愛知のスーパーにもこんなサービスが!

愛知県豊橋市の「一期家一笑(いちごやいちえ)」という食品スーパーがある。朝日新聞10月8日の4面に「スーパー密着路線」という特集記事があり、その中で紹介されている。記事のリード文には「徹底した地域密着路線で黒字経営を続ける食品スーパー」として紹介され、「消費者の心をつかむのは、客を名前で呼んだり、配達先で電球を変えたりといった‘お金に代えがたいサービス’」で、全国の地域スーパーの希望の星として注目を集めているそうだ。

客と店員の大半は店から500㍍圏内に住むご近所さん。「あら、田中さん、いらっしゃい。この間のナスはどうだった」、このような会話が店員とお客の間で交わされる。10年前に近隣に大手スーパーが進出、立て続けに近隣のスーパー3社が閉店に追い込まれた。「一期家一笑」の杉浦店長は悩んだ末にたどり着いたのが「地域になくてはならないスーパーにあること」だった。近所付き合いを深めるために、年中、子供料理教室や餅つき大会などの行事を開催、店員は7割の来店客の顔と名前を覚えるまでになったと言う。5年前から力を入れているのが高齢者向け宅配。そして配達時のモットーは「ついでの頼まれごとも大切にする」。電球や電池の交換、段ボールの回収などもやる。「将来は冷蔵庫の中身まで把握し、食生活の助言をすること」と言い切る。

生き残りをかけて、大手スーパーは規模拡大路線をとる。しかし地域の中小スーパーは、規模ではなく付加価値を追い求める。「一期家一笑」の他にも、100種類の惣菜で有名な仙台の「主婦の店さいち」や、産直青果が売りの東京多摩地区の「福島屋」も黒字経営を続けている。

今年の2月に当ブログで紹介した町田市の「電化のヤマグチ」も地域密着型で成功した事例だ(http://jasipa.jp/blog-entry/7295)。別のブログで紹介した日産プリンスの営業マンも同じような考え方でトップ営業となった(http://jasipa.jp/blog-entry/7882)。

IT業界も、ますます競争が激しくなること必至である。我々中小ベンダーは、大規模ベンダー以上に、お客様に対する付加価値で差別化していくことが求められる。お客様のニーズの把握、お客様への接し方など、異業種の情報も参考になる。

人は皆、あらゆる縁の中で生かされている!

「致知2012.11」の雑誌の中のこんなタイトルの記事に目が止まった。清水マリさんの随想記事だった。清水マリさん?1963年鉄腕アトムが初めてテレビアニメーション番組として放送が始まった年から2003年まで40年間、鉄腕アトムの声を務められた方と言えばお分かりかも知れない。

高校卒業と同時に俳優を目指して養成所に入り舞台俳優としての道を歩み始めた26歳の時、突然虫プロダクションから突然「鉄腕アトムの声をやってほしい」とのオファーがきたそうだ。まだ駆け出しの舞台俳優の所になぜ?と思いつつプロダクションに行って、手塚先生から直々に指導を受けアトム誕生のシーンを吹き込んだ。しかし、これはテレビ局に売り込むためのパイロット版だった。テレビ局が決まったあと、正式にオーディションが開かれ誰がアトムの声をやるか決めることになったが、最終段階で手塚先生の「アトムの声はマリさんで行く」の一声で決まったとか。

マリさんのお父さんは、地元浦和で劇団を作り、ある夏の夜地域の子供たちのために「ピノキオ」を上演することになった。団員は大人ばかりだったので、肝心のピノキオ役がいない。そこで中学1年生のマリさんに白羽の矢が立ち、ピノキオ役を演じた。その時劇団員だった人が虫プロダクションに勤め、手塚先生の側近になっていた。鉄腕アトムはピノキオがモデルと言われているそうだが、「アトムの声」を選ぶとき、その人が手塚先生にマリさんを推薦したとか。

