「日本の課題」カテゴリーアーカイブ

介護職にもっとリスペクトを!

7月に入り、コロナウィルス感染も落ち着く事を期待していたが、期待通りには行かないようだ。何か月もの間、医療関係者皆さんの命を懸けた献身的なご尽力にはほんとに頭が下がり、国民すべての人が敬意を表している。その一方で、介護にあたる方々は、政府、メディアともに医療関係者に比しては注目度が少ないように感じる。

「介護職にリスペクトを」との題で朝日新聞の”オピニオン&フォーラム“に大阪健康福祉短大の川口啓子教授が投稿されている(6月3日)。団塊世代が大量に後期高齢者になる時代を迎えるに当たって、国としても、企業としても、個人としても、切実な問題であることから、ブログで取り上げることにした。

川口氏は「今でも現場は絶対的な介護士不足にあえいでいる。根底には、介護と言う仕事に対する”無意識で悪意のない見下しがあるのではないか。誰もがみんな年を取る。いずれ世話になる人たちへのリスペクト(敬意)は足りてますか?」と問題提起する。
政府は、65歳以上の高齢者がピークを迎える2040年度には、介護職を100万人以上増やす必要があると試算している。が少子化で労働者が600万人以上減ることが予想される中、介護職に対する偏見もあって、今でも介護人材養成施設の学生はどんどん減り、入学者数はいまでは定員の半分にも満たない状況(専門学校や短大などの数は08~18年の10年で20%近く減った)を考えると増員は全く困難な状況らしい(文科省は定員割れの養成施設は縮小または閉科するよう指導)。なぜ、需要はあるのに、希望者が増えないのか?
介護職を見下す世間の風潮が加速しているのではと指摘し、介護職に対して「簡単、単純。誰でもできる、学歴もいらないつまらない労働」との思い込みがあるように感じる」と言う。国が昨年改正した“入管法”に関して一部報道で「単純労働に門戸を開いた」との表現で、介護も対象業種に挙げられたが、まさにこれが世間の認識(ネットでは底辺職とも)と言う。このような認識であるため、なりたい職業ランキングにも登場せず、志望者もいない状況が加速し、大学にも介護福祉養成課程はほとんどないそうだ。不愉快な事例として、おむつを交換している介護ヘルパーが利用者に「こんなきたない仕事、娘や孫にさせられないわ」と言われ悔しい思いをしたことが挙げられている、この利用者も悪気がなく、感謝の言葉も口にするそうだが、明らかにヘルパーの仕事を見下している。
家内の母が近くの老人ホームでお世話になっている。92歳で、いたって体は元気だが、目が見えにくくなり、部屋でも物をどこにおいたか分からず、ヘルパーさんを困らせることがある。しかし、ヘルパーさんは、怒ることもなく母に親切に対応してくれる。
川口氏は、どんなことを言われても、つらくても、高齢者の声に耳を傾け、心を開かせるまでに至る行為に介護の専門性を備えた実践力が必須と言う。食事介助などいろんな局面でケアされる側のストレスを知ることも必要となる。
今の若い人たちも、いずれ両親がお世話になる時、あるいは自分の老後について、介護サービスが滞りなく提供されるなんて夢物語を描いているのではとの疑念も持つ。介護の現実に出くわしたとき、その大変さは分かる。
川口氏は最後に「介護職が不足する中、家族介護はまだまだ続く。そこで不可欠なのは愛情でも根性でもなく知識だ。老いを知り、ケアを学ぶ、それは要介護を忌避することなく、老いを肯定的に受け入れる社会のインフラとなる。そのインフラが介護の担い手をはぐくむ土壌になる」と締める。

コロナ禍で医療崩壊が大きくクローズアップされた。団塊世代が高齢化するにともない、今のままでは介護崩壊が起こるのではと危惧される。もっと介護職の重要性と、そのスキルに焦点を当て、相応の処遇をすることで官民あげての対応が望まれる。でなければ、家族介護が増え、ますます介護離職を誘発し労働人口もさらに減らすことにつながりかねない。
「介護職に是非ともリスペクトを!」が切実な思いだ。

