スペイン旅行~その4~ミハス&グラナダ


グラナダに泊まれば、ホテルからすぐのアルハンブラ宮殿に朝一番に行くのが普通だが、予約時間が午後しかなく(混雑していてなかなか予約が取れない)、仕方なく、170㎞先の高級リゾート地ミハスに先に行くことになった。車中からの眺めは、オリーブの樹が連なる光景で、バルセロナからバレンシア、グラナダに至る道中の景色も見事なオリーブの樹の森だった。景色で印象的なのは、スペインでは立て看板が禁止されていること。観光立国を目指す日本も見習うべきと思われる。

ミハスは地中海に面した町で、「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」と言われる350㎞にわたる白く美しい町の一つだ。スペイン第3の空港があるマラガも有名だが、山の中腹になるミハスの眺めが良く、賑わう町となっている。車中からのマラガとミハスの光景だ。


ミハスは小さな町だが、ともかく白い家、白い壁が坂道の両側に並ぶ。山の中腹にも白い家並みが見事に並ぶ。

街並みの中に小さな美術館があった。中に入ると隣のマラガ出身のピカソの展示物が主体だった。

同じ道を一路グラナダに帰り、アルハンブラ宮殿を目指す。途中3000mを超えるシェラネバダ山脈の雪景色が見事だ(年中雪をかぶっているそうだ)。

いよいよアルハンブラ宮殿見学だ。イスラム芸術の最高傑作と言われ、スペイン最後のイスラム王朝ナスル朝の王宮だ。1492年、キリスト教復活のレコンキスタ運動が完結した場所でもある。ガイドから見学は約2時間、4kmの行程と聞き、最初は驚いたが、糸杉など緑の多い庭園など、気持ちよく散策できる環境だった。最初に、ナスル朝時代の王が造成した“夏の離宮”ペネラリフェ庭園を見学し、その後アルハンブラ宮殿に向かった。この離宮の特徴は、たくさんの水路や噴水が設けられ、水をふんだんに使っている点で、「水の宮殿」とも呼ばれている。北アフリカの乾燥した大地からやってきたイスラムの民は、水のある景観をこよなく愛した(水はシェラネバダ山脈から取り込んでいる)。

アルハンブラ宮殿の原型は9世紀末に建設されたアルカサーバ(砦)で、イスラム王国時代の後半13~14世紀に拡張された。キリスト教徒の手に渡った直後に、カルロス5世がこの地を避暑地として選び、カルロス5世宮殿を建設した。アルハンブラ宮殿はスペインに屈服させられたイスラム教徒の宮殿であるが、現在はカトリック教国でありながら、イスラム時代の建築が数多く残されていることは、現実にはスペインをスペインたらしめる数多くの文化がイスラムにその多くを負っているということを物語っているのではなかろうか。いよいよアルハンブラ宮殿に入場する。サン・フランシスコ修道院など、グラナダを征服したキリスト教徒によって築かれた建物を眺めながら、先に進む。まずルネサンス様式のカルロス5世宮殿に行く。最初に作られたアルカサーバ(砦)も見える。

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次にナスル朝宮殿メスアール宮に到着。この部屋の天井も、ナスル王朝の時代はステンドグラスだったものが、キリスト教徒によって現在の木の天井に変えられてしまった。

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次が外交と政治の場であるコマレス宮。壁のアーチ状の開口部分や光が差し込む窓、貝殻、花、星などのモチーフの石こうで飾られた壁、青いタイルで飾られた壁の下部など、細かいデコレーションに圧倒される。コマレス宮に面してアラヤネスの中庭がある。池の両脇にあるアラヤネスの生け垣が名前の由来で、日本名“天人花”。

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コマレス宮を抜けるとライオン宮。アベンセラッヘスの間の天井には鍾乳石で作られた豪華な装飾が見られる。その中庭に12匹のライオン像がある。口から水を出すライオンの数で時を知らせるそうだ。最後にアルハンブラ宮殿からみるアルバイシン地区だ。アルハンブラ宮殿とダーロ川を挟んで反対の丘にあり、イスラム教徒勢力がイベリア半島の大半を支配していたころ作られたグラナダで一番古い街並みだ。

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(写真と名前を一致させるためにインターネットで調べたが、完全に一致しているかどうか不安なところがある。ご勘弁願いたい。)

アルハンブラ宮殿見学を終えて一路セビージャ(セルビア(へ(240km)。

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