英語名クリニクラウンの臨床道化師とは、病院を意味する”クリニック“と道化師を指す”クラウン“を合わせた造語で、入院生活を送る子供たちの病室を定期的に訪問し、子供たちの成長をサポートしながら笑顔をはぐくむ道化師のことを言う。クリニクラウンによる国内初の組織を結成し(平成17年)、日本に新たな道化師文化を醸成してきた臨床道化師塚原成幸氏と笑いを研究テーマの一つに掲げる筑波大学名誉教授村上和雄氏との対談記事が「致知2016.9」に掲載されている。
東京出身の塚原氏は、満員電車の中などで、ともかく笑いが少ない世界を問題視し、道化師を目指す。最初は、劇場やテーマパークで仕事をしていたが、ある時「劇場に来る人が本当に笑いやユーモアを心の底から必要としているのだろうか」との疑問を持ち、自分で足を運んで笑いやユーモアを必要としているところに出ていくしかないと考え、クリニクラウンの組織を結成することになったそうだ。
小児医療の現場で活躍されているが、その考え方にも共感を覚える。訪問した際の演劇で一時的な笑いを提供するのではなく、子供たちや両親、看護婦など周辺の人たちの心に後々まで残り、お互いの関係(母と子供、子供と看護婦の信頼関係など)を改善し、臨床道化師の役割を誰でもが果たせることに気付いてもらうことだと。例えば、子供を入院させて自分を責める母親も多い中で、演劇の途中で母親に参加してもらい、子供が母親の手を握り返す姿に、子供の母親を思う気持ちを感じてもらい母親に自信を取り戻してもらう。
笑いを提供し、笑いを拡げていく役割を果たす道化師を専業とする人はまだ全国で100人程度とか。塚原氏の座右の銘は「人は楽しいから笑うんじゃなく、笑うから楽しい」という。テレビやゲームに熱中して、遊び(心)を知らず、 “楽しい”“嬉しい”“悲しい”との感性にも弱く、他の人との関係性にも疎いまま大人になっていく子供たちに焦点を当て、“笑い”を拡げていく道化師。これまであまり知らなかった世界だが、こんな立派な役割を果たそうとする職業であることを知った。日本の将来を担う子供たちのためにも頑張ってほしい。
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「笑顔を取り戻す」哲学者の言葉
笑顔の効用については、何度か当ブログでも紹介してきた(”笑顔“あるいは”笑い“で検索してください)。古い記事ですが、「PRESIDENT Online2016.4.30」に「”笑顔を取り戻す“哲学者の言葉」との記事があった。リード文には「獏として不安。湧かぬ意欲。取れない疲れ・・・・。そんな心の病巣を開くメスのように的確に探り当てるのは、古今の碩学の紡いだ英知の言葉。小説家須藤靖貴氏にその珠玉の数々を選び抜いていただいた」とある。
まずは今人気のオーストリアの心理学者アドラーの言葉。
楽観的であれ。
過去を悔やむのではなく、
未来を不安視するのではなく、
今現在の「ここ」だけを見るのだ。
勇気のある人は楽観的である。過去のことをグズグズ考えたり、先行きを心配したりせず、気持ちをただ今、できることだけに集中する(当ブログでも同じ意味合いの“いま、ここ“を消化している)。フランスの哲学者アランの言葉。
悲観主義は気分によるものであり、
楽観主義は意思によるものである。
僕は幸せだから笑っているのではない。
逆である。
笑うから幸せなのだ。
気分屋は、すぐ悲しみや怒りに捉われる。
怒りは無謀をもって始まり、
後悔をもって終わる。
あの「ピタゴラスの定理」の古代ギリシアの数学者・哲学者ピタゴラスの言葉。怒りに任せて動くと、おおかたよくない結果が待っているとの戒めだ。
5年前当ブログを始めたときに掲載した「ブスの25か条(運を逃す)」(元宝塚貴城けい氏作http://okinaka.jasipa.jp/archives/6)は、男女共通の運をつかむための人間のあるべき資質を逆説的に説いたものとして今回のテーマと相通じるものがあると思う(宝塚歌劇団の壁に貼られているそうだ)。一度見ていただければと思う。私も家にいる時間が増えた今、家内から「口はへの字ではなくスマイルに」とよく言われる。それが、自分の健康にも、家庭の平和にもつながるものと実感している。
気仙沼で東京出身の20代の女性が“未来の老舗作り”!!(御手洗瑞子)
東京大学を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、ブータン政府の初代首相フェローとして産業育成に従事(2010~)し、2012年に「気仙沼ニッティング」社を立ち上げた(27歳)、新進気鋭の女性社長御手洗瑞子さんが、「PHP松下幸之助塾2016.3-4」に紹介されている。
ブータンに赴任中、東日本大震災の被災地の映像にショックを受け、「日本のために働きたい」と2012年に帰国、復興支援に携わった。「被災した方々が自分で稼ぎ、自分の足で立つことのできる仕事を生みだして”誇り“を取り戻すことが必要」との感じを抱いた。その時、ブータン時代から親交のあった糸井重里さんから「気仙沼で編み物の会社をやりたいんだけど、社長やんない?」と誘われたそうだ。東京出身で気仙沼の事など分からず、編み物も得意なわけではなく悩んだが、「誰かがやらなきやならないんだ」と準備を始める。やると決めれば、「お客さまと編み手双方が幸せであること」との志をしっかり心に持って、自立できる企業を作るためには「お客さまに満足いただけるクォーリティを重視」、そしてそのために「編み手が常に成長し続けるために、常にステップアップできる環境を作る」ことを徹底的に追及する。気仙沼を「被災地」ではなく、最高品質の編み物の生産地という憧れを持たれる土地に変える。
抽選販売のノルディックセーター(税込19万4400円)、オーダーメイドのカーディガン(税込15万1200円)には注文殺到。レディメイドのエチュードも人気商品で、在庫も少なく、作れば売り上げも上がるが、これは編み手が最初に手掛ける商品で、習得すればより高度なものにチャレンジしてもらうため、むやみには作らない。「気仙沼以外にも支部を作っては」との話もあるが、「編み物の盛んな東北の街、気仙沼」とのストーリーをぶれさせないことに注力するために保留している。今は気仙沼ニッティングを永続的な事業にするために、編み手さんたちとしっかり哲学を共有し、浸透させていく、そして品質基準も徹底したい、そのためには拠点は一つの方がいいと。
まだ発足して2年半、まだ始まったばかりだが、このような事業を一つの契機にして、長い年月をかけて気仙沼に根づく事業を追求し続けたいと御手洗氏は言う。気仙沼ニッティングを「未来の老舗」にしたいと、”お客さまの嬉しさと、働く人の誇り“を軸にして、これからも挑戦を続けていくと語る。
まだ30歳そこそこで、マッキンゼー、ブータン、気仙沼と、それぞれ強い志を持って突き進むそのエネルギーに驚かされる。「私は、新たな一歩を踏み出す時に、今いる状況を守りたいと思ったり、拘泥することはない。知らない土地に行くのもためらいはない。」と言い切る。バングラディシュで幾多の困難を克服してマザーハウスを立ち上げられた山口絵理子氏もそうだが、私など足元にも及ばない女性企業家は多い。「女性活躍社会」とのスローガンが掲げられているが、御手洗さんのような人がもっと働きやすい環境を整備してあげることも重要ではなかろうか。