ここまで書いて、今朝(7月6日)の日経を見ると「新状態での介護 仕事とどう両立」の記事があった。コロナ禍でデイサービスが停止したりして、苦労している方々や企業の取組が紹介されている。政府は2017年“ニッポン1億総活躍プラン”で20年代初頭までの「介護離職ゼロ」を目標に掲げたが、2018年で10万人近くの介護離職者(うち女性が8万人近い)との厚生省の調査があるとの事。そして介護を理由とする離職者は要職に就き始める40代以降の数値が高いそうだ。企業としても頭の痛い問題だが避けては通れない。

新しい年を迎え想うこと

令和初のお正月は天気も良く、のどかなものだった。暮れに息子の家族と共に、8人で1泊2日の伊豆旅行を楽しんだ。年に1~2回家族全員が集まって親睦を深めることにしている。末永くみんなが仲良く幸せに過ごせることを願ってのことだ。
すがすがしい天候とは裏腹に、世間は騒々しい。昨年来の”桜を見る会”の騒ぎ、IR疑惑に続き、ゴーン被告のドラマよりも奇異な逃亡劇、米国によるイランの司令官殺戮に伴う中東危機など、信じられないことが起こっている。
今年は、1964年以来56年ぶりのオリンピック、パラリンピックが東京で開催される、我が国にとって記念すべき年明けなのに、政治・経済共に波乱の幕開けだ。明るいニュース、出来事を探すのに苦労する。天皇陛下、皇后陛下の国民目線での思いと行動にほっとする。
それにしても、世界的に経済はグローバル化が進むも、政治の世界は保守主義へ傾斜(自国ファースト)しているため、国家間の軋轢が増し、国際的な機関(国連、NATO,WTOなどなど)が機能しなくなってきているのが心配だ。令和時代も、平成に続いて戦争のないことを祈るばかりだ。
国内政治に目をやると、相も変わらず国会議員の不祥事で、政策論争が停滞している。長く続く1強体制の中での与党の傲慢さ、野党のふがいなさに政治不信が募っている。“将来の世代に安心して引き継げる社会作り”のために向こう10年が非常に重要な意味を持つと言われている。世界的には”気候温暖化“などであり、国内では”少子高齢化“に伴う持続可能な経済・財政、社会保障施策改革などだ。ここで失敗すると、地球は破滅に向かって進まねばならないと言われ始めた。こんな時に、選良であるはずの政治家自身のあきれるばかりの不祥事に時間を取られている。野党を非難する人もあるが、まずは不祥事を起こす議員を咎めるべきとは思う。しかし、一方で、野党は重要課題目白押しの中で、長期的な国民目線の施策を打ち出し、国民の理解を得る最大のチャンスと今を捉えるべきではなかろうか。
このままでは、政治に対するあきらめの気持ちが高まり、国会議員を選ぶ選挙の投票率がますます低下することになり、支持率ガ50%以下なのに議席数は70%以上という(全有権者に対する自民党支持者は20%前後)、まさに民主主義の危機ともいえる状態が続いている。このような状態を打破するために、政治にも危機感を与えるために、選挙における比例代表当選者の数を投票率と連携させ、残りを別の選び方にする方策を提案し、活動する人もいる。議員も必死で投票率を上げるための行動を起こすことになると思われるが、今の所、破天荒な施策と受け取られているそうだ。
本によると、デンマークでは選挙の投票率は80%を切ったことがないそうだ。出産費用から葬儀代まで国家が負担し、「消費税25%で世界一幸せな国」とも言われている。学校教育も含めて、国民は「国家を愛しているがために行動もする」、「選ぶに足らない人がおれば、自ら立候補する」ともいう。国家と国民の間にまともな信頼がある。政治家は大学や高校でも政策討論会を行い若者も積極的に政治活動に参加しているそうだ。スウェーデンのグレタ・トウィンベリさんのような人が出てくる素地はあるということらしい。
今、日本も孫やひ孫の時代までもより良い日本が続けられるよう、今の若い人たちにも政治に深い関心を持ってほしいと切に思う。
悲観的な話になっていしまったが、今年こそ未来に展望が開ける日本、世界になるよう、日本を愛する一人として願いつつ、自分に何ができるか考えたい。

訪日されたフランシスコ教皇の勇気あるメッセージに感銘!

