「教育問題」カテゴリーアーカイブ

「たのしみは・・・」で始まる独楽吟(橘曙覧)

エニアグラムで有名なシスターで文学博士の鈴木秀子氏が「致知」の連載記事「人生を照らす言葉」で紹介されている(2013.5号)のが幕末の歌人で国学者の橘曙覧(あけみ)だ。平成六年に、天皇皇后両陛下が訪米された際、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチの締めくくりに「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用して、「日米両国民の友好の心の中に、一日一日新たな日とともに、確実に新しい花が咲くことを期待する」と述べたことで再び脚光を浴びた歌人だ。また、彼の死後明治になって32年、正岡子規は源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛したと言う。その作品に「独楽吟」という歌がある。

その歌は「楽しみは」で始まる短歌だが、読んでみると、日常のさりげない出来事の中に楽しみや、喜び、感動を見出す歌で、鈴木氏は「人生を幸せに生きる大切なヒントを与えてくれる」と言う。いくつかの歌を紹介する。

たのしみは 3人の児ども すくすくと おおきくなれる 姿見る時
たのしみは 空暖かに うち晴れし 春秋の日に 出てありく時
たのしみは 心をおかぬ 友どち(友達)と 笑ひかたりて 腹をよるとき
たのしみは まれに魚煮て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かえりけるとき

「曙覧は「清貧の歌人」と呼ばれている。その生き方は貧富と言う概念すら超え、貧しさそのものを味わっていたようにも思える。彼は凡人が見過ごしてしまいそうな何気ない日常に贅沢を見つけ出す達人でした。それはモノの豊かさでは推し量れない心の豊かさを楽しむことであった」と鈴木氏は言う。さらに『忙しい日常に振り回されていると、なかなか意識することができませんが、いま「当たり前」のように目の前に繰り広げられている現実は本当は大変な奇跡です。その命を生かしてご飯を食べ、歯を磨けることも、家族団欒を持てることも、通勤・通学できることも。』日々感謝の気持ちを持って過ごすことの大切さが、曙覧の歌を詠むと蘇って来る。

私も短歌は初めてであるが、挑戦してみた。恥ずかしながら披露する。

たのしみは 毎日ジムで 目いっぱい 汗かいたあと 汗ながすとき
たのしみは アンテナ高く ブログネタ 探してアップ コメントある時
たのしみは 人と人との 絆にあふる NPOの あつまりの時(JASIPA)
たのしみは そぞろ歩く みちばたで ひそかに咲く花 見つけしとき

日常の感動や、ささいな楽しみを思い出すために、「たのしみは・・・」と、まずは始めると面白いかも・・・。駄作でも、鈴木氏の言う「心豊かな生活を送る一つのアイディア」であることを実感できた。

体罰は是か非か?

今、大阪の高校でのバスケットボール部主将の自殺問題がマスコミで大きく取り上げられている。とんでもない事件だ。昨日の朝日新聞では、元巨人のエース桑田真澄氏の「中学生まで毎日練習で殴られた。体罰に愛を感じたことはない」との記事が寄せられている。桑田氏は、自分の経験から「体罰は不要」とし、「体罰は子供の自立を妨げ、成長の目を摘みかねない」と訴える。まさに、家庭内、学校内における「いじめ」と同根の問題指摘だ。

しかし、記事の中で、桑田氏が早稲田大学院にいたとき(2009年)、プロ野球選手と東京六大学野球部員約550人にアンケート調査をした時のデータが掲載されている。体罰について指導者から、先輩から受けたとの回答が中学時代、高校時代で36%~51%。「体罰は必要」、「ときとして必要」合わせて83%あったそうだ。桑田氏の想像からは体罰を受けた比率が低く、必要性は高すぎる値となった。桑田氏は、今回のアンケートは成功者のみに対するアンケートゆえの数値で、落伍者を入れると大きく違ってくるとの思いを経験から導き、「体罰不要論」を導いている。

