人生ニ度なし(森信三)

哲学者・教育者として著名な森信三(1896-1992)氏が大阪の天王寺師範学校の講師時代の講義内容をまとめた「修身教授録―現代に蘇る人間学の要諦―」が致知出版社から復刊された。本の帯には「小島直記氏絶賛!(中略)奥深い真理が実に平明に、丁寧に語られていて、おのずと心にしみてくる。よほど愛と謙虚さと使命感と責任感がなければ出来ないことだ。」とある。その中に、「人生ニ度なし」という有名な言葉がある。

「そもそもこの世の中のことというものは、大低のことは多少の例外があるものですが、この『人生二度なし』という真理のみは、古来只一つの例外すらないのです。しかしながら、この明白な事実に対して、諸君たちは、果たしてどの程度に感じているでしょうか。すなわち自分のこの命が、今後五十年くらいたてば、永久に消え去って、再び取り返し得ないという事実に対して、諸君たちは、果たしてどれほどの認識と覚悟とを持っていると言えますか。諸君たちが、この『人生二度なし』という言葉に対して深く驚かないのは、要するに、無意識のうちに自分だけはその例外としているからではないでしょうか。要するにこのことは、諸君たちが自分の生命に対して、真に深く思いを致していない何よりの証拠だと言えましょう。すなわち諸君らが二度とない人生をこの人の世にうけながら、それに対して、深い愛惜尊重の念を持たない点に基因すると思うわけです。」

この言葉が、齢65歳にならんとする私にも、かなり激しく心に響きます。就職して、実際に実業で活躍している人たちを知った時、なぜもっと学生時代に○○を勉強しておかなかったか」と後悔することも度々あったが、もう既に学生時代は過ぎ去り、元には戻らない。現在も、経営や人生に関する偉大な方の言葉に触れる機会が増えたが、もっと早く知っていればもっと意義ある人生を送れたかもしれないと思うが、もうその知識を活かせる時の大半は過ぎ去っている。反省することばかりだが、少しは自分の将来を真剣に考え、行動していればもっと充実した人生になったのではと思う。

最近当ブログにUPした「人の命の摩訶不思議さ(http://jasipa.jp/blog-entry/7116)」にあるように、膨大な数の運命に支えられて生を受けた、その人生をもっと真剣に意義あるものにするために、やはり森信三氏が言う「立志」を若い時から考えるべきだった。

「真に志を立てるということは、このニ度とない人生をいかに生きるかという、生涯の根本方向を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち勝つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬのです。(中略)そもそも真の志とは、自分の心の奥底に潜在しつつ、常にその念頭に現れて、自己を導き、自己を激励するものでなければならないのです。」

今からでも遅くない。悔いのない、楽しい人生を送るための人生設計を考えたい。

情報産業新聞社での対談に出席(グローバル人材育成をテーマに)

12月20日に東京タワーにある情報産業新聞社に呼ばれ、行ってきた。何の要件か具体的にわからず行ったのだが、IT業界に人を送り出す立場の人と、受ける側の中小ITベンダーとの対談で、テーマは「グローバル人材の育成」。最初からテーマが分かっていたら、もっと適材がいると断ったのだが、行ってから分かったのでは断るわけにはいかず、1時間30分の対談で好きなことを言ってきた。お相手は、日本プログラミングスクールの佐々木統括責任者と、船橋情報ビジネス専門学校の鳥居校長。ベンダー側として中小ITベンダーを代表してJASIPA特別顧問の私。内容は、近々情報産業新聞に掲載される予定なので、割愛する。

以前紹介したOECD(経済開発協力機構)が実施中の「国際成人力調査」(http://jasipa.jp/blog-entry/6870)に絡んで、日経新聞が「問われる成人力~国際競争を勝ち抜く~」と題したシンポジウムを実施(12月2日)し、その内容が24日の朝刊に紹介されていた。小説家浅田次郎氏、近藤文化庁長官、雑賀三井物産代表取締役、三塩圭子元テレ東アナの対談記事です。日本人の特性(けんかしない、自己主張しない、突出しない)を自覚したうえでいかに付き合うか考えるべきと浅田氏は言う。学生の向学心を如何に喚起するか、コミュニケーション力に加えて、ディベート力を如何に育成するか、そして人間としての総合的な成熟度(=成人力)、すなわち「この人は人物だな」と言われる人に育てるか、我々世代も真剣に考えるべきと説く。

外資系トップ(マイクロソフト)を経験した成毛真氏が「日本人の9割は英語はいらない」(祥伝社)という本を出した。英語だけでは、グローバル人材として諸外国の人と対峙していくのは難しいというのは定説になってきている(と思う)。日本人には外国人コンプレックスもあると思う。無理やり隣に外国人を座らせ、一緒に仕事をさせるような施策も必要なのかも知れない。ともかく、グローバル化の進展は必然のものとして、何か動かねばならない。

人の命の摩訶不思議さ

医者でもある平澤興氏(元京都大学総長)は言う。「人間の命は、実はただ一つの命ではなく、凡そ世界総人口の1万倍の小生命、即ち約50兆の細胞からなる生命共同体で、僅か約50億(現在は70億だが)の人口のこの地上に紛争の絶えない事を思うと、数10兆の細胞的生命の共同体たる人間には毎日もっと故障が起こってよい筈だが、その割に何と病気の少ないことか。」

月刊誌「致知」出版社社長の藤尾氏は言う。「私たちは一人の例外なく父と母があることによってこの世に生を得た。その父と母にもそれぞれ両親がいる。それをさかのぼって行けば、どうなるか。十世代で1,024人である。ニ十世代で1,048,576人、三十世代では1,073,741,824人、四十世代さかのぼれば、1,099,511,627,776人。この祖先の命が1回も途切れずに今日に生きているのがあなたの命であり私の命である。この命の連鎖がどこかで断ち切られていたら、あるいは別の人に代わっていたら、あなたも私もここに存在しない。無限無数の命に支えられて、私たちの命はいま、ここにある。」「まさに奇跡の命であり、人生である。」

さらに平澤興氏は言う。「今日無事に目が覚め、元気で暮らしているなどと言うことにしても、全く不思議極まることなのである。心臓が無事に動いているのも、心臓や腎臓が無事に働いているのも、更には肺が働いて元気に呼吸が出来るのも、みなわれわれが頭を使って工夫をして働かせておるのではなく、われわれの知らぬ間に巧妙な神経の働きや、ホルモンの力などで、まったく自動的に行われておるのである。」

40年間医者として、人体の構造を研究して来た平澤氏が、人の命の不思議さを言う。その不思議さを思う時、藤尾氏は「天が生命体に託した課題は何か?一生をかけて果たしていく道、その思いから先覚者たちは、成長し続けることを自己の命題とし、生涯修行を使命として生きた」と言う。平澤氏は、「本当に不思議ということが分かると、自然にその不思議に頭を下げざるを得ない。毎日の健康は、それ自体不思議なことで、病気のときなどはこれを感謝の機会としたらどうか。」と言う。さらに「朝に希望、夕に感謝。今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣になり、天性となるような生き方こそ最高だ。」と。

この不可思議な、そして貴重な命を大事にして、精一杯悔いのない人生を送りたい。