”信頼性“と”信頼感“の違い?!

以前、当ブログで「会社では業績などによる評価(査定)基準に則って処遇や人事を決めるが、主観的である「評判」も大いに加味されている、あるいは加味されるべしというのが、多くの企業の人材育成・評価に関する支援をやってこられた著者の主張である。評価は短期間で作れるが、評判は長期間にわたって築かれるもので、一旦評判を落とすと再び高めるには、相応の時間を要するもの。お客様から得る評判(信頼)と同じ性質を持つ。「評価」には反論しがちだが、評判には反論できない(反論する対象が決まらない)。」(https://jasipa.jp/okinaka/archives/231)と「会社人生は評判で決まる(相原孝夫著)」の本を紹介しながら、「評判を得る」ことの重要性を書いた。

12月3日の日経朝刊29面に「“信頼感”で仕事円滑(脱・独りよがり 3つの“ない”)」のタイトルの記事で、「信頼性」と「信頼感」の違いが書かれている。関西大学の安田雪教授の解説によると「“信頼性”とは、「この製品は信頼性が高い」というように、スペックや能力を評価する時に使う。人に例えるとその時点で身に付けている能力が高いかどうかが判断基準になる」と言う。その人が自分の期待に応えてくれるかどうかは能力とは別物。一方、「“信頼感”とは「必ずやり遂げる」という意図や意志を評価する時に使う」と。能力が多少足りなくてもそれを補う努力をし、何らかの結果を出してくれる、そうした相手が信頼できる人と言うわけだ。いくら能力が高くても、頼んだことをやり遂げてくれるはずだと言う信頼感を持てる相手でなければ頼まないだろう。周囲からの信頼を高めるには、まず、自らが誰かの力になろうと言う意思を明確に持ち、そのために何が出来るかを考えて行動することだ。それが相手にきちんと伝われば、信頼関係を築く第一歩となる。

記事では、「脱・独りよがり 3つのない」の事例として、“妥協しない(日産プリンス東京販売雪谷視点の伊藤数馬さん)”、“遠慮しない(東京ドームの岩瀬菜穂子さん)”、アピールしない(マザーネットの小野里仁子さん)“が紹介されている。特に伊藤さんの話で興味があるのは、「お客様の話に耳を傾け、想像力を全力で働かせながら、お客様の気付いていないニーズを把握する。そして、お客さまが新車を買うのにベストなタイミングを見つける。それまでは一切、車を買ってほしいとの話をせず、時には「今は待った方がいい」と助言することもある」との話だ。「自分の都合で相手を説得して目先の1台を売っても、”その次“はない」というのが信条と言う。すべての営業に通じる「営業ノウハウ」ではなかろうか。

「評価」より「評判」、「信頼性」より「信頼感」。会社生活においてはもちろんのことだが、日常的な人間関係つくりにおいて信頼関係を強固なものにするための参考にしたい。

車いすだったら、日本に住みたくない(佐藤真海)

日経ビジネスの11月25日のインターネット記事(http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20131120/256090/?n_cid=nbpnbo_mlp&rt=nocnt)に表題の記事があった。副題は「五輪招致の顔、佐藤真海氏が語る7年後の東京」だ。佐藤さんは前稿のレーナ・マリアさんとは違って早稲田大学在学中に骨肉種を発症し、2002年から義足での生活を余儀なくされている。リハビリを兼ねて陸上競技を始め、驚くことに2004年にアテネパラリンピックに出場し、その後続いて北京、ロンドにも出場した。健常者から急に障害者になったショックは大きかったと思うが、義足生活2年でパラリンピック出場とは驚く。その精神が、五輪招致の際のプレゼンで、地元気仙沼を襲った東日本大震災を振り返り「大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではない」との言葉に表れていると思う。まさに前稿のレーナ・マリアさんの「悲しんだり、落ち込んだりしたことは一度もない」と自分に出来ることに邁進した姿勢と相通じるものがある(http://jasipa.jp/blog-entry/9193)。

その佐藤さんが10年間世界各国を回る中で、「世界との違い」に何度も愕然とし、東京でのパラリンピック開催に向けて「まだ」を何個つけても足りないくらいやることがあると言う。例えば、日本における障害者のスポーツトレーニング環境。「味の素ナショナルトレーニングセンター」はオリンピック選手専用、コーチや競技団体も健常者と障害者は別々。ロンドンでは健常者と障害者が同じフィールドで練習することも珍しくなく、リハビリ施設の横にはスタジアムや体育館が作られ、現役パラリンピック選手が指導する。障害者がスポーツに取り組むハードルは日本に比べて極めて低いと言う。

