ほんとに経済成長至上主義でいいのだろうか?


バズーカ砲と言われる金融緩和で、株高・円安が続いている。一方で、生活実感として「生活が楽になった」人は少数派である。あまねく地方まで、経済成長実感を普及させるために「地方創生」を政府は最重要テーマとして進めている。2050年には世界人口は現在70億人が90億人を超えるとの予想も出ている。日本でも少子化問題が経済成長のネックとなるとして1億人を是が非でもキープするための施策が議論になっている。一方で、地球温暖化、食糧危機で、将来的な地球の崩壊を警告する報告書が出されている。

アメリカでは、1981年レーガン大統領のレーガノミクス政策により、豊かな中流層が中核になっていた社会が、その後30年間で富裕層との格差拡大で消滅し、医療や福祉の後退を招くことになった(2005年の調査で上位1%の富裕層が国の総所得の17%以上を受け取っていたとのデータがある)。日本でも小泉政権時代の構造改革、規制緩和策で格差が拡大、そして今、安倍政権のアベノミクスでさらなる格差拡大が問題視されている。まさに株高、円安は大企業、富裕層にとっては恵まれた環境になっているが、中小企業や、大半の国民はその恩恵にあずかれていない実態がある。アベノミクスによる第一の矢「金融緩和」のみに頼らざるを得ないことの限界でもあるが、本来の「需要喚起→企業成長→賃金上昇→需要増」という好循環を生むための「第3の矢」が中々でてこないため、国民の大半の生活が楽になるどころか苦しくなっている。

以前紹介した「里山資本主義」の中で、藻谷浩介氏は『日本の食料自給率は39%、食料さえも諸外国に依存し、お金が無ければ生きていけない。戦争はエネルギー問題が発火点になることが多い(第二次世界大戦もそうだった)が、これからは食料問題も引き金になる恐れが出てくる。“経済成長”のみを追っかけることの怖さ、不安定さを考えれば、安全保障の前にやるべきことがあるのではとの提案が「里山資本主義」だと言える。安全保障環境が厳しくなるにつれ「食料も資源も自給できない国の繁栄など、しょせんは砂上の楼閣ではないか」との不安がますます募るhttp://okinaka.jasipa.jp/archives/560』と言う。

経済学者で、小渕、細川、小泉政権で経済諮問会議などを通じて施策の片棒を担いだことを反省し「資本主義はなぜ自壊したか」(2008.11集英社)を著した中谷巌氏。その中で、現下の格差社会をもたらしたことなどを「懺悔」している。『一時日本を風靡した「改革なくして成長なし」は、一部成果もあったが、この20年間における貧困率の急激な上昇は日本社会に大きなひずみをもたらした救急難民や異常犯罪の増加もその「負の効果」に入るかもしれない「改革」は必要だが、その改革は人間を幸せにできなければ意味がない』と言っている。さらに『利潤追求を至上命題とするグローバル資本主義においては、子孫のために自然環境を守り、資源を節約しようといった話は所詮副次的なテーマにすぎない。グローバル資本主義は地球環境問題について責任を負わないばかりか、むしろ、環境破壊を加速する側に加担しているのだ』とも言っている。

福島第一原発の事故の総括もせず、原発の輸出に血道を上げる、財界の意見に押されて地球温暖化ガス削減目標の策定にしり込みする、世界で最もひどい国の財政状況を、将来世代のために改善せねばとの強い意思が見られない、などなど、すべて経済成長を最優先する考え方に基づくものだ。IPCCの報告にもあるように、「地球温暖化を抑制する施策は地球崩壊を防ぐためにまったなしの状況」だ。「足るを知る」豊かで幸せな社会もあるのではないだろうか?消費をあおって地球資源の枯渇を招くことがいいのだろうか?

消費税増税問題が引き金の「衆院総選挙」が急浮上してきた。「なぜいま」とも思うが、なかなかいい選択肢がない中、投票先に思案してしまうが、「1強多弱」の世界を何とかして、国民の声が反映されるような政治にしないと将来が心配になるのではとも考えてしまう。

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