体罰は是か非か?


今、大阪の高校でのバスケットボール部主将の自殺問題がマスコミで大きく取り上げられている。とんでもない事件だ。昨日の朝日新聞では、元巨人のエース桑田真澄氏の「中学生まで毎日練習で殴られた。体罰に愛を感じたことはない」との記事が寄せられている。桑田氏は、自分の経験から「体罰は不要」とし、「体罰は子供の自立を妨げ、成長の目を摘みかねない」と訴える。まさに、家庭内、学校内における「いじめ」と同根の問題指摘だ。

しかし、記事の中で、桑田氏が早稲田大学院にいたとき(2009年)、プロ野球選手と東京六大学野球部員約550人にアンケート調査をした時のデータが掲載されている。体罰について指導者から、先輩から受けたとの回答が中学時代、高校時代で36%~51%。「体罰は必要」、「ときとして必要」合わせて83%あったそうだ。桑田氏の想像からは体罰を受けた比率が低く、必要性は高すぎる値となった。桑田氏は、今回のアンケートは成功者のみに対するアンケートゆえの数値で、落伍者を入れると大きく違ってくるとの思いを経験から導き、「体罰不要論」を導いている。

今回の大阪の高校の体罰は論外であることはもちろんである。私の愛読書「致知2013.2号」に「女子サッカー連覇への布石 若い才能をどう育てるか」とのU-20サッカー日本女子代表コーチ本田美登里氏のインタビュー記事がある。宮間あやや、福元美穂ら有力選手を育てた方だ。本田氏曰く「チームワークだけでは世界一にはなれない。強い“個”を育てなければ世界とは戦かえない」と。「選手の育成は子育てと一緒。褒めるときには褒めて、叱るときには叱る。ただその選手がいまどんな感情でいるかを見抜ける洞察力が、普通の人以上に必要だ」。そして、指導者の条件として「人ときちんと付き合えるということ。いくら知識が豊富で、輝かしい経歴を持っていたところで、人間として魅力があり、選手がついてくる人であるかどうか。社長や先生も同じではないでしょうか。私はまだまだ修業中です。」と言われている。「本田さんは何を考えているか分からない」と選手に言われることが無いようにしようと常に考えていたとも。

大阪の高校の顧問は、過去の成功体験にのっかり、体罰のお蔭で強くなったと思い込み、選手を育てると言う本来の趣旨を忘れ、周囲も成功体験を見て、何も言えなかった構図ではなかろうか。桑田氏が「体罰に愛を感じたことがない」と言うが、本田氏の言う「選手の感情を押しはかる洞察力を持って」選手の良さ、個性を引き延ばすための指導、すなわち相手に愛情を感じさせる指導がもとめられているのではなかろうか。「体罰は必要、ときとして必要」の回答が83%あったというのは、師弟関係相通ずるものがあり、その結果成功したとの感謝の意が込められていると推察したい。大阪の高校の事件はもちろんのこと、悲惨ないじめがこの世から亡くなる幸せな社会が来ることを願いながら・・・。

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