今回の大阪の高校の体罰は論外であることはもちろんである。私の愛読書「致知2013.2号」に「女子サッカー連覇への布石 若い才能をどう育てるか」とのU-20サッカー日本女子代表コーチ本田美登里氏のインタビュー記事がある。宮間あやや、福元美穂ら有力選手を育てた方だ。本田氏曰く「チームワークだけでは世界一にはなれない。強い“個”を育てなければ世界とは戦かえない」と。「選手の育成は子育てと一緒。褒めるときには褒めて、叱るときには叱る。ただその選手がいまどんな感情でいるかを見抜ける洞察力が、普通の人以上に必要だ」。そして、指導者の条件として「人ときちんと付き合えるということ。いくら知識が豊富で、輝かしい経歴を持っていたところで、人間として魅力があり、選手がついてくる人であるかどうか。社長や先生も同じではないでしょうか。私はまだまだ修業中です。」と言われている。「本田さんは何を考えているか分からない」と選手に言われることが無いようにしようと常に考えていたとも。

大阪の高校の顧問は、過去の成功体験にのっかり、体罰のお蔭で強くなったと思い込み、選手を育てると言う本来の趣旨を忘れ、周囲も成功体験を見て、何も言えなかった構図ではなかろうか。桑田氏が「体罰に愛を感じたことがない」と言うが、本田氏の言う「選手の感情を押しはかる洞察力を持って」選手の良さ、個性を引き延ばすための指導、すなわち相手に愛情を感じさせる指導がもとめられているのではなかろうか。「体罰は必要、ときとして必要」の回答が83%あったというのは、師弟関係相通ずるものがあり、その結果成功したとの感謝の意が込められていると推察したい。大阪の高校の事件はもちろんのこと、悲惨ないじめがこの世から亡くなる幸せな社会が来ることを願いながら・・・。

あけましておめでとうございます

2013年を清々しい天候の中で迎えることが出来ました(西日本の方には申し訳ありません)。初日の出も多くの方が拝むことが出来た事と思います。

ほんとに、大晦日と1日違いですが、新しき年は凛とした空気を感じます。道行く人も昨日とは違って、表情が活き活きとしています。昨年がもやもやした、苦しい年であっただけに、新しい年になって希望と期待に、自然と気持ちが明るくなるのかもしれません。

予断は許されないとはいえ、新しい政権になり、何かが変わる、変わってほしいとの期待を抱きながらの新年です。しかし、政権頼りではなく、「我々が何とかするしかない」との安岡正篤氏の言葉(FBでも紹介しました)が正月早々身に沁みました。その一部を紹介します。

我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。
我々がなんとかするほか無いのです。
我々は日本を易えることが出来ます。
暗黒を嘆くより、一燈を点けましょう。
我々はまず我々の周囲の
暗を照す一燈になりましょう。
手のとどく限り、至る所に燈明を供えましょう。
一人一燈なれば、萬人萬燈です。
日本はたちまち明るくなりましょう。

昨年は、いろんな方の言葉をブログを通じて紹介させていただきました。その中でも、何人もの方が言われているのが、「今、ここを精一杯生きる」ということでした。曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏の「いま、ここ」(http://jasipa.jp/blog-entry/7593)。「悩みは、過ぎ去った‘過去’を悔やみ、‘将来’への不安から来るもの。‘いまここ’を見れば悩みはない筈。だから何も悩まず、今にベストを尽くせる」と言われる博多の歴女白駒妃登美さん(http://jasipa.jp/blog-entry/8227)。「自分が置かれた場所で精一杯咲き、そこが和やかな場になるようにすればいい。その力があるのに、ただ環境のせいにして甘えている人が多い」と言われるノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さん(http://jasipa.jp/blog-entry/7878)。「‘いまがその時、その時がいま‘というんですが、本当にやりたいと思っていることがいつか来るだろう、その瞬間に大事な時が来るだろうと思っていても、いま真剣に目の前のことをやらない人には決して訪れない。憧れているその瞬間こそ、実はいまであり、だからこそ常に真剣に、命懸けで生きなければいけないと思うんです。」と言うスペイン「サグラダ・ファミリア教会」の建築に携わられている彫刻家・外尾悦郎氏。こんな生き方で、戦後の復興も果たし、東日本大震災の被災者の方々も頑張っておられる。「世界が憧れる日本人の生き方」(http://jasipa.jp/blog-entry/8239)でもマックス桐島氏は、「今ここを精一杯生きる」考え方も日本人特有と言う。

自由な時間が多い今、自分を奮い立たせながら、社会に一燈を灯すために頑張りたい。そのためにも、より多くの絆つくりに精を出し、働く人たちの幸せ作りに貢献したい。JASIPAのより一層の活性化を祈りながら。本年もよろしくお願いいたします。