躍したオペラ歌手で、この公園を愛し収益金を寄付し保全に協力したとのことで名前を冠したそうだ。

コジャク湖からはボートでホテルに通じる入り口まで戻る。コジャク湖のほとりの山々の紅葉も今年は遅いらしく、色づき始めたころだ。

翌4日目はプリトヴィッツェから美しいアドリア海のダルマチア地域の海岸線を下り、シベニクへ向かう。最後の「アドリア海の真珠」ドヴロクニクに行くまでのバスでの工程は、飽きることなく景色を満喫できる。ダルマチア海岸はリアス式やフィヨルドと同じく、山地が沈水してできたものだ。リアス式海岸が元の海岸線に対して垂直な山地の沈水によって形成されるのに対して、ダルマチア式海岸は、元の海岸線に対して平行に連なっていた山地が沈降する事によって形成されたと考えられており、ダルマチア式海岸はリアス式に比して穏やかな山麓と海岸線に並行する島で形成されている。そのため、山の麓には、赤い屋根の街並みがアドリア海と一緒に眺められる。

シベニクはアドリア海に注ぐクルカ川の河口に開けた町で、アドリア海の要塞として、アドリア海と内陸を結ぶ交通のかなめとして発展した、クロアチア人が作った最古の街。

街のシンボルは世界遺産に指定された「聖ヤコブ大聖堂」。レンガや木の支柱を使わない石作の建築としては世界一の規模を誇る教会だ。1431年から120年以上かけて建築され、最初はゴシック、のちにルネサンス様式に変更、高いアーチ型の大理石で組み立てられた天井、洗礼堂の天使が活き活きと舞う天井の彫刻、外壁には建設に協力した市民71人の様々な顔の彫刻と、他にはない特徴を有する。使われた大理石はクロアチアのプラチ島産で、世界中の教会や宮殿で使われているそうだ。アメリカのホワイトハウスにも使われている。

スロベニア・クロアチア旅行~その1~スロベニア編

ヨーロッパの火薬庫とも呼ばれたバルカン半島のスロベニア・クロアチアへ2日~9日の日程で行ってきた。旅の主体はクロアチアだったが、そのクロアチアでは、1991年独立宣言以降1995年まで続いたセルビア人との戦争の跡がいまだに残る光景も見られる(破壊された家の残骸など)。何世紀も続いてきた戦争が20数年前まで続いていたとの事にも驚くが、有名なドヴロクニクの旧市街なども世界からの支援を得ながら市民の手で忠実に修復・再建された姿だと知ると、景色を見る目も違ってくる。
成田からウィーン経由でクラーゲンフルト(オーストリア)へ。そしてバスでスロベニアの目的地ブレッドへ向かう。成田を13時35分発で到着が23時過ぎ。時差が7時間で、16時間以上かかったことになる。

最初は、スロベニアのブレッド湖へ(ブレッド湖の湖畔のホテルに宿泊)。スロベニアも旧ユーゴスラビアから1991年に独立した人口200万人強の小国だ。ブレッド湖は北に2000m級の山々が連なるユリアン・アルプスを望む宝石のように美しいと形容されるスロベニア屈指の保養地だ。旧ユーゴスラビアのチトー大統領もこの地をこよなく愛し、現在はホテルとなっている別荘もある(写真の後方がユリアン・アルプス、崖の上の建物がブレッド城)。


湖の小島に立つ“聖マリア教会”には手漕ぎボートで行く。手漕ぎボートは“プレトナ・ボート”と呼ばれ昔から受け継がれてきた伝統を守り続けているそうだ。”聖マリア教会“はスロベニアで最も人気の結婚式をあげる教会らしいが、99段ある階段を新郎が新婦を抱っこして上がるという試練が待っているらしい。教会の内部で人が集まっているのは、ぶら下がるロープを3回引っ張り、鐘を鳴らせば願いが叶うとのことで、皆さん必死にロープを引っ張っている人たちだ。

次に訪れたのが世界遺産の“ポストイナ鍾乳洞”。圧巻の鍾乳洞だ。その幻想的な空間と壮大さに圧倒されるのは間違いない。もともとスロベニアの大地はカルスト台地で、土地の半分が石灰岩で、スロベニアには1万個以上の洞窟があるという。この洞窟はピフカ川の地下水流が200万年とも言われる間に徐々に侵食してできたものと言われ、最大深度は114m。総延長20km強もあるが、見学できるのは5kmほど。まずはトロッコ電車で行き、徒歩で2km弱を歩いて見学(昇り降りが結構きつい)し、再度トロッコ電車で帰る1時間の工程だ。第一次世界大戦時にロシア捕虜が作った橋もある高い天井に深い谷の大きな空間に広がる光景は初めて見る光景だが、発光禁止の撮影では、なかなか全貌は紹介することは困難だ。茶色から白色に至る鍾乳石群、石筍群、石柱群次々に目の前に広がる。


以下は上から下に伸びる鍾乳石だ。


次は下から上に伸びる石筍。


最後は鍾乳石と石筍がつながった石柱だ。


鍾乳洞内には150種類の動物が住むと言われている。中でも、人の肌色をした”類人魚”と言われる大変珍しい「ホライモリ」が生息しており、水槽で飼われているものが見られるそうだが、残念ながら見ることが出来なかった。徒歩見学の最後にたどり着くのが1万人収容の“コンサートホール”だ。誰かが突然歌を歌い始めたが、大きく響き、すごい拍手をもらっていた。

冲中一郎