「仲間」カテゴリーアーカイブ

お産を控えた女性はダイエットに注意せよ!(福岡秀興早稲田大教授)

東京で定期的に集まっている高校同期の会が2日にあった。20名近く集まったが、今回は本を出版した友人が姫路から本のアピールに参加したり、いつもは忙しくて出られなかった福岡秀興君(東大医学博士、現在早稲田大学総合研究機構研究院教授、産婦人科学・分子生物学・分子栄養学)が出席してくれたりで、賑やかな会になった。同級生も福岡君には病気の時のアドバイスや医者の紹介などで何人かが救われたこともあり、ほんとに頭の下がる男として評判だ。彼とはほんとに久しぶりに会ったが、日本の将来を憂い、全国駆け廻って訴え続けていることがあると言う。今叫ばれている少子化問題以上に深刻な問題だそうだ。

低出生体重児(出生体重が2,500g未満の赤ちゃん)は、将来、高血圧、冠動脈疾患、2型糖尿病、脳梗塞、脂質異常症、血液凝固能の亢進、神経発達異常などの生活習慣病といわれている病気になる可能性が高い。そして、低出生体重児の比率が、OECD加盟国では日本はトップで、今ではほぼ10人に一人(9.6%:2012)が該当すると言われている。この数値は日本で生活習慣病が、今後著しく増加する事を予想させるものである。

英国サウザンプトン大学医学部の故デイヴィッド・バーカー教授は、約30年も前から「成人病胎児期(発症)起源説」を唱え、「胎内で成人病は始まっている ~母親の正しい食生活が子どもを未来の病気から守る」(デイヴィッド・バーカー著 福岡 秀興 監修・解説)が日本では出版されている。ちょっと過激なタイトルですが、著者が私たちに訴えようとしているのは、副題にある「母親の正しい食生活が子どもを未来の病気から守る」という点。胎児期子宮内で栄養不足が原因で小さく生まれた赤ちゃんは、少ない栄養でも生きぬいていける代謝系を持って生まれる。しかし、栄養豊富な現代生活の中ではその代謝系では適応出来なくなる (ミスマッチ)。その結果成人病のリスクがより高くなる、という考え方である(「成人病胎児期(発症)起源説」(バーカー説))。世界的には莫大な疫学調査が行われており、現在それを否定する報告はない事や、膨大な動物実験が重ねられてその分子機序が明らかとなってきており、かなりの説得力のある説であると、福岡君は言う。ヒトでも分子のレベルでそれが実証されつつある、との事である。日本では妊娠適齢期の女性の多くが、10代からのダイエットを経験しており、やせた状態で妊娠したり、巷では「小さく産んで大きく育てるのが良い」と言われていたり、妊娠中も体重増加の制限が一部では行なわれている現状を考えると、この本の内容はかなり衝撃的。しかし、そこで改めて気づくのは、妊娠する前でも、妊娠中でも、大切なのは「バランスのとれた必要で十分な食事」を常に心がける事の重要さである。この当たり前のことを軽視してきたために、生まれてくる赤ちゃんの将来にまで暗い影を落とすとしたら? 私たちの生活の基本である「食」について、改めて考え直さなければならない。実際若い女性の食事内容は多くが目を覆うばかりに劣悪であると報告されている。

今の状況で推移すると、日本はやがて成人病大国へと移行してしまう。との想いから、福岡君は、全国各地で、学会の特別講演や一般の方々を対象とした講演を通じて、このままでは日本民族の劣化へとつながっていくのではないかとする警鐘や、この新しいテーマの研究の重要性を訴え続けている。しかし、他国では対策に取り組んでいる問題でもあり、日本でも早急に「小さく産んで大きく育てる」事が良いのだとする考え方を改め、栄養の重要性を女性のみならず社会全体で共有して行かねばならない。その為には、低体重児の多く誕生する現状とその原因を正確に捉える研究・調査が必要と主張する。またその実現に向けては、政治家にことの重要性を認識してもらい、政治主導で早急に調査体制を築くことも行われることが先決だろう。JST(科学技術振興財団)からは今春その政策提言がなされたとの事である。着実に機運は広まり、福岡君と共に活動する仲間は増えているそうだ。(福岡君に関するインターネット記事,Babycom「胎内で将来の病気の原因が作られる」(http://www.babycom.gr.jp/kitchen/kodomo/kodomo1-1.html)などで補完した)

昔の絆を思い出し、深める日でした

今日は、昨年末に当ブログで紹介(http://jasipa.jp/blog-entry/8342)した、「第57回現代書道二十人展」(1月2日~8日)に行ってきた(御徒町の松坂屋上野店)。開店直後で、そんなに人はいないだろうと思って行ったところ、入り口は既に人だかり。平日のこんな時間にこれだけ多くの人が来ているのにビックリ!友達黒田賢一君とは残念ながら会えなかったが、作品の横に写真が飾られており、40年近くあっていないが、まったく昔の面影そのままだった。懐かしく、写真と作品の前でじっと見つめる私がいた。他の方のかな文字と比較しながら見たが、彼が言うまさに「男性的なカナ文字」であることが明白に理解できた。出口を出たら、墨硯筆紙販売会が催されており、ここも人手で一杯。書道を趣味にされる方の多さを改めて知ることが出来た。

