“アンコンシャス・バイアス”で森前会長の発言を解釈!

3月2日の日経夕刊1面のコラムで、「アンコンシャス・バイアス」のタイトルで、法政大学総長田中優子氏が寄稿されていた。「オリンピック組織委員会前会長(森さん)の女性蔑視の発言ほど、“アンコンシャス・バイアス“の実態が見えたことはない」との主張で、紹介されており、納得性のある記事だったので紹介する。

”アンコンシャス・バイアス“に関しては、2年前当ブログで”アンコンシャス・バイアスって“と題してUPしている(https://jasipa.jp/okinaka/archives/9182)。組織内でアンコンシャス・バイアスに意識を向けることは、職場の心理的安全性 を高め、組織と個人のパフォーマンスの向上に役立つ」との事で各企業も研修に力を入れ始めたとの紹介をした。

今回の記事によると、法政大学では2016年のダイバーシティ宣言後教職員対象に外部講師を招いて研修をしているそうだ。

”アンコンシャス・バイアス“とは、「自分では自覚できない無意識の偏見」のこと。当記事では、森氏の件に関して、下記のように言われている。

森氏は「これは解釈の仕方だ」「女性を蔑視するとかいう気持ちは毛頭ない」とおっしゃった。自覚できていないわけだから正直な気持ちだろう。JOCの山下会長は「森会長は女性役員の40%登用などかなり強力に推進していた」と述べている。私は、これは事実だと思う。その事実に対応するのが「女性理事4割、これは文科省がうるさく言うんでね」という森氏の言葉だ。つまり理解も納得もしていないが、「うるさい」ので仕方なく推進していた、と本音を述べたのだろう。

2月3日の女性蔑視の発言にも触れて、田中氏は最後に下記で締めくくっている。

本を読まず、社会の動向を学ぶこともなく、新聞も気に入る箇所しか読まない日々が想定される。年齢の問題ではない。じきに退職する私にとって、ありがたい半面教師であった。高齢者は学び続けよう。

最近、国会でも問題になっている、政治家、官僚の信じられない行動をどう考えればいいのか。「無意識の偏見」に似た「無意識の行動」ともいうべきか?なぜ普通に考えれば、変だと思うことが出来ないのか?トップへの忖度で、自由にモノが言えない、言えば降格される、そんな集団が日本を牛耳り、幹部クラスがトップに盲従している実態が恐ろしくなる。企業にはコーポレートガバナンスを強制しながら、足元がこんな状態では日本の将来が危ないと感じるのは、私だけだろうか?官僚の退職者が増え、官僚志望者が減っている現実は何を物語っているのだろうか?今のままでは日本がヤバイ!

私も、無意識の偏見、行動に陥らないように、学び続けたいと思う。

”未病”に対処し、介護費3兆円削減!?

2月10日の日経朝刊13面「Game Changer~挑戦者たち~」に「病気にさせないストリート医療」と言うタイトルで、34歳の東京医科歯科大学教授の武部貴則氏の活動が紹介されている。「医療は病気のためではない。人間のためにシフトしないといけない」武部氏の言葉だ。26歳でIPS細胞を用い世界初の「ミニ肝臓」作製に成功し、英科学誌「ネイチャー」に発表。その後、米シンシナティ小児病院の准教授に就任。31歳と言う史上初の若さで教授(東京医科歯科大学と横浜市立大学)に就任した逸材だ。

「ストリートメディカル」、医学書に頼るだけではなく現場(ストリート)での気づきからうみだす治療。

と言っても分かりにくいが、ストリートメディカルの重要な目標は、健康と病気の間の状態をさす「未病」の治療を言い、運動不足や食生活の乱れなど、不適切な習慣を送る人が当てはまるそうだ。解説者(尾崎達也氏)によると、未病の概念は古くて新しいと言う。中国の古い医学書「黄帝内経」には「一流の医者は病気にさせない。二流は病気になりかけた人を、三流は病気になった人を治す」とあるそうだ。医療技術の発展はすごいものがあるが、今では生活習慣病による死因が多くを占めるようになっている。その対策は十分とは言えないと言う。未病の人に働きかけ病気を予防できれば経済効果も大きい。経済産業省は、生活習慣病やフレイル(*1)・認知症の予防策を取れば、2034年には60歳以上の介護費を約3兆円、医療費を約1100億円下げられると試算している。その意味で「人の心をどう動かし、予防につなげるか」、ストリートメディカル活動は、医師にとどまらない幅広い分野の知恵の結集が求められている。

