リクルートは人材の宝庫!

18日のブログ(http://jasipa.jp/blog-entry/8652)でも一部触れたが、日経朝刊2面に先週連載された「リクルートの子供たち」を読むと、企業の社長、幹部や、著名人を数多く輩出しているのに驚かされる。

採用予算は86億円

ウェブマーケティングのマクロミル杉本社長(45)と人材コンサルタントのリンクアンドモチベーションの小笹会長(51)の出逢いが2回目に書かれている。杉本はリクルートの採用面接を受けたが、マスコミ志望で全国紙から内定をもらっていた。面接終了後トイレに行ったら面接官の男に会い「君さあ、事業を興した人を取材するより事業を興して取材される人になりたいと思わないか」と。そして分厚い「リクルート原点ブック」を手渡された。創業25周年に編纂されたその本にはリクルートの仕組みや制度がびっしり書かれてあった。杉本はその本の内容にぐいぐい惹かれ、気付いたらリクルートで働いていたと言う。その面接官が当時人事部長の小笹氏だ。小笹氏は「リクルートの競争力の8割は採用にある」と言う。杉本が入社した1992年には、500人採用し一人当り500万円の採用コストをかけた。「寄らば大樹のタイプは採らない。組織に頼らず新しい価値を生み出す企業家タイプを1~2年かけて探し、『これだ』と思った学生を全力で採りに行く」。

垂れ幕文化

3回目は、若手のモチベーションを上げるリクルートの人材活用術。新人営業ウーマン山田の成功物語だ。「ホットペパー」の営業で、ある焼き鳥屋から広告の受注をとった。その電話を受けた上司は、フロア中に響く声で「山田さん、初受注です」と叫ぶ。フロアでは大きな拍手が響く。山田が帰社すると握手攻めで、しばらくすると机の上に垂れ幕「祝、山田さん初受注」が下がる。これが創業時からのリクルートの文化だそうだ。その後も順調に伸ばした山田は四半期に一度のキックオフ大会で「新人賞」に輝いた。そしてそこで初受注の苦労話を披露。その直後、山田が驚くサプライズ企画、場内が暗くなりスクリーンにビデオ便り。なんと母親からの「おてんばだったあんたが、立派になって賞までいただくなんて・・・」。ここまでやられると、本人のやる気だけではなく、自分の手の内を喜んで明かすことになり、ノウハウが溜まっていくと言う。

青いRと赤いR

4回目は、青いR(リクルート)と赤いR(楽天)の浅からぬ縁についてだ。楽天の主要なポジションには元リクが多いと言う。楽天で働く元リクは100人を下らないそうだ。三木谷社長の、リクルート創業者江副氏への思い入れは深い。リクルートでは「社員皆経営者主義」で若いころから収支責任を負わされ20代でBS,PLをマスターする。そんな元リクは人材不足のベンチャーで即戦力として重宝される。

男女別はトイレだけ

5回目は、新人女性営業と言えども男女の区別なく、ノルマを与えるやりかたを書く。一つのビルを最上階から1階まですべての入居企業に飛び込み営業をかける「ビル倒し」も女性と言えども例外なく経験させる。あきれ顔の社長が「あんた新人やろ。どうやったらあんたみたいな生意気な新卒が採れるんだい」、新人女性は「ウチに求人広告をだしてもらえれば」と。リクルートに「女性社員」と言う言葉はない。1999年入社の横田は、「30歳までに起業」の目標を達成し、入社6年後に女性社長を支援するコンサル会社「コラボラボ」を立ち上げ、今では登録女性社長1300人、そのうち元リクが約100人とか。

いい人材を見極めて採用し、徹底的に育成し、30代で卒業[転職、起業]する。「折角育てた人材を辞めさせるのはもったいない」とのケチな考え方ではなく、「育った人材はもっと幅広く活躍させる」ことで、日本のため、世界のために役立てたいとの発想は凄いことだ。今年2月に76歳で亡くなられた創業者江副氏の理念が営々と生きている。

「日本一楽しい会社」を目指す群馬県の会社

新聞・テレビなどのメディア登場回数が1000回を超え、全国からの講演要請も数多く著作本も多数という、群馬県の中里スプリング製作所社長中里良一氏。自動車、パソコン、医療機器など様々な分野で使われるバネを製造する会社だ。「致知2013.5号」のインタビュー記事に登場されている。30年前廃業寸前状態の会社を創業した父親から引き継ぎ、「日本一楽しい会社を目指す」をキャッチフレーズにする「非常識経営」で、23名の小さな会社を、それまで県内しかなかった取引先を47都道府県すべてに拡大するまでに成長させた。

