「心に響く言葉」カテゴリーアーカイブ

人生はニコニコ顔で生命(いのち)がけ(平澤興)

標記タイトル(言葉)を以前当ブログ(http://okinaka.jasipa.jp/archives/112)で紹介した。元京大総長平澤興氏の言葉だ。神経解剖学の大家であると同時に、人間探求の達人として「致知」にも良く取り上げられる。「生きよう今日も喜んで(平澤興語録)」(致知出版社)と言う本も出されている。「致知2015.6」(“一天地を開く”特集)に「平澤興の遺した言葉」が紹介されている。最近多数見つかった未発表の講話録からの抜粋だ。その一部を紹介する。

  • ・本当に偉大な人:誰よりも我慢できる人。誰よりも知識を求めてやまない人。そして苦しい時にも、悠然と笑顔で生きられる人。それが立派な世界人だと思う。
  • ・ひたすら誠実に:おおよそ、ことに対し、ものに対して、仕事に対し、誠実である限りにおいて、人生に失敗はないと思います。いや、失敗がないと言う言葉が悪ければ、いろいろと失敗はあるだろうが、その失敗はやがて失敗ではなくて、失敗は成功の元といいますけれども、その失敗の中から本当のものを学び取られるだろうと思います。
  • ・人の間で生きる:一番人間にとって危険なことは、自分の経験とか自分の学問とか、あるいは自分の考え方とか、そういうものだけを頼りにして、人との話し合い、対話をしないということだと思うのであります。人生においてやはり本当に大事なのは友達であります。人の幸不幸は良い友達を持つか持たないかによって決まる。
  • ・仕事の意義:仕事は人の為にするのではありません。仕事は自らの魂を活かすためにするものだと固く信じています。(中略)運と言うものは仕事なりすべての面でやるだけのことをやった人、徳を積んだ人、そういうところに来るもんだと思うのであります。
  • ・人間の可能性:「あれは虫が好かん」なんて言うのは、誠に粗末な人間が言う事であります。(中略)人間はすべて例外なく素晴らしいものであります。やればできるという、140億の細胞が持っておるのであります。
  • ・人生の大則:人生はどこかに一つの夢を持つということ、そしてそれを本当に誠実に、いかなる場合にも自己をだまさないでしかも負けないで不屈性を以てやりとおすということであります。(中略)人生というものは希望を持って生きたらいい。一番つまらんのは、愚痴をこぼすことだろうと思います。愚痴は全く自分自身を弱め、希望を失い、全く何にもならんですね。

ついでに、「生きよう今日も喜んで」の本より。

  • ・心の中で万人に頭を下げうる人でなければ、万人の長とはなれぬ。人を拝む人は人から拝まれる。その人は自ら人の長になれる。
  • 自ら感動せねば、人を感動させることは出来ない
  • 感謝すると言うことは、人間が楽しく生きて、周囲を明るくし喜びを与える最高の姿である。
  • 教育とはいかに相手を褒めるかの研究である。

いろんな方々の言葉に素直に耳を傾け、自分の生き方の参考にしたい。

白雲自(おの)ずから去来す

禅の教えに、「白雲自ら去来す」という言葉があるそうだ。この言葉に惹かれた。意味は下記。

夏の畑仕事、暑い日差しを避けるには、雲はありがたいものです。遠くに見える雲がこっちへ来ないかな?と思うのは、誰も同じですが、雲は風任せで、こっちへ来るかは判らない。それよりも、雲を待つのではなく、今すべきことにひたすら取組む事で、暑さを忘れるほどに一生懸命に仕事をする。そして気が付けば、知らぬ間に雲が涼を運んで来てくれる。

ここで言う雲とは、言い換えれば運やチャンスのこと。運に恵まれている他人を羨んでいても仕方がない。チャンスが来ないと嘆いていても仕方がない。ただ一生懸命に今やるべきことをやる。そうすれば、運は必ず巡って来るもの。

3代目崎陽軒社長野並直文氏が、社長を引き継いだとき(平成3年)、それまでは順調だった事業が、バブル崩壊で業績が急降下。その時、友人からこの言葉をもらい、「どんな状況に直面しようと、与えられた目の前の役割を自らの使命と受け止め、コツコツと打ち込んでいくことで必ず良き運命が拓けていく」と、決して慢心することなく経営課題に取り組んで来られたそうだ([致知2015.2]より)。野並氏が言う「コツコツ」はイエローハット創業者の鍵山秀三郎氏の言葉としても有名だ。ある時若い人たちから成功の秘訣を問われ、「二つある」と答えて白板に、「コツ、コツ」 ――と板書されたという。

