凡人が勝つ唯一の道(どん底からトップ営業に這いあがった営業マン)

就職してから7年間、クビ寸前のダメ営業マンが一転して4年連続のトップ営業に。今は群馬県高崎で営業サポート・コンサルティングと言う会社を立ち上げ、大企業の営業研修や、全国初となる大学での営業の授業を行っている菊原智明氏。「致知2013.11」の致知随想に表題の記事を投稿している。

父親の影響で、営業に興味を持ち、「月に5台売れ」と言うトヨタより、「4カ月に1戸売ればいい」というトヨタホームに入社。しかし、とんだ思い違いで、トヨタ車はファンが多いがトヨタホームはファンがほとんどいない。7年間頑張ったが、営業成績は全くダメで結婚を契機に家を建てて転職しようと考えていた。自分の家だけは失敗したくないとの思いで様々な情報や資料を集めている時、ある資料に、家を建てたお客様の後悔事例が沢山載っていた(濃い色の床は傷が目立つ、コンセントはもっとつけておけばよかった・・・など)。これをヒントに、「お役立ち情報」としてこれらの情報をお客様に郵送したところ、お客さまからいい反応が返ってくるようになった。その時初めて営業が面白いと心の底から感じたと言う。

会社はいかにオプションをつけて高く売るかを営業マンに求める。菊原氏は、お客様の期待に応えたい一心で、会社の言いなりにならず、ある時は「エアコンは家電量販店で買いましょう。その方が安いですよ」と提案する。ひたすら目の前のお客様に提案していく。こうして、8年目に年間16棟の契約を頂き、以降4年間トップ営業となった。トークが得意でない菊原氏は、その後も営業レターを毎月お客様に送り続けたそうだ。メールや問い合わせには直ぐに返すことなど、小さなことの積み重ねと、「続けること」が凡人が勝つ唯一の道だと言う。コンサルティング会社の本業の傍ら、これまで30冊以上の本も出版されている。これも毎日1時間コツコツとか書き続けておられる成果だと言う。まさに「継続は力なり」。

先月のブログで「営業の秘訣は“お客さま第一”(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2013/11/11)」で同じ住宅販売の積水ハウス会長兼CEOの和田勇氏の事を紹介した。同じブログで、元ソニー生命の伝説の営業マン大坪氏の営業ノウハウも記した。まさに「営業はお客様のために」の気付きがあれば、お客さまからの信頼を得る方策はいくらでもあることを菊原氏の記事も物語っている。凄腕営業マンとトークでやりあっても勝ち目がないとあきらめるのではなく、自分を素直に見直して自分の出来ることを捜し、それをこつこつ粘り強くやっていけばトップ営業にもなれる。「お客さまのために」の視点さえ忘れなければ。

地方で元気な会社は苦労して創り上げた”強み“がある!

主力製品を1点に絞り込み、デザート感覚の「くりーむパン」を大ヒットさせた広島の八天堂(あちこちの店で行列をなすらしい)。糸やニット製品が国内外で脚光を浴び、2009年には、技術を駆使して極細のモヘア糸で作ったニナ・リッチのイエローのカーディガンをミシェル・オバマ大統領夫人がアメリカ大統領就任式で着用して話題になった山形の佐藤繊維。八天堂社長の森光孝雅氏と佐藤繊維社長の佐藤正樹氏の対談記事「厳しい逆境の中でこそ本当のひらめきは生まれる」が「致知2014.1」に掲載されている。双方とも創業80年を迎えるが、倒産の危機など様々な試練を乗り越えて今日に至っている。

佐藤社長は、東京のアパレル会社から22年前に戻り、8年前に4代目社長に。入社時はまさに日本の繊維業界が急速に衰退しはじめたとき。アパレルの下請け会社としては生き残れないとの危機感を抱き、立て直し策に悶々とする日が続いたそうだ。アパレルの下請けではなく、直販することも考えたが、それではお客のアパレルと競合することになる。ある糸に魅せられ、その製造元イタリアまで飛んだ。その工場長の「私たちが世界中のファッションのもとを作っているのだ」との言葉に衝撃を受けた。早速帰って社員に「俺たちも人から言われたモノではなく、自分達だけの糸を作ろう」と呼びかけた。しかし、最初の反応は冷ややかだったが、ある一人のベテランの職人を粘り強く説得し、驚くべき糸が出来た。それが今日に至っていると言う。まさに同業他社が安い人件費を頼って海外に進出しているのを尻目に、国内での差別化を達成したのだ。

