「組織・風土改革」カテゴリーアーカイブ

企業文化がプロフェッショナルを生む!

リコールに相当する欠陥を知りながら販売を続けたり、品質基準に満たない製品をデータ改ざんして出荷したりするなど、職業倫理を欠く行為がたびたびある。近くでは三菱電機の30年以上に渡る品質不正事件が発覚した。

「致知2021.8号」に連載中の「仕事と人生に生かすドラッカーの教え(ドラッカー学会理事 佐藤等氏寄稿)」に、冒頭の”職業倫理を欠く行為“を起こさぬための組織文化、企業文化に関するドラッカーの考えを記している。

記事のリード文は”プロフェッショナルにとっての最大の責任は2500年前のギリシヤの名医“ヒポクラテスの誓い”の中にはっきり明示されている”知りながら害をなすな“である”。「組織を構成するプロフェッショナルは冒頭のようなことを冒すはずがない」、と。

現代の組織は、何らかの意味で卓越性をもって社会に貢献している存在。つまり、卓越性はプロフェッショナルの基盤。それゆえ提供する製品やサービスに嘘や偽りがあってはならない。専門家でない者はそれを見抜く能力をもってない筈。上記のような職業倫理に反する行為はコンプライアンス違反と言われるが、単に法令を順守すればいいのかというとそうではない。法令はどのような行為が正しくないかを示すに過ぎないが、倫理はどのような行為が正しいかを示す。

ドラッカーは「マネージメントの立場にあるものはすべて、リーダー的地位にあるグループの一員として、プロフェッショナルの倫理を要求される。すなわち責任の倫理を要求される(ドラッカー著“マネージメント”より)」と言う。プロフェッショナルの倫理は組織行動を通して実現するもので、問われるのは“組織の在り方”と言う。

組織文化として有名なのが、ジョンソン・アンド・ジョンソンの「我が信条our Credo」(1943年制定)だ。何者かに毒を混入された製品事故(1982年、1986年)の際、当初生産工程に問題があると思い、事実を包み隠さず発信し続け、3100万個の製品回収を即座に実施、1億ドルの損失を被った。この行動の原点が「我が信条」だ。「我々の第一の責任は、我々の製品およびサービスを使用してくれる患者、医師、看護師、そして母親、父親をはじめとする、すべての顧客に対するものであると確信する」とあり、さらに顧客、社会、株主と言う順序で優先的に負うべき責任が明示されている。我が信条の起草者で最高経営責任者は、「“我が信条”がわが社の経営理念だ。これに賛同できない人は他社で働いてくれて構わない」と言い放ったそうだ。

経営理念の形骸化は、まさに「知りながら害をなす」の典型として直ちに改めるべき。経営理念や信条の遵守は、プロフェッショナルの倫理の中心に据えるべきもの。

ドラッカーに言わせれば、冒頭に述べた職業倫理を欠く行為は、組織として論外と言い放つのだろう。当記事では、稲盛和夫氏の自問「動機善なりや、私心なかりしか」や、平澤興1日一言にある「誠実の心は、己に対し、他人に対し、また仕事に対し、物に対して常に己の最善を尽くし、良心を欺いたり、手を省いたりしないのであります」との言葉を紹介し、組織作りは我づくりから、修己治人の原則を胸に人格の涵養に努めたいと締めている。

現役を辞してもはや10年の私だが、人生100年時代、何事に対しても誠実さを失わず、悔いのない綺麗な人生をこころがけたい。

“アンコンシャス・バイアス”で森前会長の発言を解釈!

3月2日の日経夕刊1面のコラムで、「アンコンシャス・バイアス」のタイトルで、法政大学総長田中優子氏が寄稿されていた。「オリンピック組織委員会前会長(森さん)の女性蔑視の発言ほど、“アンコンシャス・バイアス“の実態が見えたことはない」との主張で、紹介されており、納得性のある記事だったので紹介する。

”アンコンシャス・バイアス“に関しては、2年前当ブログで”アンコンシャス・バイアスって“と題してUPしている(https://jasipa.jp/okinaka/archives/9182)。組織内でアンコンシャス・バイアスに意識を向けることは、職場の心理的安全性 を高め、組織と個人のパフォーマンスの向上に役立つ」との事で各企業も研修に力を入れ始めたとの紹介をした。

今回の記事によると、法政大学では2016年のダイバーシティ宣言後教職員対象に外部講師を招いて研修をしているそうだ。

”アンコンシャス・バイアス“とは、「自分では自覚できない無意識の偏見」のこと。当記事では、森氏の件に関して、下記のように言われている。

森氏は「これは解釈の仕方だ」「女性を蔑視するとかいう気持ちは毛頭ない」とおっしゃった。自覚できていないわけだから正直な気持ちだろう。JOCの山下会長は「森会長は女性役員の40%登用などかなり強力に推進していた」と述べている。私は、これは事実だと思う。その事実に対応するのが「女性理事4割、これは文科省がうるさく言うんでね」という森氏の言葉だ。つまり理解も納得もしていないが、「うるさい」ので仕方なく推進していた、と本音を述べたのだろう。

