第5回JASIPA経営者サロン実施(23日)

恒例となった標記サロンを昨夜(19時~21時)、JASIPA事務局(飯田橋)で実施した。第4回から参加者公開募集に切り替えたが、今回もいつものメンバー主体の10人で開催した。

テーマは「人材育成」だったが、第一部でメディアミックスの和知社長(JASIPA理事長)から、1995年創業以来の会社管理の仕組みに関して詳しく説明があった。必ずしも順風満帆の会社業績ではない初期の段階から、企業理念の策定、経営計画や経営会議の設置、営業マンの採用、顧問の採用、社内SNSの導入、外部講師を招いての社内研修など矢継ぎ早に整備してきた「社長としての決断の歴史」は、参加者にとって大いに参考になったものと思う。必ずしもすべての施策が上手くいっているとは限らないが、オーナー企業にありがちな社長権限の強大化を抑制するために経営会議の民主的な運営を心掛け、その席にベテラン顧問の出席も仰ぎながら自らをけん制する制度は、恐らく社員からも歓迎されているのではないかと思われる。

2部では、「人材育成」をテーマに議論した。とかく人材育成というと研修を受講させておればいいというものではなく、研修を核に、OJTなどを組み合わせて如何に研修成果を発揮させるかが重要で、そのためにどんな工夫をしているのか意見交換した。新人研修などで、フォローのために2年目、3年目研修を実施するなどの工夫をしている企業もあり、研修後のフォローは意味あるとの意見もあった。受講前に、受講の意義、受講後の成果発揮期待などを言い聞かせ、モチベーション高くして受けさせることも重要だ。JASIPAでは、今後会員に研修の場を提供することとし、一部理事企業から社内研修への参画を呼び掛けているが、社員が自主的に参加したいとの意思表示をして応募してくる企業が出始めていることは喜ばしいことと思う。各企業SE同志の交流を活性化しながら、いろんなお付き合いの中で「気付き」を得ることは各人の成長の起爆剤となると思う。「エビングハウスの忘却曲線」では、研修内容は、研修後1日経てば74%忘れるとのこと。折角の研修を自己満足に終わらせず、しっかり成果を出させる施策の必要性を、経営者としても認識すべきとの議論に参加者の間である程度納得してもらえたのではと思う。

次回は9月27日(木)19時~21時を予定している。テーマが決まり次第JASIPA会員の皆様にお知らせが行くと思います。皆さまのご参加を心よりお待ちしています。

当日第2部で提示した資料を添付しておく。

<第5回JASIPA経営者サロン資料>    平成24年8月23日

テーマ:人材育成

1.研修:研修の直接的成果を発揮させるためには?→討議ポイント

  • ・研修者の人選?
  • ・研修を受ける目的・心構え
  • ・研修後の実践、復習
  • ・同僚との競争意識・・・
  • (注)社外研修では、研修仲間との関係を創りこむことも重要!

2.日常的に学習する雰囲気創り(学習する組織learning organization)

  • ・グループ内で切磋琢磨する
  • ・社内有志で勉強会
  • ・社外メンバーに呼び掛けて勉強会

3.日常的に人を育成するために

  • ・育成する人材像の明確化(経営・リーダー層、技術のプロ)
  • ・任せる、失敗を許容
  • ・敗者復活制度(not罰点制度)
  • ★何が最も人のマインドを刺激することになるか?→討議ポイント

<参考>荻生徂徠の「人を育てる徂徠訓」
一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて始めて長所の現るるものなり。
二、人はその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
三、己が好みにあう者のみを用うる勿れ。
四、小過を咎むる要なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用うる上は、その事を十分に委ぬべし。
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
八、かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。

中学時代に覚えた懐かしい詩が!