一方、八天堂は、森光氏が入社した頃(平成2年頃)は創業の地三原市(広島)にはまだコンビニもなく、焼きたてのパンは朝から飛ぶように売れていた。好調な業績を受けて県内に十数店舗を開店したが、次第にコンビニやパン屋が次々と出来、さらに店長が独立して辞める事態に遭遇し、倒産の危機を迎えることになってしまった。スーパーやコンビニを回って、売れそうなパンを作るが、売れ始めると同業者がすぐ追随して、ダメになる。自分しかできないパンに頭を巡らせるがなかなか名案が出てこない。気付いたのはお客様のパンの購買動機が目的買いだということ(クロワッサンはあそこ、サンドウィッチはこのパン屋さんと言う風に)。そこで1品だけで勝負することを決めた(周囲の反対を押し切って)。それまでも奇をてらったパンをいくつも出し、地元のメディアにも取り上げられていたがすぐ飽きられていたのを反省し、スタンダードな1品を考えた。それが「くりーむパン」。特徴は「口溶け」の良さ。パンがスイーツのように口の中で溶けていく感覚だそうだ。パンは温かいのがおいしいという常識を覆し、「くりーむパン」は冷やして食べる。今では各種メディアにも取り上げられ、各大都市圏各店でも行列を成しているそうだ。八天堂も同業他社が追随できない商品で事業を盛り返した。

森光氏は「私たちが何のために仕事をするか?それは決して売り上げや事業拡大ではない。こちらが勝手に売りたいと思うだけではダメで、私たちの思いがお客様に通じなくてはいけない。それには、私たちが作った商品で、どれだけお客様に喜んで頂けるかに思いを馳せていかなくてはいけない。それこそが経営の原点」と言う。そして佐藤氏は「自分がやる仕事の中に夢があれば、それは何物にも負けない強い力になるし、どんなふうにしてでも作ってしまう。人間とはそれだけの力を持つものだと思う」と。

下請けで、価格競争に陥らないためには、他社と差別化できる何物かをつくりあげねばならない。簡単なことではないが、トップが強い意志を持って、粘り強く挑戦する気概を持たねば達成できない。IT業界も同じだ。

「ガリガリ君」の赤城乳業の躍進の秘密!?

正社員330名で、2012年の売上が353億円。日本で一番売れているアイスキャンディ「ガリガリ君」で知られる赤城乳業が好調だ(6年連続増収)。売れているのは「ガリガリ君」だけではなく、話題性の高い「ドルチェTime」「濃厚旨ミルク」などの商品も同様だ。なぜ、たかがアイスキャンディでこんなにも好調なのだろうか?

多くの著作のある遠藤功氏が出された「言える化~「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密(潮出版社、2013.10.10)」からその秘密が伺える。その秘密は「人づくり」と「言える化」にある。

まず「人づくり」。赤城乳業では、人事政策として「安易に人を増やさない」施策を打ち出す。人が多すぎて過度な分業化が進み、「ぶら下がり社員」が増殖している大企業に比し、赤城乳業では若いうちから大きな責任を与えることによって、一人一人の能力を高め、筋肉質の組織を創ることを目指す。一人一人の裁量権がとても大きく、新入社員と言えども大きな仕事を任せる。「放置プレイ」と社内で呼ばれるほど任せたら口出ししない。本人がギブアップするまでギリギリまで追い込むが、本人が支援や協力を頼んできたときはもちろん助ける。「本当にヤバイと思ったから、大騒ぎした。そしたら、みんなが本気で助けてくれた」との言葉がそれを物語る。発売3日で販売休止となった「ガリガリ君リッチコーンポタージュ(通称コンポタ)」は、売れすぎて供給が間に合わなかったそうだが、これを生み出したのは入社3,5年目の若い二人。

社員が自由にものを言える風土創り、これを赤城乳業では「言える化」と言う。年齢や肩書に関係なく自由闊達にものが言える。井上社長は「組織の活性化、そして一人一人の持つ力を最大限に引き出すことにつながっている」と言う。「言える化」といってもそう簡単に実現できるものではない。一人一人の可能性を信じ、それぞれの考え方や意見をリスペクトする気持ちがお互いになければ、その土壌は出来ない。そしてベテランが、若い人の意見に耳を傾ける「聞ける化」がなければ「言える化」は出来ない。こうした社風は、お客さまをも驚かせる。お客さまとの会議で、若手社員が上司の常務に「それは違います」と反論するのを聞いて目を白黒させることもある。「言える化」の土壌を作る為の制度も充実させている。「失敗にめげない仕組み」として、挑戦に伴う失敗を通常の人事考課とは切り離して処理をする仕組みや、部下が上司を評価する仕組み、「学習する組織」へ脱皮する仕組みなどだ。教育体系の中に、入社同期で映画やミュージカルを鑑賞するというのがある。これはとかく部署が変わると薄れがちな同期の絆を再確認すると同時に、「感性を磨く」ことも目的とするのがユニークだ。

元気な企業は、いろんな工夫をしているが、赤城乳業も「人づくり」の大切さを物語る。

冲中一郎