当ブログでも何度か、末期癌から回復された方を紹介してきた。例えば、博多の歴女白駒さん(「強く生きる力が湧いてくる「感動する日本史」(HTTPS://JASIPA.JP/OKINAKA/ARCHIVES/399)だ。「医師は治すのが仕事なのでこうした事例を追跡研究することはなく、「たまたま」治ったという話は「偽りの希望」を与えるだけだとして積極的に口外することもなかったために、自然治癒事例は事実上放置されてきた」というのは、全米ベストセラ―『がんが自然に治る生き方』の著者Dr. Kelly A. Turner ケリー・ターナー博士だ(HTTPS://JASIPA.JP/OKINAKA/ARCHIVES/2016)。
今回は、「致知2020.4号」で紹介された南三陸町で「農漁家レストラン松野や」を経営する松野三枝子氏の事例だ。ターナー氏の話からすれば、このような事例は、がん患者の人たちに希望を与える貴重な事例と言える。タイトルは「”生きる“それが人生で最も大切なこと」。
記事のリード文は下記。
2006年、53歳で突然末期がん(スキルス性胃癌ステージⅤ)を宣告された松野三枝子さんは、東日本大震災時、津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町の病院に入院中だった。間一髪で命を助けられ、翌日から重篤な体を必死に動かし炊き出しを開始したところ、3か月後の精密検査で全身に転移していたがんがすべて消えていたという。松野さんが呼び寄せた、科学では証明できない奇跡に迫る。
反対を押し切って名家に嫁いだ松野氏は、弱音を吐けない状況の中で、11人家族の食事の世話から畑仕事など歯を食いしばって頑張っていた53歳の時、突然倒れ、緊急搬送された。3日間意識なくステージⅤのがん宣告、「余命1日もなし」と。1か月後の2度目の手術で食道・胃・脾臓・胆嚢・胆管・腎臓、そしてリンパ節180か所を摘出。2011年大震災の年には、無数のがんが肺に転移、輸血治療と点滴で寝たきり、絶望の生活を送っていた時、大地震が発生。その時2週間ぶりの風呂に浸かっている時だった。看護師さんからもらったバスタオルを体に巻いて、屋上に駆け上がった。途中で津波が襲ってきて、流される患者や、車ごと流される若い娘さんなどが流される、まさに地獄を見た。将来の有る若者が命を奪われ、余命短い自分が生かされている不合理さを強烈に感じ、炊き出しをしようと、前日まで寝たきりの身でありながら、バスタオルに看護師から貸してもらったジャンパー姿で、高台にあった自宅まで帰ることにした。自宅まで車で10分位の道のりを2時間40分かけて帰ったそうだ。その後は毎日5升釜三つでご飯を炊いて周囲に配り、ご本人は行方不明の父を探して遺体安置所を回り続ける。こんな姿がテレビで放映され、主治医の目に留まり、津波ですべて流された薬をもらうことが出来、そして震災3か月後の精密検査で奇跡が起きた。「余命なし」と言われるほどの重症だったにも拘らず。前身のがん細胞がすべて消え去っていたのだそうだ。その事実に先生のほうが驚きを隠せなかったと言う。
その後、避難している人たちが南三陸へ戻った際の憩いの場ともなることを願って、「農魚家レストラン松野や」を立ち上げ、2014年1月にスタート。疲れ果てて動けなくなったり、しょっちゅう意識不明になりながら、今も郷土料理つくりに精をだして多くの人に感謝されているそうだ。
松野さんは下記のような言葉でこの記事を締めている。
私は自分の人生を最高に楽しんでいます。末期がん、大震災を共に生きぬくことができたからこそ、まずは自分が真剣に生きて、命の大切さを伝えたい。とにかくあと1年でも2年でも生き続けたいと思います。
末期がんからの生還に関する科学的研究は、冒頭のターナー博士が言うには、進んでいない。が、これまでの事例では、後ろ向きに考えるのではなく、積極的に前を向き、人と協調しながら笑顔で目標をもって生きる人に、たまではあるが起こる奇跡のようだ。