思わず「懐かしい!」と叫びそうになった詩が、「致知2012.9」に掲載されていました。当ブログで過去にも紹介した鈴木秀子氏の連載「人生を照らす言葉」の記事の中にあった。文学者上田敏が明治38年に出した「海潮音」というヨーロッパの訳詩集の中の、ロバート・ブラウニングの「春の朝」である。

時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡に露満ちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす、
すべて世は事も無し。

中学時代以来、特に目にすることもなかった詩であるが、なぜか今でも何も見ずに歌えるほど記憶に鮮明だ。鈴木氏のこの詩の解説を下記しておく。

「雪が解け新しい生命の息吹が溢れ出そうとする春。その中でも朝はすべての物事が躍動しようとする時間です。新鮮な空気に触れて私たちも気持ちを新たに一日のスタートを切ろうと言う気持ちが湧いてきます。岡の木々は露をしたらせ、朝日を受けてキラキラと輝いています。大空を見渡せば雲雀が啼きながら飛び交い、木の枝には蝸牛が自分なりの速さでゆっくりと這っている・・・。(中略)普通に日常生活を過ごしていると、そういう一瞬一瞬の奇跡をついつい見過ごしてしまいがちです。木の葉が露に濡れていてもその美しさに心がときめくことはありません。雲雀が啼いていても「春だから当たり前」と思ってしまいます。しかし、昇ってくる美しい太陽の輝きも、爽やかな目覚めも、朝の空気もすべて無条件に私たちに与えられているものばかりであることに思いを馳せるとき、心の奥底から静かな喜びと感謝の心が湧きあがってくるのではないでしょうか。」

なぜ、この詩が私にとって懐かしいか?その理由は定かではないが、恐らく中学時代弁論部の顧問の先生(国語担当)の指導により、防犯弁論大会(「防犯」と「交通安全」の大会が交互にあった)で、この詩を引用したのではないかと思う。弁論大会の本番前は、全校生の前で、あるいは教室で何度も何度も練習させられたが、その時の繰り返しで、リズム感のいいこの詩を体得できたのではないかと思う。あらためてこの詩を読むと、鈴木氏の言われるように、我々は大自然の生命、愛に包まれ生きている、日常の平凡に見える光景にも感謝と喜びの心を持つことが「本当の幸せ」と言えるのだろう。中学生時代、先生の指導、解説で、この詩が好きになったのかも知れない。その先生とは昨年亡くなられるまで、年賀状のやり取りをさせて頂いた。

涼を求めて「立山」へ

2泊3日で立山アルペンルートへ行って来ました。「涼」を求めて、願わくは高原の景色と満点の夜空が見えればとの思いで・・・。しかし、天気予報は芳しくなく、レインコートなど雨支度を十分しながら旅に出ました。

1日目は大町側からアルペンルートに入り、扇沢から関電トロリーバスで黒部ダムへ。夏季(6月下旬から10月中旬まで)は、毎日放水しているとかで、大迫力の虹付き大放水が見られました。圧巻でした。ここからケーブルカー(日本で唯一のトンネル方式:何も見えない!)、ロープウェイ(見晴最高)、トロリーバスで一気に標高2450mの室堂へ。心配した天気は、予報に反して絶好の天候となり、気温16度の涼しさと、立山連峰の眺めの素晴らしさに、感動!室堂散策で、チングルマなどの高原の花も多彩で、目を楽しませてくれました。ミクリガ池など残雪が間近に見られました。天狗平(2300m)の立山高原ホテルに着いた直後に、土砂降りの雨で、山の天気の変化の激しさにビックリ。夜の星空を諦めていたところ、時間が経過するにつれ、雲間から星が見え始め、満天の星空に変わっていった。丁度、富山大学の「天文同好会」の学生二人が同宿で、ホテルの望遠鏡を持ち出して土星を見せてくれたり、星の説明をしてくれたり、時の経つのを忘れて星空を堪能することができました。輪のある土星を見たのは初めてでした。冨山大学の学生に感謝!酸素が地上より20数%少ないそうで、多少の疲れを感じながら心地よい1日を過ごすことが出来ました。

2日目は、弥陀ヶ原(1930m)の散策、そして昭和天皇、皇后も見られたと言う称名滝を見ながら、地上に降り立ってきました。宇奈月はうだるような暑さでした。3日目に黒部峡谷トロッコ電車に乗って欅平へ。欅平も標高600mほどのため、猿飛峡までのアップダウンの多い道を歩くのに汗だくでした。

予想に反して3日間とも天候に恵まれ、「涼」に加えて、アルプスの景観と星空も見ることが出来ました。立山アルペンルートは、自然の厳しさの中、黒部ダムに象徴されるように人間の果てしない底力を感じずにはおられない所でもあります。映画「黒部の太陽」にもあります壮絶な破砕帯との戦いを思い出します(「黒部の太陽」は今年全国を巡して映写会を実施中)。