ギャングスターズ水野監督勇退!


自らの一生を京都大学アメリカンフットボールに賭けた男、水野監督が昨年11月に監督を勇退されたとの記事が日経ビジネス(2012.2.13号)に掲載されている。足掛け36年間、ギャングスターズの監督を務められたそうだ。水野監督の人生の半分だ。ギャングスターズが名を馳せたのは、1984年初めて甲子園ボールで大学日本一となり、そしてライスボウルでいきなり社会人を破り実質日本一となった時。1997年まで6回学生日本一に輝き、そのうち4回は社会人を破って日本一となった(これは日大フェニックスに並ぶ記録)。この頃がピークで、その後は立命館、関西学院などに押され、残念ながら表に出なくなっていた。私が1995年東京に転勤になってすぐ、当時のアメフト部部長の西川教授(その後、大阪工業大学の学長になられ、東京に来られた時に㈱NSDの大工大OBと対談して頂いた)から券を頂き、家族で東京ドームに応援に行ったことがある。その時は残念ながら社会人(リクルートシーガルズ)に負けたが、それがライスボウルでの最後の試合となったようだ。

水野監督は、私学と違って大学から何の補助もなく(グラウンド提供だけ)、部員と一緒に学習塾を経営して資金としながら部の運営をされていたと聞く(お酒も飲まれない)。関西学院などと違って、部員は初めてフットボールに触ったという素人ばかり。なぜ、そんな集団が日本一になれるのか、いろんな意味で水野監督の記事がインターネットでも掲載されている。

神鋼ラグビー部の平尾監督は。試合の戦法やチームの有り方などすべて選手の自主性に任せることによって、7連覇を達成したという。しかし、当時の選手は名だたるラグビー名門校の名選手であり、自らの力を知り、己のプレーを評価できる高度なレベルの選手ばかりであった。一方、京大の選手は、全く素人のため、自主性に任せることは出来ない。「やるべきこと」「やってはいけないこと」を明確にし、その基本を徹底的に、強制的にやらせる。実戦練習を求めがちだが、実戦は相対的なもので、相手が強ければ負けてしまう。だから基本練習を重視する。さらには「チームの求めるレベル」も明確に示し、参加すること自体は個人の意思に任せる。そして、己の力、己の限界を知り、自分で自分を問い質す事が出来る人間を目指して、己を鍛えていく。そうすれば、「やれないことはしない」「やれることは徹底してやる」という方策が身体で覚えられる。

このような経験を踏まえて、今の教育にも疑問を投げかけられている。「子どもの目線で、子どもを尊重する教育」に対して、子どもだった経験のある大人たちの厳しい指導も必要と主張される。強制的に世の中の厳しさを、大人たちの経験則に則って教えるべきとも言う。

しかし、素人ながら資質のある部員を如何に集めるかがポイントとなる。そのため、高校を回り、人を掘り出す努力も欠かせない。強い時は結構素質のある部員を集めることが出来たが最近は少なくなってきたそうだ。しかし、今年のギャングスターズは優勝できる戦力になったので、勇退されたそうだ。今年の活躍に是非期待したい。

「ギャングスターズ水野監督勇退!」への4件のフィードバック

  1. 今朝の日経スポーツ欄に期せずして水野監督の記事が掲載されています。「お役に立てるなら京大に限らずどこでも教える」と。

  2. ギャングスターズが強かった頃は、毎年正月のライスボールのTV中継が楽しみでしたね。夢よもう一度で、来年のライスボールでギャングスターズの応援が出来れば嬉しいのですが。

  3. ライスボールだと「おにぎり」ライスボウルですがなhttp://www.americanfootball.jp/ricebowl/

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