「教育問題2」カテゴリーアーカイブ

吉田松陰の教えを尊び経営に活かす都田建設蓬台社長!

前回のブログで紹介した、都田建設代表取締役蓬台浩明氏が出版された「吉田松陰の言葉に学ぶ生きざま」(現代書林、2015.1)。本の帯には「あなたの心に火をつける松陰の熱い言葉37」との言葉が躍る。

本の「はじめに」で、吉田松陰の素晴らしさを要約されている。その第一は「志を持つことの大切さ」と言う。蓬台氏自身も志を持つことの重要さに深く気付き、経営者を目指すことが出来たそうだ。「仕事」をあえて「志事」と呼ぶ。「武士道精神」にならい、いつでも志を持って命がけで事にあたるとの意味だ。そして、経営者になった今、松陰先生の教えである「天才教育」を意識して社員教育に力を入れている。「天才教育」を親や学校、経営者が行えば、子供達や社員はもっと才能を発揮して、やがてそれぞれが「志事」に燃えるような人材に育つと主張する。実際、都田建設では社員1人ひとりが自分の才能を発揮して活き活きと輝きながら働き、社長である蓬台氏から見てもほれぼれするほど一生懸命に必死に「志事」に燃えてくれていると言う。吉田松陰の「天才教育とは?」。

天の才を生ずる多けれども、才を成すこと難し(講孟箚記より)

蓬台氏なりに次のように訳されている。「どんな人間も一つや二つ、素晴らしい能力”天(の)才”を持っている。その素晴らしい能力を大切に育てていけば素晴らしい人間になる。これこそが人を育てる上で重要なのだ。

蓬台氏が支持する帝王学の師匠・徳山暉純先生曰く「吉田松陰とは生徒たちの先天的能力を引き出す”先生”であり”理解者”だった」と。「吉田松陰は名コーチだった」と蓬台氏は言う。

そのコーチングとは、まず相手としっかり話し合うことから始まる。身分や貧の差などは関係ない。生徒たちの目を見て心を探り、輝く才能や隠れた素質を見つけ出す。そして、本人にそのことを気付かせ、ともに磨き合っていく。周りにも教えていくーまさに相手主体の方法だ。尊敬して師と仰ぐ松陰先生に、ここまで大切にしてもらえば生徒たちの士気も上がるに決まっている。その気持ちこそ、吉田松陰先生の教えが生徒たちに深く浸透した最大の要因だ。蓬台氏は、親や教師、また社会の中で指導者になった場合、指導する者たちがいかに、相手の天才を引き出すか?これが重要ではないでしょうか?と言う。

師道を興さんとならば、妄りに人の師となるべからず、また妄りに人を師とすべからず。必ず真に教ふべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし(講孟箚記より)

【現代語訳】指導者の立場になった場合に、心得ておくべきことがあります。それが、軽い気持ちで人を指導してはいけないと言うことです。真剣に人を教えることが出来てこその指導者であり、組織の頂点に立つ指導者こそ、真剣に学び、学びながら指導するべきなのです。

いい上司は、弱みより強みに注目して、それを育てる人」こそ部下との信頼関係が醸成でき、都田建設のような”生き生きと輝きながら働ける職場作り”のための大切な要因ではないだろうか。「強みに注目せよ!」リーダーこそ肝に銘ずべきテーマだ。

今年のノーベル平和賞に17歳のマララちゃんが!

日本時間の10日午後6時すぎ、ことしのノーベル平和賞にパキスタンの17歳の少女、マララ・ユスフザイさんと、インドで児童労働の撲滅を訴えている60歳の人権活動家、カイラシュ・サティヤルティさんの2人を選んだと発表した。17歳でノーベル賞に選ばれるのは史上最年少。ノーベル選考委員会はマララさんについては「その若さにもかかわらず、危険な環境のなかでも勇気をもって女性が教育を受ける権利を訴え続け、子どもでも変化をもたらすために何かできることを示した」と述べた。

今朝の朝日新聞に、マララさんのスピーチ全文が掲載されている。若すぎるとの意見もあったそうだが、17歳とは思えないスピーチで、さすが危険をも顧みず自らの意志を貫き通す姿勢がよく表れている。インドのサテヤルティさんと電話で、お互いに対立するパキスタンとインドの首相を表彰式に呼ぶことを約束したことも話している。

「肌の色や話す言語、信仰する宗教が問題なのではありません。お互いを人間として扱い、尊敬しあうべきなのです。そして、私たちが、子どもの権利、女性の権利、全ての人々の権利のために闘うべきです。」

2年前に頭部と首に銃弾を受け、奇跡的に助かり、今なお銃弾にも屈せず闘うマララさんの言葉ゆえに迫力がある。

「この賞によって、自分がより強く、より勇敢になったように感じました。(中略)私の歩みを前に進め、私に自信を持たせてくれる励みになりました。すべての子どもたちが良質な教育を受けられることを確実にしたいです。それだけに、この賞はわたくしにとって本当に素晴らしいものです。」「万国の子どもたちよ、権利のために立ち上がれ!私が頂くこの賞は、私だけにくれるわけではないはずです。この賞は、声なき声の持ち主であるすべての子供たちのためにあります。私は彼らのために語り、彼らとともに立ち上がり、自分達の声を届けようと言う彼らの運動に連帯します」

