スペイン旅行~その1~序章


今年2回目の海外旅行先にスペインを選び、12月19日~26日の年も押し迫った年末に家内と共にツアーで訪れた。スペインの緯度は南は東京、北は札幌に相当するそうだが、地中海に面することもあり、北部のバルセロナでも東京の温度とほとんど変わりない感じで、どちらかというと内陸のマドリードの方が寒かった。クリスマスのイルミネーションを期待していたが、あまり派手なものはなく、逆にクリスマスイブからクリスマスにかけて店も閉まり、飲食にも事欠く状態だった。

行程は、まずは、羽田からドイツルフトハンザ航空でミュンヘン経由でバルセロナへ。1日目はバルセロナ観光(サグラダファミリア他)後、タラゴナ(水道橋)経由でバレンシアへ。2日目はバレンシアからラ・マンチャ(白い風車)経由でグラナダへ(フラミンゴショー)。3日目が白い村ミハス観光後グラナダに戻りアルハンブラ宮殿観光、その後セビリアへ。4日目が、セビリア観光後、コルドバへ。メスキータ見学後、超特急列車AVEにてマドリードへ。5日目がプラド美術館などマドリード観光。そして翌日マドリードからフランクフルト経由で東京羽田へ。

バルセロナはスペイン北部のカタルーニャ地方(フンスとの国境ピレネー山脈の南側)にあり、歴史的にもスペイン中南部との関係よりもローマ、フランスや、スペイン北部州との関係が強く、12世紀にはローマまで支配するアラゴン連合王国を作ったり、15世紀にはカスティーリア王国との連合国を作ったりしていた。そのため、今でも北部地方はカタルーニャ語とカスティーリア語のバイリンガルが多く、スペインよりの独立機運が高い。
一方でスペイン中南部では711年に北アフリカから侵入してきたイスラム勢力ウマイヤ朝時代が長く続き、その間レコンキスタ(国土回復運動:キリスト教復活運動?)でキリスト教社会を取り戻す活動が続けられ、11世紀から13世紀にかけて各都市をキリスト勢力が奪還した。最終的にはカスティーリア女王イサベルがカタルーニャのフェルナンドと結婚し、イスラム最後のナスル王朝のあるグラナダを陥落させイスラム教支配の終焉を迎えた(1492年)。1516年にハプスブルグ家のカルロス1世がスペイン王として即位し、1556年即位したフェリペ2世時代にかけて、“太陽の没することのない帝国”を築き、スペイン最盛期を誇った。イスラム長期支配からキリスト教支配に至った歴史を反映した建築物がグラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータに残っているのもスペインの大きな特徴と言えそうだ。
次回から、まずはバルセロナのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)を手始めに順次紹介していきたい。
本年もお世話になりました。良いお年をお迎えください。

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