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脱・成長戦略で「1億総幸福社会」を!

中国、インドなども含めて、全世界がGDP競争をするのは、正しいのだろうか?以前このブログで紹介した(http://okinaka.jasipa.jp/archives/3840)ウルグアイ元大統領のホセ・ムヒカ大統領が、リオ会議(環境の未来を決める会議)で講演した際下記のような質問を投げかけた。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

インドの一人当たり名目GDPを1万㌦にするために必要な資源量を人数で表すと70億人分となるそうです(現在日本は4万ドル近く、インドは1500ドル)。現在の地球人口分の資源が必要になると言うことです。「脱・成長戦略~歴史から見た日本経済のゆくえ~」(武田晴人著、朝日新書、2014,12)を読んだ。経済成長は、歴史的に見ても限界にきており、「成長すれば幸せになる」「成長しなければ幸せになれない」とする経済学者の主張に疑念を呈し、低成長下での豊かで幸せな社会の実現を目指さねばならないとの提言である。新3本の矢「1億総活躍社会(http://okinaka.jasipa.jp/archives/3953)」でGDP600兆円を目標としている。が、内閣府のデータ(国民生活選好度調査)などでも示されているが、一人当たりGDPは増え続けているが生活満足度は半世紀にわたって(1960年以降)横ばいだそうだ。1960年代の高度成長時期の大きな生活の変化をもたらしたモノ消費(洗濯機、冷蔵庫、クーラー、テレビ、車)による雇用拡大と賃金UP、そして生産性向上の好循環は、サービス産業の比率が増え続ける今の時代には不可能であり(“おもてなし”などサービスの生産性UPは機械工業と違って生産性UPは期待できず)、しかも希少資源問題、地球温暖化問題などもあることから、これからは経済成長ではなく、低成長下における多様な働き方や、人の幸せを追求する生き方を柱にした戦略を打ち立てるべきだと言う。

過去には専業主婦が「子どもを育てる」任務を負っていた(シャドウワークと言われ、家事労働などはGDPに入らず)が、急激に共働き世帯が増え、保育所などの施設が必要となってきた。さらには、高齢化が進むにつれて「高齢者を支える社会」ニーズと負荷が加わり、核家族化の進展でより社会的なサポートが必要となっている。このような生活に必要な社会的施設や支援サービスを今以上に充実させることは、女性や高齢者の多様な働き方、生き方を追い求めるためにも重要なことと言える。そのためには、介護サービスなどに従事する人の重要性を鑑み、処遇を改善することも重要な施策となる。幸福社会を実現するために、未来に対する不安を亡くするために、ある程度の国民負担は致し方ないとも筆者は言う。

政府は「経済成長至上主義」を第一義とするため、武器輸出や、原発輸出などにも力を入れることになります。「1億総活躍社会」という「女性も高齢者もガンバレ!ガンバレ!」と言うより「1億総幸福社会」とし、本質的な問題でもある格差是正や、社会保障政策、教育を受ける権利の均等化などにもっと力を入れ、将来に対する不安(特に若者の)を払拭することが出来れば、ゼロ成長を基軸に経済もまわり始めるのではと思う。菊池桃子さんが提言し安倍総理も賛同した「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」は必ずしも経済成長第一義の発想ではない(http://okinaka.jasipa.jp/archives/3953)。安倍総理や加藤担当相も「若者も高齢者も、男性も女性も、困難な問題を抱えている人も、また難病や障害を持った人も、みんなにとってチャンスのある社会を作っていく。そういう日本に変えていかなければならない」と言う。企業寄りに偏りがちな施策ばかりではなく、もっと国民の幸せを重視する施策を前面に出してほしいと思う。国民もそれが理解、納得できれば、消費税などの施策にも理解がすすむのではなかろうか。

新3本の矢「1億総活躍社会」!?