さらにはスポンサー企業の違いにも触れる。ロンドンでは大手企業がパラリンピックを精力的に盛り上げた。大手スーパーマーケットチェーンのセインズベリーは「1ミリオン・キッズ・チャレンジ」と題して数年前から子供にパラリンピック競技に関心を持ってもらうために100万人の子どもに競技を経験してもらうプログラムを実施した。そのキャンペーンのアンバサダーがあのベッカム選手だったそうだ。そのような活動の結果として、ロンドンでのパラリンピックは、朝の部も夜の部もいつも満員、スタジアムが期間中ずっと8万人の観客であふれかえるほど盛り上がったとのことだ。その頃には日本は、オリンピック選手の凱旋パレードが実施され、テレビでもパラリンピックはほんの一部しか放映されなかった。ロンドンでは朝から晩まで生中継で、パラリンピック盛り上げのための選手登場のCMも大きな評判になった。

ロンドンでの障害者に対する接し方も自然体で、日本のように障害者を特別扱いしない。電車に乗ろうとすれば「お手伝いを必要とされているお客さんがいます」と注目され、仰々しく専用エレベーターに乗せられる。佐藤さんは「障害者に対してと言う目線ではなく、全ての人に対しては思慮の視点を持つ」事を提言する。足が不自由なお年寄りもいる。すべての人に対して、子供も大人も自然体で「おもてなし」の心で接することが出来るような社会に日本がなって欲しいと。

「おもてなし」を日本古来の慣習と言うが、「現在の日本社会におもてなしの心や文化があると思うのは幻想」(日経夕刊11.9・青木保国立新美術館館長)と言う方もいる。7年後のオリンピック・パラリンピックを、日本をアピールできる場にするには、障害者・健常者、そして外国人の区別なく、同じ視線でおもてなしが出来るハード・ソフト面での環境つくりが大きな課題となる。

特定秘密保護法案、なぜそんなに急ぐ???

安倍政権になって、脱デフレ対策が功を奏し、気持ちの上でも随分明るい兆しが出てきた。後は実行あるのみで、10月からの臨時国会は「成長戦略実行国会」と安倍総理自ら命名し、規制緩和など具体的な施策が次々と出てくるものと期待していた。が、産業競争力強化法案やプログラム法案など、具体的な施策はほとんどなく、これから検討する工程表が出てきただけのような感じを受け、当初の安倍総理の岩盤規制を崩していくとの意気込みに対して多少落胆している。

それに加えて、特定秘密保護法案の承認プロセスには、がっかりしている。ほんとに久しぶりに、国会特別委員会での審議状況をテレビで真剣に見た。前日(25日)の福島県での公聴会では全員が慎重審議や反対意見を述べたことで、少しは真剣に法案内容に関して議論が行われるかと思って聞いていたが、2時間(最初から決められていた?)と言う短い時間内での議論はまったく実のあるものとは思えなかった。例えば「第三者機関チェック体制は作るのか,作らないのか?」の質問に対し、与党の答弁は「検討していく」「私は必要だと思っている(総理)」と曖昧にはぐらかす。ともかく福島県の公聴会と同じく、法案を通すために「プロセスは踏んだ」との形だけを作ればいいと、数の論理で押し通す意図がありありと見えてきた。そもそもこの法案の担当は菅官房長官だった。NSC法案を優先するため、菅官房長官をそちらに専従させ、急遽森氏を国会の答弁者として担当に割り当てたと言う(法案が承認されるまでの担当?)。答弁を森氏に急遽任せたため、知識不足の森氏の発言が二転三転している。特定秘密保護法案を、国民の大多数が不安視する中で、安倍総理は口では丁寧に国民に説明すると言いつつ、国民を軽視しているのではなかろうかと思ってしまう。

政治家、官僚という種族は、責任を取りたくなく、どちらかと言えば情報は秘匿する方向で考える志向をすると言われる。まさに秘密の範囲が曖昧な場合、丹羽氏の言う「官僚の性(さが)、秘密は増殖する」と思わざるをえない。今年6月に公表された秘密保護と知る権利を調整する国際指針「ツワネ原則」には、独立した監視機関・秘密指定の解除の明確な手続き・公益性の高い内部告発者の保護の3つが謳われている。なぜ、これも無視するのだろうか?30年とか60年とかの特定秘密指定期限も、その時はもはや機密指定者はいないか、責任を云々できる地位にはいない。ノーベル化学賞の白川さんなども反対表明しているが、基礎研究をしている科学者は、その研究結果がどのように適用、応用されるかまでは認識できず、勝手に機密だと言われてしまえば論文発表も出来なくなるどころか、論文発表すれば逮捕される可能性も出てくると恐れている。

今夕(30日)の朝日新聞夕刊に首相秘書官がテレビ朝日の番組で「第三者機関設置を明言」とある。なぜ国会で明言しないのだろうか?安倍政権には脱デフレを期待しているが、100年先を見た国家像という長期視点での議論も国会でしてほしいと願うがいかがなものだろうか?主要なポスト(NHK経営委員など)に安倍総理周辺を充当する人事もあからさまだ。企業に社外取締役を要求する論理(企業でも権力を握ると傲慢になる)と矛盾するのではなかろうか。100年後1党支配の怖さを反省することになる怖さを覚え始めた。

国民に説明責任も果たさず、国民の声も無視して突っ走る自民党に将来を期待していいものかどうか、迷い始めている。

冲中一郎