上述の武部教授は、横浜市立大学の特別教授として2019年から始めた「ストリートメディカルスクール」と題した教育プログラの主催者を務めている。この会にはデザイナーなど医療とは縁遠い人も参画しているそうだ。若い女性に婦人科の受診を促したり、子供が闘病に前向きになれるアイディアなど活発な議論の中から製品化の動きも出ていると言う。

武部氏は「ストリートメディカルシティ」と名付けた近未来都市の実現に向かっても動いている。「誰もがより良い人生を実現出来る街」とのコンセプトで、生活しながら病気にならない住まいを目指す。実際、「未病」の街づくりを政策として掲げる神奈川県と連携しつつ、横浜近郊の再開発で、患者や障害者、老人、子供がのびのびと生活でき、働き盛りの人は健康への不安を抱えなくてすむ、病気の人もVR(仮想現実)を活用して外に出かける、そんな未来の街の実現を目指す。

中国の故事にあるように、「病気を治療する」も重要だが、「病気にさせない」ことの重要性がもっと喧伝され、推進されてもいいのではないかと、この記事を読んで強く思った。人の幸せにつながる施策として。武部先生の活動に期待しながら、ストリートメディカルの考え方がもっと広がってほしい。

*1:最近よく聞く“フレイル”とは、わかりやすく言えば「加齢により心身が老い衰えた状態」のこと。フレイルは、早く介入して対策を行えば元の健常な状態に戻る可能性があると言われています。インターネットでも診断チェックリストでチェック可能です。

相撲用語が日常生活に浸透!

スポーツ用語で、日常生活に浸透しているのは、相撲用語だ。1月25日の朝日新聞17面に連載中の「相撲余話(8)」を読んであらためて相撲用語が日常的に使われていることにきづかされた。下記にその言葉の一部を列挙する。

序の口:物事が始まったばかり

人のふんどしで相撲を取る:他人に便乗して事をなす

同じ土俵に立つ:環境や条件を揃えて競う

一人相撲:相手がいないのに自分だけ力んでいる

肩透かし”“勇み足”“うっちゃり”番狂わせ“”番付(長者番付など)“”金星“など挙げればきりがないほどある。

なぜ、スポーツの種類はあまたある中で、相撲だけがその用語を日常の世界に浸透させ得たのか?(ヒットする、ホームランなどはプロ野球ことば?)

記事では、スポーツの歴史を言っている。プロ野球は昨年100周年を迎え、サッカーJリーグは創設30年。それに対して相撲は初めて江戸・富岡八幡宮で勧進相撲が催されたのが1684年(貞享元年)で、336年の歴史を有するそうだ。

小さい時(昭和30年前後)を振り返ると、裕福な家にテレビが入り、相撲を見せてもらうのが楽しみだった記憶が蘇る(村医者で、玄関に見物用の椅子を配置してくれた)。当ブログでも紹介した、著名な書家黒田賢一君は栃錦、私は千代乃山のファンで、必死で応援したのも懐かしい思い出だ。プロ野球も小さい頃から阪神ファンで甲子園にも行ったが、相撲程子供たちの話題にもならず、熱中した記憶もない。やはり、国技として江戸時代から親しまれているのが、日常言葉として自然に普及していったのだろう。

今日(1月28日)の朝日新聞の天声人語でも紹介されているが、駿河湾の深海で新種の魚が発見された由。その名前が“ヨコヅナイワシ”。体調1.4㍍、体重25kgの魚でイワシとはグループの違う”セキトリイワシ科”に属するらしいが、その堂々たる姿に加え、主に魚を食べ、植物連鎖の頂点にいるがゆえに関取の中でも横綱とされたそうだ。

ちなみに、当記事で知ったのは、金星(平幕力士が横綱に勝つ)を挙げた力士の給料は引退まで1個につき年24万円加算されるそうだ。最も多いのが安芸ノ島で、16回だそうで、年間384万円の加算があったそうだ。

高度成長期の昭和40年代前半に「巨人・大鵬・卵焼き」と言う言葉がはやったが、最近は相撲人気も昔ほどではないような気もする(特に若い人たちに)。日本で唯一ともいえる国技である相撲はスポーツの中でも特別で、今後とも末永く人気を博してほしい。

冲中一郎