昨夜のパーティで水谷八重子さんと!

昨夜、KKRホテル東京で年1回開かれる「綾の会」という集まりがありました。「綾の会」とは、社会のさまざまな場面で大切になる「人の輪」「人とのつながり」を育てることができる場を作りたいという強い思いのもと、松本紘氏(現京都大学総長)、平田康夫氏(元KDDI)が発起させ20年前に発足した会です。今年の20周年記念「綾の会」ご案内の一部を紹介します。

今年でちょうど20回目を数えます。発足当初は京都大学の電気電子工学・宇宙・通信・コンピューター関係の教職員・OB・在学生達が中心の会ではございましたが、その方々を縦糸に、それぞれの仕事仲間・知人・友人・家族・飲み仲間などを横糸とした、綾を織り成すような人のつながりにより、近年では毎年いろいろな分野の方々にお集まり頂き、そこで新しい出会いを期待し、旧交を暖めていただき、親睦を深めていただける場に成長いたしました。

今回も150名以上の参加者で賑わいました。松本総長も、お忙しい合間を縫って毎回参加して下さいます。今回は、特に前日(4日)ノーベル賞が確実視されていた山中先生がダメだったので、相当落ち込んでおられるかと思いましたが、順番があるから2~3年後には確実に受賞すると平然とされていました。

「綾の会」は松本先生をコアにしていますが、今では友だちが友だちを呼び、松本先生を知らない方々も多く参加されています(会の趣旨でもありますが)。今回の驚きは、新派女優水谷八重子さんが出席されていたことです(昨年は、衆議院議員池坊保子氏にビックリ)。松本先生に関係をお聴きしたところ、「知らない」のひとことでした。突然の特別ゲストとして、司会者も気を使い、挨拶をお願いしたところ、気安くお受け頂き、「さすがの話術」をご披露頂きました。

松本先生は電波系の研究室だったことから、JAXAなど宇宙開発関係の方や、KDDI,NTT、三菱電機、パナソニックなどの方々が多いのですが、文科省や経産省、税理士・特許事務所など多彩な人々が参加されます。興味ある方は紹介しますので、遠慮なくご参加下さい(会費は男性1万円、女性は5千円)。2枚目の写真で水谷さんの横にいるのが松本総長です。

日野原重明さん、今日で100歳!

今なお聖路加国際病院の理事長など要職を数多く勤められ、多くの本も出版されている日野原重明さんが今日100歳を迎えられました。そして「100歳になってもまだまだこれから」と意気盛んとか。

100歳を超えてなお、スケジュールは2、3年先まで一杯という多忙な日々を送られている。わずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活だったが、96歳にして徹夜をやめ、睡眠を5時間に増やしたという。マスコミのインタビューで病院ではエレベーターを使わないと答えてしまったので、どんなに疲れていても、公衆の面前ではエレベーターを使えなくなってしまったとか。

今朝の日経での日野原さんが言う。「今日与えられた新しい命に全力で取り組むーそれが私の幸福感の源なのです。」そして「新しい事を創(はじ)めましょう」と。108歳の後藤はつのさんという洋画家の方は、80歳を過ぎてから絵をはじめ、今では個展を開くようになったとか、日野原さんも98歳から俳句をはじめられたそうです。最後に「運命は自分でデザイン出来るのです。自分から動けば、出会いが生まれます。出会いはあなたの運命を変えるチャンスなのです。これからさきの10年、どう走るか。運命をどうデザインしていくか、私にとってはこれから先が楽しみでなりません」と。

ちなみに、100歳以上の人は4万8千人弱もおられるそうです。内女性比率がなんと90%。女性は強い!

私は、100歳まで行きたいとは毛頭思ってもいませんが、日野原さんの常に前向きで目標を持ちながら、「新しい事を創めよう!」との気概を、常に意識しながら生きて行きたいと思っています。

日野原さん、百寿おめでとうございます。これからもますますご活躍いただきまして、「高齢者の幸せな生き方」の規範をご指導ください。

金木犀の香りに故郷の祭りが重なります!

金木犀のなんともいえない香りがあちこちで漂っています。昨日のJASIPAゴルフコンペ会場の鶴ヶ島GCでも、木犀の木が非常に多く、気持ちよく秋を感じながらプレイできました。

この香りを嗅ぐと、必ず思い出すのが故郷姫路の「灘のけんか祭り」です。姫路の我が家には、高さ5~6メートルの金木犀の大木が二本あり、子供の頃からこの香りが10月の祭りと重なり合うのです。私の家は屋台蔵のすぐ近くのため、9月になると練習する太鼓の音が毎夜遅くまで響き渡ります。

祭りは10月14日、15日に行われます。姫路駅からは南東にあたる瀬戸内海に面した地域ですが、当日は学校はもちろん、銀行や会社はすべて休みになり、山陽電車も特急が臨時停車します(新日鉄広畑もこの日は創立記念日として休みです)。7つの村から2トン以上もある化粧屋台が朝早くから豪華絢爛に担ぎ出され、15日の本宮では朝7時に出立ち、夜の10時頃に屋台に電飾をつけた姿で村に帰って来ます。この化粧屋台の練り合わせも見ものですが、さらに有名なのが3台の神輿(これは人がのらない)の練り合わせです。7村が練り番と言って毎年交代で当番となり、一つの村で年齢層を3つに分けて3台の神輿を担当します。この神輿の練り合わせは、神宮皇后の三韓征伐の帰りに3艘の船が港に寄り、船底についた牡蠣や貝をお互いの船が擦り合わせて取ったとの故事に倣っての事だと言われ、お互いに神輿をぶつけあって壊せば壊すほど神様が喜ばれるとの事で、それは激しくぶつけ合い壊しあいます(ぶつけあった後、若者は神輿の屋根に登り勝鬨をあげると同時に足で神輿の屋根を踏みつけ壊します)。神輿や屋台の練り合わせを見られるのが、二つの山に囲まれた天然の練場で、二つの山には桟敷席(と言っても段々畑)が設けられますが、ほとんどの席(むしろを敷いた)は永久予約で新規に取るのはまず困難な状況です。それでも20万人以上が見物に訪れます。

7村では、正月よりもこの祭りを中心に1年が廻ります。外に出ている人もこの日は必ず帰って来る、帰ってこなければ村八分にあうと言われているほどです。奥さん方は夜を徹して客人のために料理に贅を尽くすのが習いで、東京などから結婚して村に入った奥さん方の中には、この風習についていけなくて、帰ってしまう人もいます(贅を尽くした弁当は朝の4時に各村の公民館に持っていけば、祭りの役員が見物する山に運んでくれます)。また10月に入って亡くなられた方は祭りが終わるまで葬式は挙行出来ませんし、亡くなられた方の関係者は祭りに参加出きません。

このような祭りが長年続けられるのも、外に出ている人に帰ってこざるを得なくする制度が有る故だと思います。同期のものは「連中」と称して慶弔関係はもちろん、家族旅行なども行い、1年中のお付き合いを通じて絆を深めます。また近所の集まり、同じ宗派の人の集まりなど、二重三重にコミュニティを形成し、お互いに祭りを守り立てるのです。

時々全国放送で紹介されています。いつだったか、松岡修造さんが取材していました。私が子どもの頃は、菅原文太さんや坂本九さんも来られていました。最近ではBSジャパン9月8日1時間番組で紹介されたようです。ホームページもありますが下記写真から雰囲気を感じていただけるかも知れません。東山村(紙手がピンク色)が私の故郷です。

冲中一郎