「我、いまだ木鶏たりえず」

この言葉は、ご存じの方は多いと思います。白鵬の連勝記録(63)がストップした時、この言葉が新聞にも掲載されました。白鵬が信奉してやまない双葉山が連勝記録(69)をストップした際、教えを請うた陽明学者安岡正篤にこの言葉を打電した言葉として有名です。

「木鶏」とは、「荘子」に出てくる話で、ある王が闘鶏づくりの名人に自分の闘鶏を託し、40日かけて「いかなる敵が来ても、木彫りの鶏のように動ぜず、徳力が充実している」姿にしたとの逸話から出てきた言葉です。大鵬も、双葉山から直接「木鶏」の話を聞き。双葉山のあまりの理想の高さ、気高さに身震いがしたそうです。白鳳もこの心境を目指しているのです。平幕力士であろうと、苦手な相手であろうと、平常心で相撲がとれるように。

昨年5月、名古屋で全勝優勝しても天皇賜杯授与出来ず、涙を流した白鵬の姿が思い出されます。「致知2011.11号」に大鵬との対談記事が掲載されていますが、大鵬も「白鵬は、普通の日本人力士よりよっぽど日本の歴史や相撲の歴史を知っており、日本の伝統文化を守ってくれている」と言っています。「相撲や、武道は『心・技・体』が大切と言われますが、やはり心が一番上です。技を磨く、体を鍛える以上に、心を育てるのは難しい。勝つためには心が八割、技が二割、体はゼロじゃないか。」と白鵬は言う。

今年の日本オープンも終わりましたが、石川遼君は残念な結果でした。遼君も、『心・技・体』の心で悩んでいるのではないでしょうか。大関に昇進した琴将菊も、心の問題に悩み、東海大学の教授の教えを受けたり、写経に励んだりしたそうです。

人間学を学ぶ月刊子「致知」の読者が集まる会が全国各地(120地区以上)にあり、読者有志が月1回集まっている。「木鶏会」と称しているが、これを企業内で実施する「社内木鶏会」が広がりを見せている。昨年から「社内木鶏全国大会」が始まり、成功事例発表会&表彰式が行われている。今年の第2回大会は今週21日にホテルニューオータニで、5社の発表がある。第1回は1000名が集まり、会場全体の盛り上がりがすごかったと聞いています。人間力に関心を持ち、行動している方々の集いを私も一度見てみたく、参加することにしています(パーティもあります)。

白鵬は日本人以上に日本人となっていますが、我々日本人ももっと歴史を学び、古典に、先哲に、名経営者の言葉に学び、元気付けられ、自信を取り戻さねばと思います。グローバル化の進展は必然でしょう。日本人としての誇りを取り戻し、自信を持って堂々と世界に進出したいものです。

アルゼンチンが日露戦争で日本を支援!!!

日露戦争の日本海海戦で勝利した連合艦隊6隻の内2隻の装甲艦(日進、春日)はアルゼンチンから購入したものだと知っていましたか?

バルチック艦隊に対峙した日本の連合艦隊は東郷司令官が指揮をとった「三笠」を先頭に、しんがりを巡洋艦「日進」が務めました。北進してくる敵の艦隊に対し、左へ敵前回答して迎え撃つ丁字戦法をとったことで、しんがりの「日進」は集中的な砲火を受け大きな打撃を受けました。その「日進」には、アルゼンチン海軍所属のガルシア大佐(後にアルゼンチンの海軍大臣)が乗船し、砲撃を支援したとのことです。日進は大きなダメージを受けたにも関わらず、その後も整然と艦隊の陣容を乱さず露軍に迫ってきたため露軍は戦意を失ったと言います。

「致知」11月号の連載記事「語り継ぎたい美しい日本人の物語(中村学園大学教授占部賢志作)」の記事で知りました。平成11年にブエノスアイレスに「秋篠宮文庫」が設立され、そこに明治天皇からガルシア大佐に贈られた金蒔絵の文箱などが飾られているそうです。

なぜ、アルゼンチンが日本を支援したのだろうか?スペインの支配から脱し、独立国家として周囲の国と緊張関係にあったとき、日本と修好通商航海条約を締結(1895)。その後、日本への関心を急速に深め、日本を勉強したそうです。「日本は道徳によって社会を律し、国家への忠、親への孝、夫婦の和、兄弟の愛が、宗教人としてではなく、社会人、家庭人としての義務とされている」と称え、日露戦争においても「この戦争は日本に義あり」として支援したのです。そして、この歴史に根差した高い倫理観こそが日本を勝利に導いた根本の理由なのだとアルゼンチンは合点したのです。「勝利をもたらすのは爆薬の威力ではなく、人間なのである。」とまで言っているそうです。

占部氏は最後に「私たちはかってのアルゼンチンほどの日本認識を持っているでしょうか?現状を見るに恥ずかしい限りです。今こそ、自国の国柄を学ぶ機運を興したいものと願わずにはいられません」と。

このブログにもUPしました「ユダヤ人を助けた杉原千畝氏」や「台湾でアジア最大級のダムを作り、不毛の地を台湾最大の米作地帯にした八田興一氏」など、当該の国の方々の方が日本人よりはるかに知り、感謝している話が数多くあります。グローバル人材になるためには、歴史も学ぶ必要がありそうです。

NHK総合「神様の女房」放映中

神様とは、経営の神様「松下幸之助」をいうが、その神様を支えた妻「むめの」夫人に焦点をあてたドラマである。両親も既になく、八人兄弟も姉一人残してすべて夭折。さらには病弱で借家住まいで財産の一欠片もない大阪の電燈会社の電気工である幸之助氏(20歳)に淡路島の船乗りの会社社長の愛娘むめの(19歳)が嫁ぐ。当時「むめの」の縁談話で最も条件が悪かったと言います。しかし、「むめの」の生来の挑戦魂と行動力が、かえって何もない幸之助氏を選ばせたのです(実は「むめの」の弟が三洋電機創始者の井植歳男氏で、幸之助氏がソケット製造会社を創った苦しい時に手伝った)。

電燈会社で、自分の提案が上司に受け入れられず、生活の目途もたっていないのに勝手に会社を辞めてきた時、自分の会社を創ることを後押ししたり、家族経営で社員のための寮制を取り入れたりしたのも「むめの」である。この寮制を敷き、食事など一切の世話をしたのはもちろんですが、躾教育にも自らかなり力を入れ、そのお陰で、社員の行儀の良さが評判を呼び、事業にも大きく貢献したと言われています。幸之助氏が後世「松下電器は何を作っているかと聞かれたら“人をつくる会社です。あわせて電気製品も作っています”と言いなさい」と言われたのも、その原点は「むめの」の考え方にあったのです。

NHKでは10月1日から3回シリーズで放映中です(毎週土曜日9時~)。後1回だけとなりました。松下家の執事を長年務められた高橋誠之助氏が著した「神様の女房(ダイアモンド社)」をドラマ化したものです。その高橋氏曰く「松下電器の創業者は幸之助さんだけではない。もう一人創業者がいらっしゃったのだ」と。

「内助の功」の力は大きい!

冲中一郎