なでしこジャパン五輪出場おめでとう!

ワールドカップ優勝で日本中ばかりか、世界中を沸かせたなでしこジャパン。その騒ぎから1ヶ月半も経たないロンドンオリンピックアジア予選。ひやひやさせながらも、見事無敗で五輪出場を決めた。ほんとにすごい!おめでとう!

日本中を沸かせ、この1カ月いろんな行事も目白押しの中、世間からは勝って当然との大きな期待を受けての11日間で5試合と言う過酷な試合日程。他国も、世界チャンピオンを倒すという格好の思いをたぎらせながらの戦いを挑んで来る。こんな悪条件が揃った中での五輪出場決定。何という力か!

「運とツキの法則」を書かれたクレディセゾン林野社長と若手書道家武田双雲氏の対談が「致知10月号」に掲載されている。その中で、なでしこジャパンがワールドカップを制したことに関して、運とツキを引き寄せるというか、「心の勝負」でアメリカに勝っていたと言われています。単なる勝ちたいとの思いではなく、日本を救う、日本を元気にしたいとの大きなビジョン(思い)があきらめない心を鼓舞し、大きな力になって現れたと。澤選手の海外メディアのインタビューの回答で東日本大震災の被災者に対する強い想いを聞いて武田氏は涙が止まらなかったとか。澤と言う1選手が他の選手たちを自分の大きなビジョンに巻き込んで成し遂げた奇跡と林野社長は言う。

林野社長は、なでしこジャパンの奇跡を、経営者に当てはめて、「僕は運とツキが本当に開くには澤選手のように、波動が一つ上のビジョンを描くと言うことがとても大事。会社も単に勝負に強いだけでは何十年も勝ち続けられない。自分の会社だけが成功すればいいと思っている社長が成功するわけがない。社会に価値を提供し、よりよい社会をつくりたいと心から思っている人しか成功は手にできない。」と言われています。クレディセゾンを今の姿にされた林野社長の言葉は重みがあります。

次は感動プロデューサー平野秀典氏の言葉。

花の名前であることはご存じのことと思いますが、なでしこの花言葉は、「長く続く愛情」だそうです。日本の勝因が、「あきらめない心だった」とはよく言われますが、あきらめない心は、「長く続く愛」から生まれるということを教えてくれたのかもしれません。日の丸を背負った選手たちの、

  • 日本という国への愛。
  • 被災地の人たちへの愛。
  • 自分を育ててくれた恩人への愛。

たくさんの愛の結晶が生んだ奇跡が、ワールドカップ優勝という快挙だったのでしょうか。

日本人としての誇りが、祖国愛、郷土愛、家族愛などの愛の力を生み、それが大きな力になるのですね。

土光敏夫さんの尊敬する人、尊敬される人

前回紹介の「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」を読み進むにつれますます、その凄さが分かってくる。まさに「自分のため、会社のため」を乗り越え、「日本のため、社会のため」と、命を賭して頑張った姿には頭が下がります(85歳で臨調会長を引き受けた)。

土光さんがここまで頑張ってこられたのも石坂泰三さんのお蔭だとか。IHI会長になって、好きな本でも読んでゆっくりしようと思っていたところ、東京オリンピック後の景気停滞で危機状態の東芝の社長に推薦したのが石坂さん。経団連会長も石坂さんの推薦だった。その土光さんが最も尊敬する人が石坂さんだと堂々と述べられている。「偉い人って何か、業績を上げることもあるが、人間的にこの人なら見習おうという、人間の魅力だと思う。その点で、石坂さんは実に魅力のある人だった」と。

石坂泰三氏は皆さんご存知の通り、第一生命や東芝の社長をやられ、その後経団連会長をやられた方で、いろんなエピソードをお持ち方です。経団連会長の時、貧相な経団連会館の建て替えのために国有地の払い下げを申請したが、大蔵省の返事に埒があかない。石坂会長が大蔵省に乗り込んで、当時の水田蔵相を直談判。それでものらりくらりの回答だったので、「もう君には頼まない」と怒鳴り散らし部屋を出た。この時の発言が、城山三郎の「きみには頼まない 石坂泰三の世界」(文春文庫)のタイトルになっている。

第2臨調会長の時代、財政・行政改革を国民的運動として活動せねばならないときに、井深大氏や本田総一郎氏が「行革推進全国フォーラム」を核になって活動してくれた。その両氏の最も尊敬するのが土光さん。特にそれまで、技術者としての道を歩み、政治の世界にはタッチしていなかった本田さんは、老齢の土光さんが頑張っておられる姿に感動し、初めて政治活動に飛び込まれたそうです。

力を発揮し、日本のために活躍された方々も、一人の力ではなく、いろんな協力者があってはじめて成果を出すことができたということだと思います。その意味で、人徳を磨き、尊敬される人になることは、リーダーとしての大きな要件とも言えます。大きな成果を出すためには・・・。

日本のリーダー土光敏夫

今年の7月、横浜市鶴見区北寺尾にあった土光敏夫氏の家が取り壊されたそうだ。その一角には、30年前に設置したソーラーシステムの土台も残っているとか。IHI、東芝社長を経て、経団連会長の重責を果たす中、歯に衣着せね物言いで、行革はじめ政治の世界にも物申してこられた。土光氏の人生におけるいろんな発言、思想をまとめた「清貧と復興 土光敏夫 100の言葉(文芸春秋)」が8月に出版された。

29年前NHK特集で「85歳の執念 行革の顔 土光敏夫」が組まれ、自宅や食卓が紹介され、一躍「メザシの土光」が注目された。これは、自ら政府の第二臨調会長として行財政改革の先頭に立っている時、金権政治蔓延の中で、国民に納得してもらうために、自らの生活実態を見せることにしたそうだ(率先垂範姿勢)。政治に金をかけることに堂々と批判を続け、経団連会長時代に政治献金を廃止したり、政治家とは夜の待合ではなく昼間に正々堂々と会うことを指示されたそうです。また、立花隆が文芸春秋で田中角栄総理の私生活(数千坪の敷地に豪邸が何棟も並び、錦鯉が泳いでいる)を暴露した際、サシで田中総理に辞任を勧告したとの情報もあるそうです。議員定数削減の提言や、政局より政策論議をまじめにやれとか、今の時代、土光さんのような人が欲しいですね。

経団連会長時代、福島第一原発にも足を運んでいる。GEへの一括発注方式を批判し、「日本の技術者が、GEの技術を吸収し、自分達の判断で設計図を日本の土壌に合わせて見直すべし」と体を張って主張されたが、東電、政府は「世界一のGEを信頼する。余計なことを言うな」と聞き入れなかったとの証言もある。技術者として、原発の安全性と効率に関して主張し続けた土光さんが、今生きておられたら何を言われるだろうか?

この土光さんが最も信頼していたのが、石坂泰三さん。東芝社長に招聘し、周囲の反対を押し切って経団連会長に推薦されたのも石坂さん。

土光敏夫氏のDNAを引き継いだ現代の人として、著者の出町譲(テレビ朝日ニュースデスク)が挙げるのが、永守重信(日本電産社長)、坂根正弘(コマツ会長)、安斉隆(セブン銀行会長)などの方々。

冲中一郎