オランダ・ベルギー旅行~その1~”花の庭園巡り”

4月3日~12日ベルギー・オランダに行ってきた。今回の主目的は、時期的にちょっと早いと覚悟をしつつもチューリップなど花が一杯の庭園を訪れることだ。今回の旅行記は、時系列ではなく、テーマ別に展開していきたい。とりあえず最初は“花の庭園巡り”とする。次回は“世界遺産”としたいと思っている。

まずは、6日目(4月8日)に訪れた、オランダのリッセにあるキューケンオフ公園。東京ドーム8個分、約32haの広大な面積を誇る当公園は、春期間限定の公開にも関わらず(今年は3月22日~5月13日)毎年世界中から100万人もの観光客が訪れる。広大な公園にはチューリップをはじめ、水仙、ヒヤシンス、クロッカス、水仙など様々な球根が、700万個以上、800種類以上植えられている。毎年テーマを設定して準備するとのことで、今年は「ロマンス&ロマンチック」。
なぜ、オランダにチューリップ? オスマントルコ帝国(現在のトルコ)原産で栽培されていたチューリップが、16世紀にオランダに伝えられたそうだ。そして、17世紀のオランダの黄金時代の進展とともに、チューリップも発展を遂げ、人気が集中するあまり、バブル経済を引き起こし、人々が球根を買いあさり、高値がついて市場が崩壊するまで球根はお金として使われたそうだ(1個の球根で家が3件買えるほど)。
それでは、キューケンホフ公園の花の写真をお楽しみください。まずは温室で満開の多彩なチューリップ(日本にはない種類も多い)を。

次に外の世界での満開のヒヤシンスや、三分咲きくらいのチューリップをご覧ください。

池には白鳥ののどかな姿が。オランダで有名な“ミッフィーの家も。桜の花も見られる。


4時間の見学だったが、あっという間の時間だった。

4月10日キューケンホフ公園にチューリップの球根を提供しているザイプのチューリップ畑を訪問した。アムステルダム北西70kmにある世界一のチューリップ球根栽培地だ。東京ドーム20個分の広さの畑にチューリップやクロッカス、ヒヤシンス、水仙などの花畑が広がる。球根の8割はオランダ国内出荷だそうだ。球根栽培なので、庭園とは違い咲いた花はすぐ切り取られる。水仙、ヒヤシンス、クロッカスは今が花盛りだが、チューリップは残念ながら花はまだだった(インターネットで見ると見事な光景が映る)。最後の写真で、これがすべて赤、黄色、白などの花で埋まった姿をイメージしていただきたい。

ベルギーのブリュッセルでは、“ブリュッセル・フロラリア”が近くのグランピガール城の庭園で開かれていた。4月6日~5月6日の1か月間に開かれるベルギー最大のチューリップなどの球根花のフラワーショーで、訪れたのが、開催日の4月6日だった。ここでもチューリップはまだ早く、水仙が主体だった。しかし、温室内は多彩な花が飾られ、見事な光景を楽しむことが出来た。

花は上記庭園だけではなく、桜、モクレンはじめ、水仙、チューリップの花などが訪れた随所で見られた。チューリップは4月下旬頃がいいのだろうが、今回の旅で十分満喫できた。

二人三脚経営(松下幸之助&高橋荒太郎)

名経営者も二人でお互いの信頼関係で経営を万全のものにした事例は多い。ソニーの井深大氏と盛田昭夫氏、ホンダの本田宗一郎氏と藤沢武夫氏が有名だが、松下電器産業の創業者松下幸之助氏と、創業者を陰で支え続けた”大番頭“高橋荒太郎氏の関係も興味深いものがある。「致知2018.4」の両氏を師と仰ぐ元副社長の平田正彦氏の記事を紹介する。
高橋氏は、松下電器に吸収された朝日乾電池の常務から松下電器の正社員になり、昭和18年常務、以降、取締役、副社長を経て昭和48年会長となられた方だ。日本敗戦時、他の財閥と同様にGHQから社の資産凍結さらには創業者の資産までもが凍結され従業員が路頭に迷う事態に遭遇した。その時、GHQ本部への陳情の先頭に立って指定解除を勝ち取った(昭和25年)。当時すし詰めの夜行列車で100回東京に向かったそうだ。創業者は「高橋さんのお陰」と二人の絆が一層深まったという。その後、業績の悪い事業の立て直しや当時激しかった労使闘争の折衝役など日の当たらぬ部分で厳しい役回りを引き受けていたそうだ。高橋氏の現場の人たちの気持ちを大事にする信念は労使折衝でも功を奏した。昭和31年創業者が5か年計画として売上高4倍、従業員を7千人増やして1万八千人にすることをぶちあげた。マスコミは「幸之助の大風呂敷」と揶揄し、高橋氏も懸念を表明したという。高橋氏の懸念とは、増員した7千人が松下の経営方針を理解しないままで仕事をしたら会社はガタガタになるとの懸念だったという。そこで高橋氏は創業者と話し合い、7千人に向けて徹底した経営方針の教育実施の了解を取り付けた。そして、「松下の人事は?」「上司は部下に対してどう向き合うか」などの人事方針をまとめ、自ら各事業部を回って説き続け、管理職にも説かせた。その結果、5カ年計画を1年前倒しで達成させた。その人事方針の一部が紹介されている。共感するところがあるため、ここに紹介しておく。
・経営方針の理解と徹底の如何がその事業の進展を左右する。
・良い経営の根幹は人である。忙しいときほど育成に心がけよ。
・上に立つものは、誠意と大きな愛情をもって従業員に接せよ。
・権力で人を使わず、理解と信頼によって人を動かせ。
高橋氏は「経営方針の布教師」「ミスター経営方針」との異名があるそうだが、経営方針の重要性と、それによって従業員の心を一つにすることの意義をだれよりも熟知されていた。この記事を書かれた平田氏も、日本ビクターの立て直しを創業者より命じられ、高橋氏の指導にならって松下電器の人事方針の精神を徹底的に社内に浸透させることで、一世を風靡した「VHS」を誕生させるまでになったとのことだ。

社員が働く意義を理解し、共感できれば、その力は限りなく大きなものとなることの証左とも言える。もっとも経営方針が、世間でも評価されるものであることが条件だ。松下電器では、創業者や高橋氏が個人や一企業の利益を超えて人類、環境の共生を踏まえた経営方針をいち早く考え実践に移した。その経営方針は
「産業人たるの本分に徹し、社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与せんことを期す」
今では、SDG’sやESG投資が世界的な流れになっているが、この経営方針は半世紀以上前に策定されたものだ。松下幸之助氏の慧眼には驚く。そして、それを率先して実践した高橋氏との二人三脚が、松下電器の経営を盤石なものにしたとも言えるのだろう。経営者は孤独なものだ。信頼できる相棒を見つけ、育て、二人三脚での経営を目指すことで更なる発展を目指すことも考えてみてはどうだろう。