「新たな知識」カテゴリーアーカイブ

人の命の摩訶不思議さ

医者でもある平澤興氏(元京都大学総長)は言う。「人間の命は、実はただ一つの命ではなく、凡そ世界総人口の1万倍の小生命、即ち約50兆の細胞からなる生命共同体で、僅か約50億(現在は70億だが)の人口のこの地上に紛争の絶えない事を思うと、数10兆の細胞的生命の共同体たる人間には毎日もっと故障が起こってよい筈だが、その割に何と病気の少ないことか。」

月刊誌「致知」出版社社長の藤尾氏は言う。「私たちは一人の例外なく父と母があることによってこの世に生を得た。その父と母にもそれぞれ両親がいる。それをさかのぼって行けば、どうなるか。十世代で1,024人である。ニ十世代で1,048,576人、三十世代では1,073,741,824人、四十世代さかのぼれば、1,099,511,627,776人。この祖先の命が1回も途切れずに今日に生きているのがあなたの命であり私の命である。この命の連鎖がどこかで断ち切られていたら、あるいは別の人に代わっていたら、あなたも私もここに存在しない。無限無数の命に支えられて、私たちの命はいま、ここにある。」「まさに奇跡の命であり、人生である。」

さらに平澤興氏は言う。「今日無事に目が覚め、元気で暮らしているなどと言うことにしても、全く不思議極まることなのである。心臓が無事に動いているのも、心臓や腎臓が無事に働いているのも、更には肺が働いて元気に呼吸が出来るのも、みなわれわれが頭を使って工夫をして働かせておるのではなく、われわれの知らぬ間に巧妙な神経の働きや、ホルモンの力などで、まったく自動的に行われておるのである。」

40年間医者として、人体の構造を研究して来た平澤氏が、人の命の不思議さを言う。その不思議さを思う時、藤尾氏は「天が生命体に託した課題は何か?一生をかけて果たしていく道、その思いから先覚者たちは、成長し続けることを自己の命題とし、生涯修行を使命として生きた」と言う。平澤氏は、「本当に不思議ということが分かると、自然にその不思議に頭を下げざるを得ない。毎日の健康は、それ自体不思議なことで、病気のときなどはこれを感謝の機会としたらどうか。」と言う。さらに「朝に希望、夕に感謝。今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣になり、天性となるような生き方こそ最高だ。」と。

この不可思議な、そして貴重な命を大事にして、精一杯悔いのない人生を送りたい。

今日は新嘗祭の日!

今日(11月23日)は勤労感謝の日で、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日として戦後(昭和23年)制定されました。元はと言えば、新嘗祭(にいなめさい)と言われた古くからの国家の重要な行事が営まれる日であり、「瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である大王〔おおきみ〕(天皇)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典でした(日本書紀によれば仁徳天皇の四十年には行われていたことになっています)。「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいいます。農業中心の時代、この行事はとても重要な儀式でした。最近、新聞にも掲載されましたが、今上天皇の体調がお悪く、宮内庁は、毎年11月23日に皇居・神嘉殿(しんかでん)で行われる 新嘗祭への天皇陛下(77)のご参加を今年はとりやめる異例の決断をされたようです。板の上に正座2時間という苦行で、陛下も事前に何度も練習されるとか。ご高齢の陛下にとっては厳しすぎると思われます。

日本では、11月3日も戦前は「明治節(明治天皇の誕生日で、明治天皇の偉業を偲び、明治という時代の歴史的意義を心に刻む日)」と呼ばれる日だったのを、戦後「文化の日」に改称しています。今でも反対論議もある2月11日の建国記念の日も、元は紀元節(『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日に由来する)と言われた日であり、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日として制定されています。

日本の過去の伝統文化を捨てさせるというGHQの占領政策なのか、祝日の名称は変わりましたが、万世一系、1500年もの長い間、王朝交代もなく続いてきた世界唯一の国の文化・伝統に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

シャープペンシルの名付け親?

お盆休みを利用して、太平洋戦争を経験した人たちの壮絶な生きざまに触れてきた。明治から大正、昭和の初期に生れた方々の成功物語にも、多くの感動をもらうと共に、自分の60年有余の生き様と対比して、生きる目的に対する熱意と執念に頭が下がる。

2011.9人間学を学ぶ月刊誌「致知」に連載されている「日本を創った男たち(北康利)」にシャープを創業した早川徳治氏(1893-1980)の人生が紹介されている。冒頭に「本連載は苦労人のオンパレードだが、早川氏が遭遇した悲劇の深刻さは他に類を見ない。だがかれは挫けることなく、前を向き続けた。その精神の強靭さは、軟弱な我々現代人にとって驚異である。」とある。

二歳の時里子に出され、継母の残酷とも言える折檻に耐えつつ、奉公に出された先では、主人が火傷で仕事にならず、その中で穴のいらないベルトバックルを発明し、起業。水道自在器も発明し、さらには故障し易かった繰出鉛筆(これが現在のシャープペンシル)の改良をしたものが大当たり。事業も順調にいっていたところ、関東大震災で家族(奥さん、子ども二人)と工場を無くしてしまった。

大震災1年後、大阪の土地を購入し、早川金属鉱業研究所を起業。これが現在のシャープにつながる(この時早川氏30才)。国産ラジオ受信機第1号をシャープラジオと名づけ事業とした。第二次世界大戦をくぐり、国産テレビ第1号を完成させ、カラーテレビも業界の先頭を切って販売。何事も先取精神で、驚くなかれ、1959年には太陽光発電の研究も開始していたとか。グローバル化も視野に入れ、社名をシャープに変えたのは、パナソニックに社名を変えた松下電器より40年前の1970年。

記事の最後、「東日本大震災で我々は多くのものを失った。しかし、辛くても諦めずに前進する限り再び道は開ける。そのことを早川徳治は時を越えて我々に語りかけてくれている。日本人よ。希望を失うな!と・・・。」

「若者よ、君たちが生きるきょうという日は、死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」八杉康夫(戦艦大和語り部)。

まさに今、我々が平和と豊かな生活を享受しているのは、早川氏や戦争で悲惨な目にあった方々のお陰(日本がロシアや中国の領地にならなかった幸せ)と、気持ちを新たにし、子どもたちの将来をより幸せな世界にするために我々も真剣に考え、行動せねばならないと思います。政治のせいにせず、自ら範を示して!(自省)