38年ぶりにローマ教皇が11月23日に日本を訪問され、大いに話題になった。82歳の高齢ながら、長崎を手始めに広島、東京と精力的に日本を回られ、4日間で8回もスピーチをされ、多くの日本人に感銘を与えた。ツイッターやインスタグラムを駆使しながら、常に弱者を思いやる精神を持ちながら、トランプ大統領の国境壁建設を批判し、核禁止条にも触れ、日本の核の傘批判など、強い発信力と行動力を持つ改革派のリーダーともいえる。ツイッターのフォロワー数が1800万人超と聞くが、教皇に対する信頼とその発信力
を物語っている。2年前、原爆が落とされた長崎でアメリカの従軍カメラマンが撮影した「焼き場に立つ少年」の写真を「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、教会関係者に配布するよう指示したことでも注目された。

切望されていた唯一の被爆国日本訪問を実現され、被爆地長崎・広島での発言。
・「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の国家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。(中略)真の平和とは、非武装の平和以外にありえません」
・「核兵器や大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげ」
・「戦争のために原子力を使うことは犯罪以外の何ものでもない」
・「核兵器をもっているのもテロ行為だ。核抑止力に頼るのも同罪」
・「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」
・「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(アフガンで非業死の中村哲氏も同じことを言われている)

東日本大震災の被害者との面談では、福島第一原子力発電所の事故に触れて
・「私たちには、未来の世代に対して大きな責任があることに気付かなければいけません」

都内で若者たちの悩みを聞く集いに参加し
・いじめについて「学校や大人だけではこの悲劇を防ぐのは十分ではありません。皆さんで『絶対だめ』といわなければなりません」

東京ドームで5万人が集まる大規模なミサで
・「日本は経済的には高度に発展していますが、社会で孤立している人が少なくないことに気付きました。これを乗り越えるためには異なる宗教を信じる人も含め、すべての人と協力と対話を重ねることが大切です」

自身の出身母体である修道会の「イエズス会」が設立した上智大学で学生に
・「どんなに複雑な状況であっても自分たちの行動が公正かつ人間的であり、正直で責任を持つことを心がけ弱者を擁護するような人になってください。ことばと行動が偽りや欺まんであることが少なくない今の時代において特に必要とされる誠実な人になってください」と諭す。

東京で若者向けに開かれたミサでのスピーチ(11月25日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年との集い」での講話)。いじめなどの経験を語った若者3人に対し、逆境にどう立ち向かっていくのかを説く。
・「(多くの人が、人と上手にかかわることができずに)ゾンビ化している」
とりわけ教皇が強い言葉で警鐘を鳴らしたのは、世界中で社会問題化している孤独、つまり、現代人の「心の貧困」であり、日本も例外ではないこと。
・私たちにとって最も大切なことは、何を持っているか、何を得られるか、ではなく、誰と(人生を)共有できるかということなのだということに気づくことだ。「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」にフォーカスすべきなのだ。自分に問いなさい。「私は何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」「私は誰と人生を共有するのか」を。

「核を持つことは罪」の発言は、従来のローマ法庁の考え方とは異なるもの。真に世界の平和を願う教皇の勇気ある、力強い発言だと思う。私はキリスト教徒ではないが、今回の若者も含めて、幅広い人たちへのメッセージとして、記憶に残るものとなるだろう。そして、世界の指導者、人々の行動の指針になることを願わざるを得ない。