その足で、新日鉄代々木倶楽部へ。12時から昔の仲間(と言っても私よりずっと先輩の方々で、上は80歳の方も)6人で新年会。私が幹事役をやったが、集まった方々のキーワードは「室蘭」「釜石」「日鉄日立」で、私はかろうじて「日鉄日立(1年だけ在籍)」で参加資格を得た?皆さん、ほんとに久しぶりの邂逅で、話が弾むわ、弾むわ、あっという間に3時間近くたってしまった。「お前のお蔭で○○に飛ばされた」と内幕をばらしたり、昔の仲間の消息の確認をしたり・・・。これからもこんな会を是非にと、皆さんから一杯感謝の声を頂いた。70歳、80歳になると、こんな邂逅が皆さんの心に火をつけ、皆さんの「生涯現役」のエネルギーになって頂ければと期待しつつ、これからも幹事役を買って出ることにしている。年賀状で「一度飲みたいな」とコメントして頂いている先輩、同輩、後輩にも声をかけながら。

12日は、高校同級生が結婚式で上京してくる。例のT社の社長らと集まることにしている。

昔の絆を温めあい、深める会は、私にとっても生きる力、生きる元気を生み出す源だ。

自慢の友達「書道家黒田賢一君」

27日の朝日新聞夕刊に恒例の書道展の紹介が7面全面に掲載されていた。「第57回現代書道二十人展」(1月2日~8日)だ。いつもお正月に上野松坂屋本館で開催されているが、私の記憶ではこれまで百人展だったように思うが、今年は二十人展になっていた。その中に、小・中学同級生の「黒田賢一君」の名前があり、作品も紹介されている。大阪や東京での書道展でも毎年登場しているが、彼の話は、2~3年前にも、NSDの社内向けブログにも掲載したことがある。かな文字では、日本でもトップクラスの書道家との評判だ。

小学校時代、村の公民館で、お寺の坊さんに習字を習いに行っていた仲間であり、またお互いの家で遊んだ友人でもある。そんな彼が、今では書道家のトップになっている。故郷自慢でもあり、私としても自慢の友達だ。中学・高校では書道と縁が切れていたが、市役所に勤めた後、何か教養をということで書道を習うことにしたそうだ。師事した先生も良かったと思うが、21歳で日展入賞というから凄いと思う(習い始めて2~3年で!)。私の結婚披露宴(25歳)で、ご列席の皆さんの席に置く「名前」を書くのを、彼に頼んだが、快く引き受けてくれ、今でも新郎・新婦用に書いてもらったものは記念に保存している(三角形のマッチ箱に書いてもらった)。

同じ場所で、同じ坊さんに、一緒に習っていた仲間が、日本の書道家のトップに、一方私は会社でも「悪筆」で有名なほどに。当時の同級生でも、彼がこんなに有名人になるとは誰も思っていなかったと思う(賢ちゃん、ゴメン)。師事した先生も良かったと思うが、彼の「素直さ(先生を信じる)」や、「集中力」、「実行力」などが今の彼を作り上げたのではないかと思う。兵庫県文化賞受賞時(H15年)の彼の紹介文の一部だ。

「もう、この頃は取りつかれたようにかな文字に夢中になっていました。かな文字というと、女性的というかナヨナヨとしたイメージがありますね。普通かなは曲線ですが、私は強さのある直線が主体の、いわば男性的なかな文字を書きたかったんです。そんな強さがあるかな古筆の関戸本古今集、一条摂政集から知り得るものをすべて学ぼうとしました。古筆を自分の体に覚えこませるのが『型』だとすると、それをいったん捨て去り、そこに自分の血が加わって作品からしみじみと匂いがにじみでるようになったのが『形』ではないかと私は思っています」線情を直線化し、流麗ですっきりとした余白美を追求する「大字かな」を中心とした作品の数々で、黒田さんは現代的で明快な動きを持つ独特の世界を完成させました。「書は線質と余白の芸術と言われます。池大雅は『描かない白を描くために一番苦労する』と言っていますが、私も省略と白、つまり余白が美しい作品が一番良い作品だと思いますね」書という芸術への深く熱い思いは、ときに哲学的で難解とも思える含蓄の多い言葉となって、黒田さんの口から次々と飛び出してきます。しかし、黒田さんの口調はどこまでも気さくで穏やか。温かな人柄がじんわりとこちらに伝わってきます。

「男性的なカナ」をとの思いを持って、取りつかれたように夢中になってやった。「今を真剣に、大事に生きる」との基本を実行できた彼は、併せ持った人間力で運をも引き寄せたと言える。

書に興味ある人は是非、行ってやってください。