36歳の時、両親を亡くし、しばらく仕事を減らして、その後復帰した時、思い通りの役につけず、心身ともにボロボロになった。その時、NHKのラジオ番組などで共演していた方から「浦和むかしむかしの会」に誘われ、生きる希望をもらったそうだ。お父さんと一緒に仕事をしていた縁で、マリさんをかわいがってくれていた方だとか。

現在76歳のマリサンは言う。「父が一生懸命働き、蒔いた種が巡り巡って私の所で開花しました。人は何かチャンスや成功を手にしたとき、つい自分の力だと思ってしまいます。しかし、人は一人では生きていけません。あらゆる縁の中で生かさせて頂いている。そのことを忘れず。生涯現役の人生を歩んでいきたいと思います」と。

マリさんは、謙虚にお父さんのお蔭と言われているが、ご本人も、与えられた役割を必至で努力しながら果たされたのだと思う。お父さんの縁を活かしながら、自分自身の力で、その縁を呼び寄せたと言う事だろう。

前稿の「チーム山中」「チーム川口」の話にも通じる話題と思い、紹介したhttp://blog.jolls.jp/jasipa/nsd)。

支えてくれた人がいたから今がある!(山中教授ノーベル賞)

致知2012.11号に「はやぶさ」の川口淳一郎氏と今まさに時の人となられた山中伸哉京大教授との対談記事がある。テーマは「人類の未来の扉をひらく~はやぶさXIPS細胞 世紀の偉業を成し得たもの~」である。今回の山中教授のノーベル賞受賞は、「人類の為」というのが非常に分かりやすく、開発から6年目という異例の速さでの表彰も分かる気がします。国、大学、研究室、家族に対する感謝の気持ちが前面に出ていて、山中教授の「人徳」を感じさせられました。ほんとにおめでとうございます。

山中氏の「(はやぶさが)あれだけの困難を乗り越えてちゃんと還ってきた、というのは、科学の世界でいつも壁にぶち当たっては折れそうになっている僕たちにとっては、もう本当に・・・、あんなに勇気づけられたことはありませんでした。」から対談は始まった。「誰にも譲れない信念」があるからこそ、今回の偉業が達成できたというのは当然だが、山中教授が今回のノーベル賞受賞でも、多くの人への感謝の気持ちを心から言っておられるように、お二人は、研究プロジェクトメンバーの中に「心からやり遂げよう」との気持ちが埋め込まれ、心から支えてくれる人がいなければ何事も達成できないと言われている。お二人の研究は、5年、10年と長期にわっており、メンバーの心意気を持続するのは非常に難しいが、これがないと思い通りの成果は出ない。山中教授は、「スポーツ選手でも、選手本人だけが金メダルを取るのだと言っても、一人では難しい。自分の事はさておいても、“こいつには金メダルを取らすんだ”という支える人たちの思いが不可欠」と言われる。確かに、フィギュアスケートの安藤美姫が、コーチ不在の為今季のグランプリシリーズには参加できないとのニュースが流れた。さらに山中教授は、アメリカで恩師から教わったという「VW」という言葉が成功の秘訣と言う。「V」はVision,「W」はWork Hard。長期的な展望としっかりした目標を持ち、懸命に努力すればその一念は必ず叶うということ。強いビジョンを持ち、「心」を一つにした「チーム山中」「チーム川口」だからこそ、この偉業があった。山中教授の「螺旋型の人生」というのも面白い表現だと思った。いろんな失敗を糧に、時々変化したテーマと共に視野を拡げ、IPS細胞に行きついた人生を言っておられる。同じテーマを継続的に行う「直線型人生」が必ずしも成功するとは限らない。

「チーム〇〇」の考え方は企業も同じだと思う。企業理念、経営方針の目標を社員全員が共有し、その達成に向けて皆で頑張る姿を追い求めるべきと考える。システムプロジェクトもしかりだ。プロジェクトメンバーはもちろん、経営者も「お客様のため」の視点を共有化しながら進めなければならない。しかし、いまだに失敗プロジェクトが後を絶たないIT業界は、「心」が一つになっていない現実を物語っているのではなかろうか。

冲中一郎