2月3日の女性蔑視の発言にも触れて、田中氏は最後に下記で締めくくっている。

本を読まず、社会の動向を学ぶこともなく、新聞も気に入る箇所しか読まない日々が想定される。年齢の問題ではない。じきに退職する私にとって、ありがたい半面教師であった。高齢者は学び続けよう。

最近、国会でも問題になっている、政治家、官僚の信じられない行動をどう考えればいいのか。「無意識の偏見」に似た「無意識の行動」ともいうべきか?なぜ普通に考えれば、変だと思うことが出来ないのか?トップへの忖度で、自由にモノが言えない、言えば降格される、そんな集団が日本を牛耳り、幹部クラスがトップに盲従している実態が恐ろしくなる。企業にはコーポレートガバナンスを強制しながら、足元がこんな状態では日本の将来が危ないと感じるのは、私だけだろうか?官僚の退職者が増え、官僚志望者が減っている現実は何を物語っているのだろうか?今のままでは日本がヤバイ!

私も、無意識の偏見、行動に陥らないように、学び続けたいと思う。

八ヶ岳の麓のスーパーがユニークな取り組みで大繁盛!

豊かな山梨県八ヶ岳の麓にあるスーパー「ひまわり市場」は、地元の人のみならず、県外からも大勢の人が詰めかけ、客足が途絶えることのない人気店だ。もともと赤字続きで倒産寸前だったという同店を、ユニークな取り組みと、愛にあふれた経営で再生に導いた那波秀和社長に、その改革の軌跡と共に、皆を笑顔にする経営のヒントを語っていただいた。

これは、「致知」11月号に掲載の記事「すべての人を笑顔にする経営を目指して」のリード文だ。甲府の魚市場に勤めていた時、ひまわり市場の先代社長に会い、誘われるままに32歳の時転職、すぐ店長を命じられた。が、先代社長は業績好調の別事業に集中し、スーパー事業は赤字でもいいとの雰囲気で、社員はやる気もなく、若造の言うことも聞かないような状態だった。そのうち、好調だった事業もうまくいかず、倒産の危機にも直面。安売りなど必死に対策をいろいろうつが上手くいかず、お客様に商品の価値をきちんと伝え買っていただくにはどうすればいいか、高級食材を扱う成城石井のバイヤーに教えを請いに飛んで行った。そして、現在の好調を支える“ユニークな取り組み“に辿り着いた。

店長自らの”マイクパフォーマンス“だ。「今ちょうどカツオの刺身が出ました!」「いま取り立ての枝豆入りました!」など朝から夕方まで時間があれば、マイクでお客様に情報を提供している。以前は懇意な問屋に仕入れを任せていたため、品ぞろえが偏っていたが、仕入れ先を広げ多様な商品を揃えたことから、お客様に他のスーパーでも見る”ポップ“で商品紹介していた(他と違って、例えば台湾が好きな社員が仕入れたバナナには「台湾が好きすぎて台湾へ旅行に行ってしまった」のような、背景にある物語を伝えることを意識)。がポップはそこを通ったお客さましか見ないことから、多くの人に情報を伝えるためにマイクパフォーマンスを考えたそうだ。

マイクパフォーマンスは、商品の魅力を伝えるだけではなく、それを仕入れた社員についてもありったけの美辞麗句で持ち上げる。毎朝朝礼でも社長の思いをぶつけるが、「この食材なら山梨で一番の目利きになろう」とか、社員がマイクパフォーマンスに応えようとし、自発的に本当に良いものを仕入れてくれるようになったと言う。マイクでは嘘はつけないため、品質を重視する風土も出来上がる。

結果として業績が上向き、ボーナスも出せるようになり、働きかたもブラックイメージから、完全週休2日制や育休制度、住宅手当も出せるようになり、繁忙期以外は8~9時間で家に帰れるようになった。那波さんは「社員が楽しく活き活き働ける環境を作れば、お客さんも満足して、自然と売り上げも上がって、頑張った分を社員に返せば、さらに一生懸命に働いてくれるようになる」と言う。さらに「会社と言う組織は、皆が仲間として信頼しあって働き、お客さんや取引先も含めて、皆が幸せになるために先人が考え出した仕組みだと思うんです。その会社が人を追い詰めるような存在になってしまってどうするんだ」と。

来年のNHKの大河ドラマに渋沢栄一が登場する。「論語と算盤」の精神がまさに、八ヶ岳の麓で花開いている。