追悼!稲盛和夫のすごさ!


稲盛和夫氏が今年8月24日享年90歳で亡くなられた。致知12月号の特集は「追討 稲盛和夫」だ。その巻頭言の一部を下記する。

”巨星墜つ“。その業績は巨星の名にふさわしい。京セラを開業、一代で1兆円を超す世界的な企業に育て上げた。さらに52歳の時に創業した第二電電はKDDIとなり、現在5兆円を超すマンモス企業となった。それだけに留まらない。2兆3千億円の負債を負って倒産した日本航空の再建を託され、会長に赴任したのは78歳の時である。就任1年目に1800億円の利益を出し、その翌年も2000億円の黒字を計上、就任後2年8か月で日本航空の再上場を果たした。しかし、経営者としての大業を称揚するだけでは、稲盛氏の真価に迫ることはできない。稲盛氏の非凡さは、みずからが真剣(ド真剣!)に仕事に打ち込む日々の中で体得した仕事哲学、人生哲学を著書や講演活動で余すことなく解き明かし、その言葉に多くの人が惹き付けられ、多大な影響を受けたという点にある。

今回の特集では、稲盛さんとの親交を通じて、その心を学び、活かし、その学びを他の人にも伝えたい方々の熱い言葉が並ぶ。京セラ、KDDI,日本航空の方々以外にも、永守日本電産会長、柳井ファーストリテイリング会長兼社長、門川京都市長、伊藤京都サンガFC社長など、そしてサッカーの岡田武史氏と元日ハム監督の栗山氏の対談もある。ほんとに多士済々、多くの方の、稲盛氏の経営哲学、人生哲学を実行に移し成功した体験談だ。

中でも、2013年10月2500名を超える参加者が集った大阪国際会議場での稲盛氏の講演録の中にある稲盛氏の人生哲学の出発点ともいえるエピソードに興味を持った。

稲盛氏の言葉で私にとって、もっとも印象的なのは、”利他の心”と”動機善なりや、私心なかりしか”だ。日本航空の再建を頼まれた時、航空業界は全く素人であり、高齢でもあったことから何度も何度も断られたそうだ。周囲も”晩節を汚すのでは”と心配してくれる友人も多かったそうだ。そんな状況下で、最後決断したのは「世のため、人のため役立つことをなすことが人間として最高の行為である」との人生観だったと言う。この人生観を得たのは経営の悩みに悩んでいた若い頃出会った安岡正篤の「立命の書“陰騭録(いんしつろく)”を読む」だそうだ。人はあらかじめ決められた運命に従って生きていく中で、善いことを思ったり、善いことを実行したりすることで、人生が良い方向に向かっていく「因果の法則」があるのではと思いつつ、あるときに出会った前述の本で、その考え方の正しさを確信された。400年ほど前、中国明の時代に書かれた本で、著者は袁了凡という若くして科挙に受かり、出世した人だ。彼が幼い頃出会った白髪の老人から、医者になりたいとの親子の意向に対して「彼は科挙の試験を受けて立派な高級官僚として出世する」と言われ「何歳で科挙に合格し、その後も何歳で高級長官とさり、結婚して子供は出来ず53歳で死ぬ運命にある」と言われた。まさにその通りの人生を歩み、地方の長官として赴任した土地で、とある禅師に会った。その禅師に彼は「私の人生は、白髪老人が言ったとおりの人生で何の迷いもなく心穏やかに53歳までの人生を過ごします」と言ったら、その禅師は「聡明な賢人と思ったら、大バカだった!」と烈火のごとく怒ったそうだ。その禅師曰く「確かに人には運命というものが備わっている。しかしその運命のままに生きるバカがいますか。運命というのは変えられるのです。“因果の法則”というものがあり、人生を運命のまま生きていく途中、善いことを思い、善いことを実行すれば運命は良い方向へと変わっていきます。逆に悪いことを思い、悪いことを実行すると運命は悪い方向に行く。この因果の法則というものが我々の人生は皆、厳然と備わっている。」と。彼は素直にこの話を信じ、奥様と一緒に善いことを思い、善いことを実行することに心がけた人生を歩み始めた。その結果、息子も生まれ70歳を過ぎても元気にしていたそうだ。

稲盛氏は、自らの人生哲学にこの本で確信を得て、その後の人生も、自ら打ち立てた経営・人生哲学に徹し、人生をド真剣に生きてこられた。その結果がすばらしい業績を残されたことにつながった。特に日本航空では、無償での貢献だ。すばらしい生き方と感服しつつ、わが身の生き方にいまさらながら反省しきりだ。黙祷!