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天敵がいない動物は人間だけ?!

「小さな経営論(致知出版社)」の中の「人体の不思議」の項に下記のような話が書かれている。

(膨大な)宇宙の中で地球だけに生命が宿されている。宇宙から見た地球はものすごく美しいと宇宙飛行士たちは口を揃える。地球に住む生命体が発するオーラが、地球を美しく輝かせているのに違いない。その地球に住む生命体に宇宙は等しく天敵を与えた。天敵がいなければ、あらゆる生命は増長し、蔓延、跋扈する。それは調和を愛する宇宙の心に反するということだろう。ただ、限りない生命体の中で人間にだけ天敵がいない。なぜか。長い間の疑問だったが、ある時思い至った。人間の天敵は外でもなく、心の中にいるのだと。

さらに続ける。

人間を襲い、蝕む天敵。それは心の中に巣くう不平不満である。事あるごとに湧き起ってくる不平、不満、愚痴こそ、人間を滅ぼす天敵である。人間を救う天敵の対極にあるもの、それが感謝である。心が感謝の思いに満ち溢れた時、あらゆる不平不満は一気に消える。感謝こそ人間という生命体を健やかに成長させる根幹である。

と。

亡くなったプロゴルファ杉原輝男が、生前「致知」に投稿した文章がある。(2008.8)

もっとも、私自身も気がつくのが遅かったが、誰のおかげでゴルフをしていられるのかと考えた時、私は試合後にお世話になったスポンサーやコースの支配人宛に礼状を出すことにした。40歳を過ぎた頃だっただろうか。(中略)

人間であれば心があるのだから、挨拶もするし、相手への思いやりも当然持つことだろう。何も特別なことは必要なく、当たり前のことを当たり前にできるようになれば、その人は人間として立派なプロなのだ。

ゴルフに限らず、その世界の上位クラスで活躍をする人は一流の素質か、それに近いものを持っている。しかし人間として一流でなければ、その人の値打ちは半分以下になってしまう。

もうひとつ、作家三浦綾子の言葉を紹介しよう。(人間学入門より)

  九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、  人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句をいいつづけるものなのだ。  自分を顧みてつくづくそう思う。  なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。

感謝の心、そして常に“ありがとう”の言葉を忘れずに生きて行きたい!

人の命の摩訶不思議さ

医者でもある平澤興氏(元京都大学総長)は言う。「人間の命は、実はただ一つの命ではなく、凡そ世界総人口の1万倍の小生命、即ち約50兆の細胞からなる生命共同体で、僅か約50億(現在は70億だが)の人口のこの地上に紛争の絶えない事を思うと、数10兆の細胞的生命の共同体たる人間には毎日もっと故障が起こってよい筈だが、その割に何と病気の少ないことか。」

月刊誌「致知」出版社社長の藤尾氏は言う。「私たちは一人の例外なく父と母があることによってこの世に生を得た。その父と母にもそれぞれ両親がいる。それをさかのぼって行けば、どうなるか。十世代で1,024人である。ニ十世代で1,048,576人、三十世代では1,073,741,824人、四十世代さかのぼれば、1,099,511,627,776人。この祖先の命が1回も途切れずに今日に生きているのがあなたの命であり私の命である。この命の連鎖がどこかで断ち切られていたら、あるいは別の人に代わっていたら、あなたも私もここに存在しない。無限無数の命に支えられて、私たちの命はいま、ここにある。」「まさに奇跡の命であり、人生である。」

さらに平澤興氏は言う。「今日無事に目が覚め、元気で暮らしているなどと言うことにしても、全く不思議極まることなのである。心臓が無事に動いているのも、心臓や腎臓が無事に働いているのも、更には肺が働いて元気に呼吸が出来るのも、みなわれわれが頭を使って工夫をして働かせておるのではなく、われわれの知らぬ間に巧妙な神経の働きや、ホルモンの力などで、まったく自動的に行われておるのである。」

40年間医者として、人体の構造を研究して来た平澤氏が、人の命の不思議さを言う。その不思議さを思う時、藤尾氏は「天が生命体に託した課題は何か?一生をかけて果たしていく道、その思いから先覚者たちは、成長し続けることを自己の命題とし、生涯修行を使命として生きた」と言う。平澤氏は、「本当に不思議ということが分かると、自然にその不思議に頭を下げざるを得ない。毎日の健康は、それ自体不思議なことで、病気のときなどはこれを感謝の機会としたらどうか。」と言う。さらに「朝に希望、夕に感謝。今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣になり、天性となるような生き方こそ最高だ。」と。

この不可思議な、そして貴重な命を大事にして、精一杯悔いのない人生を送りたい。

今日は新嘗祭の日!

今日(11月23日)は勤労感謝の日で、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日として戦後(昭和23年)制定されました。元はと言えば、新嘗祭(にいなめさい)と言われた古くからの国家の重要な行事が営まれる日であり、「瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である大王〔おおきみ〕(天皇)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典でした(日本書紀によれば仁徳天皇の四十年には行われていたことになっています)。「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいいます。農業中心の時代、この行事はとても重要な儀式でした。最近、新聞にも掲載されましたが、今上天皇の体調がお悪く、宮内庁は、毎年11月23日に皇居・神嘉殿(しんかでん)で行われる 新嘗祭への天皇陛下(77)のご参加を今年はとりやめる異例の決断をされたようです。板の上に正座2時間という苦行で、陛下も事前に何度も練習されるとか。ご高齢の陛下にとっては厳しすぎると思われます。

日本では、11月3日も戦前は「明治節(明治天皇の誕生日で、明治天皇の偉業を偲び、明治という時代の歴史的意義を心に刻む日)」と呼ばれる日だったのを、戦後「文化の日」に改称しています。今でも反対論議もある2月11日の建国記念の日も、元は紀元節(『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日に由来する)と言われた日であり、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日として制定されています。

日本の過去の伝統文化を捨てさせるというGHQの占領政策なのか、祝日の名称は変わりましたが、万世一系、1500年もの長い間、王朝交代もなく続いてきた世界唯一の国の文化・伝統に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。