森信三著『修身教授録』にある言葉。

「真の“誠”は何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まるといってよいでしょう。すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。総じて自己の務めに対して、自己の一切を傾け尽くしてこれに当たる。即ち、もうこれ以上は尽くしようがないというところを、なおもそこに不足を覚えて、さらに一段と自己を投げ出していく。これが真の誠への歩みというものでしょう」

「今、ここを精一杯生きる」事の重要性を説く人はあまたいる。その一部は、一昨年の正月のブログに紹介している。(http://okinaka.jasipa.jp/archives/347)。

  • 曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏
  • 博多の歴女白駒妃登美さん
  • ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さん
  • スペイン「サグラダ・ファミリア教会」の建築に携わられている彫刻家・外尾悦郎氏

の方々だ。生きている、天文学的確率で、今生かされている実感、喜びを味わいながら、「いま、ここ」を精一杯生きること。これが自分自身の幸せにつながる唯一の道だと信じたい。

感動分岐点を超えた時人も経営も変わる!

あなたは「はままつフラワーパーク」に行ったことありますか?「あしかがフラワーパークには?」。現在「はままつフラワーパーク」の理事長、そして「あしかがフラワーパーク」の園長をやっておられるのが、浜松市花みどり振興財団理事長の塚本こなみ氏だ。「致知2014.9」のインタビュー記事に表題のテーマでの塚本こなみ氏の記事が掲載されており、特に「感動分岐点」の言葉に興味をひかれて読んだ。

今年の浜名湖花博で、3月から6月に.かけて、目標の20万人をはるかに超え60万人という過去最高の入園者を記録。実は「はままつフラワーパーク」は園が存続できるかどうかの瀬戸際にあり、昨年春、園の再生のために塚本氏が理事長として招かれたそうだ。この時考えたのが「損益分岐点」ならぬ「感動分岐点」。これ位なら感動しないけれど、それを超える何かを提供すると感動が心の中に染み入る。見た事も無い景色や想像をはるかに超えた場面を提供することが、感動分岐点超えになる。そして、「はままつフラワーパーク」で提供したのが、日本庭園の美しい風景の中で桜とチューリップの競演を、30万平方メートルと言う東京ドームの7倍に相当する園で演出するということだった。桜の名所やチューリップの名所は日本の各地にあるが、日本庭園や池、水路の周りに配したチューリップと桜の競演はどこにもない。

女性第一号の樹木医として樹齢300年のソテツの蘇生や、樹齢1000年の木の移植などを手掛けていたところ、開演前の「あしかがフラワーパーク」から幹回り3m60cmの藤の大木の移植依頼が来た。藤は驚くほど腐りやすく幹が柔らかく幹60cm以上の藤の移植は不可能と言われていたそうだ。そんな仕事を受けたが、案の定苦労し、頭を悩ませながらも、幹を痛めないために石膏で幹を固めるなど思いもよらなかった方法を駆使しながら2年間かかって成功させた。そうこうするうちに園長を依頼され、園全体の設計にまで口を出すようになったそうだ。そこで「感動分岐点」の考えで、亀戸天神や春日部、藤岡の藤名所を凌ぐ「世界一の藤のガーデン」を創り上げ宣伝した所、毎年入園者が増え続け、年間20万人が数年後には100万人を超える日本一の入園者を誇るフラワーパークになった。たしかに私も2回行ったが、大藤4本、白藤トンネル一つ、庭木仕立ての藤が160本というその規模の大きさにはほんとに感動した。近くの亀戸天神の藤が小さく見える。

塚本氏は言う。感動分岐点を超えるにはスタッフが全員心を一つにすることが大事だと。そのために「あなたがやる仕事を見て、お客様は喜ぶの?」と常に自分に問いかけるように呼びかけていると。目標も明確だし、入園者も増え、社員の表情は明らかに輝きだしているとも。

「顧客に感動を与える」というのは、我々IT業界もサービス業で有ることを考えるとフラワーパークと一緒だ。満足を超え、感動から感激、感謝へと顧客満足度を高める施策を考える上で「感動分岐点」の考え方は分かりやすく面白いと思う。