安倍政権が新たな看板政策として掲げる「一億総活躍社会」に対しては賛否両論があるようだ。その実現に向けた国民会議の民間議員に起用された元アイドル歌手菊池桃子さんが10月29日の初会合で、安倍晋三首相らを前に「『一億総活躍』の定義はなかなか理解されていない」と指摘した。そして「社会の中で排除される人をつくらず、すべての人に活躍の機会があるという意味で『ソーシャルインクルージョン』(社会的包容力)という言葉を使ったらどうか」と提案。首相からも「分かりやすい説明だ」と褒められたとのニュース記事があった。菊池氏は、アイドル歌手としてのイメージが強いが、第一線を退いた後で大学院に通い始め、2012年からは「雇用政策を踏まえた人々のキャリア形成」を研究する大学教授となった。キャリア形成をとりまく社会構造に問題意識を抱いたきっかけは、33歳で出産した長女が病気の後遺症でハンディキャップを持ち、義務教育である小学校でさえ探すことが難しかったこと。長男は何の問題もなく就学できただけに疑問がわき、今の道を歩みはじめたそうだ。

先週10日の朝日新聞朝刊「わたしの紙面批評」で2008年末「年越し派遣村村長」をやった湯浅誠氏が「1億総活躍社会」におけるメディア(朝日新聞)の取り上げ方に対する問題提起を行っている。名目GDP600兆円などの新3本の矢の実現可能性はともかく、安倍総理や加藤担当相は「若者も高齢者も、男性も女性も、困難な問題を抱えている人も、また難病や障害を持った人も、みんなにとってチャンスのある社会を作っていく。そういう日本に変えていかなければならない」と推進室発足式で挨拶したことが紹介されている。即ち二人が強調しているのは社会や環境を作ると言う条件整備の重要性であり、個人をターゲットに「さらに頑張ってもらう」とは言っておらず、障害者や難病患者も含めて職場だけではなく地域や家庭での「活躍」も想定したものと湯浅氏は言う。まさに源流を欧州とする「ソーシャルインクルージョン」(社会的包摂)の理念であり、社会的に排除されかねない人たちを包み込めるように社会全体が変化していくという、社会の自己変革にあるとする。「1億総活躍社会」と言う言葉自体は目新しいが、自民党・民主党を問わず、ここ10年近く歴代政権が一貫して主張してきた「全員参加型社会」であり、朝日新聞も「社会的包摂」は大切にしてきた理念であることを考えると、総理や大臣のこうした発言をもっと大きく取り上げて、実際に打たれる政策がそれに沿うものになるよう政権に促すことではないかと湯浅氏は提言している。

「名目GDP600兆円」や「出生率1.8」とかの目標を見て「生めよ、増やせよ」との経済成長に重点を置いた考え方に息苦しさを感じる人も多いと思うが、上記のような社会を作っていくことと考えれば、うなずける面も出てくると思われる。グローバル化人材育成、2020年のパラリンピックの活性化(障害者への偏見問題)、難民問題、女性活躍など、同質性を重視する日本特有の課題も多いと思われる中で、障害者や貧困層、外国籍の市民、病人、老人、幼児など、社会の一員として、そのままでは戦力になりにくい人々を援助し、サポートして、すべて成員を社会の一員として「包摂」(インクルード)して行こうとする考え方を如何に普及させていくか、今度こそとの思いで安倍政権の本気度を見守りたい。

「昭和史」は何を物語る?

戦後70年の年、戦争体験のない私にとって、昭和史を勉強するいい機会になった。思い返せば、学生時代、なぜか昭和史は学校の授業でもあまり詳しく教えてもらっていなかったことに気付く。傷痍軍人が駅前などの繁華街に立っている姿をよく見かけたが、その姿が唯一戦争の悲惨さを思い知らされるものだった。

約320万人が亡くなり日本本土が焦土化した3年9か月にわたるアメリカとの戦争は必然だったのか?避けられなかったのか?・・・、この悲惨な戦争に至った経緯を知るのは将来の日本を考える上でも、特に戦争を知らない世代の責務とも思える。昭和20年8月15日の天皇陛下直々の玉音放送に関しても映画「日本のいちばん長い日」が物語るように、戦争継続・一億国民総玉砕を言い張る青年将校が宮城を占拠し、それが成功していた暁には今の日本は存在していないかもしれないのだ。

「日本のいちばん長い日」の作者半藤一利氏の「昭和史」(平凡社)を読んだ。慶応元年(1865)に開国し、明治維新を経て日清戦争(1894-1895)の勝利、さらに日露戦争(1904-1905)でも世界の予想を覆す勝利をおさめ、世界に日本の名を轟かせた。開国から40年間かかって日本は世界に誇れる近代国家を完成させたとも言える。そして大正、昭和の時代に入るが、日露戦争の勝利が「日本は世界の堂々たる強国」と日本人はたいへんいい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命つくった国を亡ぼしてしまう結果になったのが日露戦争勝利から40年だった太平洋戦争だったと半藤氏は言う。

