北海道の秋

ついているというか、最高の時期の最高の秋を北海道で楽しんできました(ガイドさんもびっくりの秋でした)。層雲峡、大雪山黒岳、旭岳を中心にまわってきました。

層雲峡温泉から細い山道を歩くこと30分、かなり険しい山道でしたが、行き着いたところがもみじ滝(紅葉谷)。水が噴き出るようなすごい滝でした。ついでにナナカマドの紅葉と、層雲峡の川原の紅葉をUPします。

大雪山旭岳近くの天人峡の羽衣の滝も見事でした。

最後は大雪山旭岳の紅葉です。旭岳温泉(1100m)からロープウェイで10分、標高1600mの姿見駅周辺から見た絶景です。

ロープウェイの方が、今日が紅葉のピークでしょうと言われていました。写真では表しつくせない美しさでした。

標高1100m周辺の紅葉です。

「もったいない」を世界語にしたマータイさんご逝去

日本語の「もったいない」を用いて環境保護の大切さを訴えられた、ノーベル平和賞受賞者(2004)で、ケニア人のワンガリ・マータイさんが25日亡くなられました(71歳)。

女性の地位向上と環境保護への貢献を認められ、2004年にノーベル平和賞を受賞され、翌2005年国連の「女性の地位委員会」閣僚級会合で、日本語の「もったいない」を環境保全の合言葉として紹介し、会議の参加者と共に唱和されたとか。マータイ氏は「もったいない」は、消費削減(Reduce)、再使用(Reuse)、資源再利用(Recycle)、修理(Repair)の四つのRを表している」と解説し、他の言語にはこの様な言葉が無いことを示された。昨年2月には来日され、皇太子ご夫妻と面会され、日本でも地球環境問題への取り組みに精力的に活動されました。

日本語が英語化したものとして「津波(tsunami)」、「切腹(harakiri)」、「過労死(karoshi)」、「おたく(otaku)」、「変態「hentai」」など、必ずしも誇らしいとは思えない言葉が多いが、「もったいない」は日本語の素晴らしさを自信を持って言える言葉ではないでしょうか。日本人ではなく、ケニア人が世界に紹介してくれたのも意義深いものがあります。

世界最古の国である日本が育んできた日本語は、英語などに比しても、深く味わいのある言葉が多いと言われる。「いただきます」「ごちそうさま」も、人が人として生きる上での、神々、大自然、食材、生産者、料理人などに対する感謝の気持ちを表す美しい言葉と言えます。漢字文化も、中国からの輸入と思われますが、中国の和製漢語研究者の曰く「日本語から借用した外来語は驚くほど多く、社会科学・人文科学方面の用語のおよそ7割は日本から輸入したもの」と。化学、情報、理想、文化・・・などなど。

日本語の価値を教えてくれたマータイさんに感謝すると共に、合掌!(内容の一部は、竹田恒泰著「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書)」から流用しています)

信念の人!杉原千畝

昨日25日日曜日10時からのテレ朝「Sundayフロントライン(メインキャスター小宮悦子)」の特集で、本田宗一郎、松下幸之助、土光敏夫、後藤田正晴(三宅島大噴火の際の決断)などの方々と一緒に「杉原千畝」氏が最も時間をかけて紹介されていた。

今回の東日本大震災でいち早くイスラエルが医療機器、医療薬と共に約60人の医療団を南三陸市などに送りこんでくれました。その理由が、ヒトラーのユダヤ人大虐殺当時、リトアニアの領事館にいた外務官杉原千畝氏(1900-1986)がユダヤ人6000人を救ったそのお礼だそうだ。

ナチス・ドイツの迫害で、ポーランド等各地から逃げ出てきたユダヤ人が、リトアニアの日本領事館に押しかけ、日本へのビザ発給を求めてきた。当時(1939年頃)は、ドイツ、イタリアとの三国同盟を近々結ぶ予定の日本政府に、ビザ発給の承認を求めても、全く耳を貸さない状況にあった。当時の松岡外務大臣は「大使館の任務は人道支援ではない」とにべもなく杉原氏の要求を却下。悩みに悩みぬいた杉原氏は「将来を見据えれば、今はナチとの協調より、人道支援。今断れば永遠の恨みをかう」と決断し、毎日指に血豆を作りながら1日300人のビザを来る日も来る日も作り続けたそうです。ビザ発給されたユダヤ人は、シベリア鉄道で日本に渡り、そこから各国へ逃げ延びたそうです。

杉原氏は、帰国後は外務省から即解任(というか辞表提出)。その後は、電球作り、雑貨屋などを営み、ほそぼそと生活を維持していたそうです。この杉原氏の決断は、外務省は省命違反として、1990年頃に鈴木宗男外務省政務次官〔当時〕が、美談としての評価を取り上げるまでは、頑なに否定していたそうです〔ユダヤから金をもらったとかの中傷誹謗もあったとか〕。

今回の大震災の医療団派遣は、「いつか杉原氏のご恩に報いるために、日本の力になりたい」と思っていた人たちが、日本の国難にいち早く派遣を決めたそうです。今は6000人がその子孫を含め25万人になっているそうです。

この強さ、信念は、どこから来るのでしょうか?考えさせられます。

冲中一郎