この賞をきっかけにして、活動をより活性化したいとの強い意志の表明だ。

タリバンの支配下にあるパキスタンのスワート渓谷に育ち、その環境でなぜ、自分の権利(教育を受ける権利)を主張するために立ち上がったか、その経緯についても話している。

「そこには二つの道しかありませんでした。声を上げずに殺されるのを待つか、声を上げて殺されるか。私は後者を選びました」

「勉強をして、自分の夢(医者)を実現したい」との純粋な思いが彼女を突き動かした。世界には教育を受けられない子供たちが5700万人いると言う。日本では教育を受けられるのは当たり前で、学校や恩師を自分の人生の拠り所としていつまでも敬い、なつかしむ風潮が薄くなってきていると嘆く人も多い。中村学園大学教授占部賢志氏は、「日本の教育を取り戻す」とは、何者にも代え難い本来の「学校」を蘇生する事として、教師や教育行政関係者に発破をかける(「致知2014.1」連載「日本の教育を取り戻す」より)。

教育の基本は「人づくり」(教育は感化なり!)

天草市の勇志国際高等学校を以前紹介(http://okinaka.jasipa.jp/archives/279)したが、熊本県内六校の校長を歴任し、次々と教育現場の改革を図り、生徒数の激減で廃校の危機にあった天草東高校の再建も行った現九州ルーテル学院大学客員教授大畑誠也氏が「致知2011.1」で「教育は感化なり」のインタビュー記事に登場されている。その考え方に大きな共感を覚えたので紹介する。

大畑氏の教育に対する思いは「21世紀の一番の課題は人間関係、そしてあらゆる人間関係の中で最も大切なのは親子関係」ということであり、「21世紀は人間関係を制する人がリーダーになっていく」と。この思いの原点は、東京での経験だ。校長に赴任して間もなく、東京へ校長会に行った時、ある駅に貼ってあった「学校の成績と、社会の成績はイコールではない」とのある企業の広告にものすごいショックを覚えた。教育者に突き付けられた問題、すなわち学校で成績優秀だった生徒が社会では通用しないと言う事。学校の成績もいい、当然社会に出ても優秀、そういう人間を作らなければ、教育者として給料をもらう資格はない。成績は手段であって目的ではなく、教育の一番の目的は「人間づくり」だと。

いずれ分校、廃校になる噂があるため、生徒に意欲も元気もなく、遅刻は多く、服装は乱れている、そんな天草東高校に校長として初めて赴任。一刻の猶予もない状態で、4つの目標(大きな声で挨拶、返事、校歌を歌う、1日1回図書館へ)を掲げ「答えは現場(生徒)にあり」との精神で生徒との接触を試みた。赴任後初めての始業式の挨拶で、4つの目標を読み上げ、「ええかっ!?」と言っても返事がない。そこで壇上から飛び降り一人一人に返事をもらいに行った。そして壇上に上がりもう一度返事を促すと大きな声で「はい!」と返ってきた。教育の基本は率先垂範、校長自らが大きな声で挨拶する。やがて登下校中、地域の人に挨拶する生徒も出てきた。「どうしようもない高校だったのが最近変わってきた」との評判も出始め、地域の人に褒められたことを全校集会で報告し「君たちはすばらしい」と褒める。すると子供たちは「挨拶って大事なんだ」と理解は深まる。「挨拶」はお互いに認め合う事でもあり、学校やクラスのチームとしての雰囲気もよくなり、お互いに切磋琢磨するし成績も上がる好循環を生む。

大畑氏は教育の究極の目標は「親に感謝、親を大事にする」ことだと言う。親と挨拶できない人間が、社会に出て行って誰と人間関係を作れるか?大畑氏が天草東高校時代から続けていることがある。卒業式の日、式の後3年生と保護者を教室に集め最後の授業をする。そこで、子どもたちがいまあるのはご両親のお蔭だと言うことを言って聞かせ、「心の底から親に迷惑や苦労を掛けたと思う者は隣のご両親の手を握って見ろ」というと、一人二人と繋いでいって、最後は全員が繋ぐ。そこで「18年間振り返って親にほんとにすまなかった、心から感謝すると思うものは、今一度強く手を握れ」と言うとあちこちから嗚咽が聞こえる。これが、親に感謝、親を大切にする最後の授業だ。

最後に大畑氏は、夏目漱石の言葉「教育は感化なり」の言葉を使いながら、子どもの魂に響く教育、魂に届く教育、魂を揺さぶる教育が出来れば、その教育者本人も自ずと自分の生き方、あり方を考えるようになると言う。教育者にせよ、会社の社長や上司にせよ、この感化力のある人がどれだけいるかが、次代の国、会社の盛衰を握っているのだと思うと締めている。

FBの致知出版社のページが古い記事を思い出させてくれる。以前読んだときと、今読むのとではまた共感度、感動力が違うように感ずる。時々過去の記事も読み返したい。