日露戦争勝利で対ロシア防衛のための生命線である満州を得て、そこを守るために配置した関東軍が勢力を増していくことになる。勢力拡大(満州の管理権拡大?)のために、張作霖爆殺事件(昭和3)、柳条湖事件(昭和6)、上海事変(昭和7)と立て続けに日本の謀略により戦争を仕掛け、国際批判を受けての国連脱退(昭和8)に至る。この間、大元帥である天皇陛下は戦線拡大を懸念するも、関東軍や軍部の独断(本来なら大元帥の判断なくして戦争すれば責任者は死刑)で仕掛けた戦争だ。総理と言えども反対すれば犬飼毅のように暗殺(昭7.5・15事件)されるほど、軍部が独走し、またメディアも「行け!行け!」一色で、国民も日本が謀略で仕掛けた戦争とは知らされず、勝ち戦に「イケイケドンドン」だったそうだ。昭和12年に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまり、南京陥落、漢口陥落で日本では旗行列、提灯行列が続いた。昭和14年には蒙古とロシアとの境界線争いのノモンハン事件で関東軍がロシアと対決し、双方に多大な死傷者をだすことになった。その反省もなく、次代の流れの中で、「国家総動員法」を制定、中国との戦争時欧米諸国が中国を助けたとのこともあり、イギリスとの友好関係を破棄し、日米通商条約廃棄を通告、ヒトラーの勢いにのっかり、独伊との三国同盟に傾く。このあたりから、陸軍、海軍の主導権争いの中、無益な戦争より日米外交交渉を第一に進めるべきとの天皇陛下の意向に反して、第二次世界大戦、そして太平洋戦争に突入していくことになる。三国同盟に反対し、日英協調路線を主張する山本五十六などは中央幹部を離れ、かつ無能な(半藤氏曰く)近衛第二次内閣でアメリカとの決戦に一挙に傾いていった。支那事変の時陸軍大臣だった杉山参謀総長と天皇のやりとりがある。

  • 天皇「日米に事が起これば、陸軍としてどれくらいの期間で片づける確信があるか?」
  • 杉山「南方方面だけは3ヵ月で片づけるつもりです」
  • 天皇「支那事変の時杉山は1ヵ月くらいで片付くと言ったが、4か年の長きにわたり、まだかたづいていないではないか?」
  • 杉山「支那は奥地が拓けており、予定通り作戦がうまくゆかなかったのであります。」
  • 天皇「なに?支那の奥地が広いと言うなら、太平洋はもっとひろいではないか。いかなる確信があって3ヵ月と言うのか」杉山参謀総長答えられず。

大元帥である天皇陛下にさえ事実をまともに説明せず、国民的熱狂を醸し出し、昭11.2.26事件でテロの怖さを政権などに植え付け、山本五十六など慎重派を遠ざけ、仲間を要職につけ、戦争拡大に突っ走った昭和史には、学ぶことが多い。半藤氏は言う。「政治的指導者も、軍事的指導者も、日本をリードしてきた人々は、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか、ということでしょうか。あらゆることを見れば見るほど、なんとどこにも根拠がないのに“大丈夫、勝てる”だの“大丈夫、アメリカは合意する”だのという事を繰り返してきました。そして、その結果まずく行った時の底知れぬ無責任です。今日の日本人にも同じことが多く見られて、別に昭和史、戦前史と言うだけでなく、現代の教訓でもあるようですが」。

いままさに、安保法制が決まりそうな局面に来ている。内閣法制局長官など、あからさまに法案を通すための人事を挙行し、国民の声に聴く耳も持たず、戦後70年築いてきた「平和な国日本」の転換をはかろうとしている。国会論議においても「根拠なき過信、傲慢さ」が目につく。もっと時間をかけて、多くの国民が納得する形にして法案を採決することこそ「立憲国家日本」のあるべき姿と思うがいかがだろうか?太平洋戦争で壊された日本を折角70年かけて作り上げた国民の努力を、無にしないように祈るばかりである。