天皇陛下の心臓手術執刀医天野教授のすごさ


2月18日の各新聞でも記事にされていたが、日本中が固唾を飲んで見守った天皇陛下の心臓手術から1年。執刀医として見事その任を果たされた順天堂大学医学部天野篤教授が、「致知2013.3号」に、25年来の盟友であり、よきライバルとして同じく心臓難手術に挑んでこられた東京ハートセンター長南淵明宏氏と対談された記事が掲載されている。

心臓手術は成功しないと命が亡くなる、非常にリスクの多い手術だが、天皇陛下と言う100%成功させなければならないその手術を担当する、その精神状態は如何ほどのものなのか?ということに大いに興味があった。南淵氏が、天野先生が天皇陛下の執刀医となったことに対してメールを出したら、「いつも通り平常心で手術が出来るはずだし、それが自分の使命だ」との返信があったとか。なぜそんなに平常心で出来るのか?対談記事でその一端が理解できたような気がする。

心臓外科と言うのは、決して日の当たる科ではないそうだ。天野先生曰く「医科大学の心臓外科教授というのは、総勢6,70名のうち、数人を除いて皆、心身ともに不遇な状態にあります。世間で誰にも知られておらず、患者さんも来ない、病院のお荷物的存在で、教授会でもバカにされ、と。医者としての本来の目的を失ってしまっているからそうなる。医局で地位を得ることが目的になってしまう。」研究と教育とかと称して、自分では大した手術もしない傾向もあると言う。そのような中で、天野先生は「手術をすることによって、いろいろなものを手に入れていくんだ。そうやって自分にはこれしか出来ないんだと言い聞かせる。手術にこだわって数をこなし、自分が進化したと感じたときに、また違う新しいものが見えてくる。」と。今でも南淵先生が驚かれる、去年1年間で470例もの手術をされているそうだ(心臓外科医の平均は50程度。南淵先生で225例)。毎日昼飯を取る時間や、寝る時間を惜しんで(まとめて寝るのは3~4時間)手術に没頭されている。「自分の中でケアの部分を捨て、キュア、つまり患者さんを助けることが100%。この手術で決める。これで決まらなかったら、もう自分の存在価値がないくらいの気持ちで臨んでいる。野球で言えば、27球でゲームセットと言う位、隅々まで詰めてきましたから」と。南淵氏は「本当に自信が持てる境地に至れば、自分で自分を評価して、1点の曇りもなく手術をし、絶対に間違いがないという姿勢で臨める。それをまた患者さんもスタッフも本能的に感ずるわけです。天野先生が’これはいけるぞ’と思った患者さんであれば、おそらく八発百中。周りから見ると途轍もなくレベルの高いことが、本人には当たり前のこととして当たり前のように出来る。これがプロフェッショナルというもの」と言う。天野氏が付け加えて「プロフェッショナルとは、より高みを目指す人だ」と。「はやぶさ」の川口淳一郎氏の「高い塔を建てて見なければ、新しい水平線は見えない」というのと同義のように思う。

手術後、今では天皇陛下がご静養に行かれても、心臓手術の話は一切でなくなった。南淵氏は、天野氏の天皇陛下の心臓手術の成功を「手術の成功とは何かと言えば、手術をしたこと自体を忘れてしまうことだ」と表現する。天野先生は、致知で「一途一心」と言う言葉に出会い、「コツコツは一途一心と同義」に共感し、「ひたむきに一つの事にコツコツと打ち込むと、ああこれならできると言うものがきっと見つかる」と訴える。

「天皇陛下の心臓手術執刀医天野教授のすごさ」への1件のフィードバック

  1. 天皇陛下でなくても100%成功させてください。お願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です