大学卒業後商社に勤めて(昭和49年)2年後に父親から「会社を閉める」との連絡が入った(オイルショック時)。父親に負け戦をさせるわけにはいかないと、「俺が立て直す」と言って戻った。会社の雰囲気は、社員も中途半端なプライドばかりで、ダラダラ残業をする状態。社長の息子だからと言って誰も言うこと聞かない。自分が結果を出さなければ社員の信用も得られないと、昼は営業、夜は時間を惜しんで現場のバネ製造技術を自ら勉強し、ベテランが出来ないと言ったバネを作って見せた。その時から社員はついてきてくれるようになったそうだ。そして入社9年後名実ともに社長になった。「人間は環境が悪いから頑張れる。頑張っている姿を人に見せちゃいけない。多くの人はちょっとした努力を人に分かって欲しいと思うが、結果だけ示せばいい」と経験から中里氏は言う。

まずやったことは「夢会議」の創設。最初は「夢なんか考えた事も無い」社員に夢を持たせるために月1回車座になって夢を語る会を開いた。「車が欲しい」「家族旅行をしたい」「もっと大きいバネを作りたい」等など。社長の夢は「営業マンを一人も置かずに、営業所を一つも出さずに全国制覇する」。そして、昨年高知県を最後に目標達成。どうやって達成したか?人前で喋るのが大嫌いだったが、ある人の勧めで「今までやってきたことを思い切ってしゃべって見て」と言われ、思い切ってしゃべった所、それがきっかけで次第に増えていき多い時は年間60回を超えるまでになったそうだ。その講演の機会を利用して、営業活動を全国で展開(交通費も相手もちのため、費用かからず)。

会社のすべての判断基準は「損得」ではなく「好き嫌い」。取引先もすべて社員の希望制で、どうしても好きになれなければ、取引先を切るのもOK.自分の評価は自分で、給料は幾らもらいたいか、どの役職につきたいか、誰についていきたいか、誰を部下にしたいか、なども希望制。一緒に仕事をしたい希望者がいない時は社長直轄とし、自分のいい所をもっと伸ばせと指導する。「人の人生はすべて‘好き嫌い’で動いている、学校選び、クラブ活動、伴侶選びなどでもそうなのに、仕事だけ損得で考えても上手くいかない」というのが中里社長の持論。後は頑張るために「夢」を持って、逃げ場を無くして頑張る。

ホームページに講演テーマなども細かく記載されている。上記記事だけでは、すべてに納得できるわけではないと思うが(少なくとも私は)、会社は上手く回り、社員も活き活き仕事をしていると思われる。何よりも講演回数がすごいことを考えても、経営にヒントになることは多いのだろう。JASIPAの会員が群馬県には多いが、情報があれば教えて頂きたい。

余談だが、18日のJASIPA交流会で、「立派納情報システム㈱」の和田社長と名刺交換した。先月創業されたそうだが、「立派納」は中国語で「立派な」と言う意味とのこと。オフショア開発を事業とする会社だが、「立派な会社にする」との意気込みを社名にしているのがユニークで面白い。

「伴走型マネージメント」の時代

「初めて管理職になったあなたへ~成功へのガイダンス~」という広告記事を4月16日の日経朝刊で見た。人事・教育コンサルタント高城幸司氏(セレブレイン社長)からの新任管理職へのメッセージだ。

管理職の役割として「部下を気持ちよく働かせる」として、部下のマネージメントにはリーダーシップ力が必要と説く。管理職はリーダーとして目標を設定し、方向性を示して、部下にやらせる。PDCAのサイクルで継続的に部下に仕事をさせることがマネージメント。そのためには一人ひとりが納得できる目標設定が大事になる。部下とコンセンサスを得るためにトコトン話し合うことが不可欠と言う。

さらに、今の時代は“俺についてこい”と言う「徒弟型マネージメント」ではなく、部下と一緒に走る「伴走型マネージメント」と主張する。組織の目標を決めたら、進む方向と範囲を示し、後は自由にやらせる。よくできたときは褒め、悩んでいる時は相談にのる。事例として駅伝3連覇を成し遂げた早稲田大学渡辺康幸監督のマネージメントを出す。

新しい時代の管理職像をしっかり学んで、スキルアップをして欲しいと、「管理職のルール8か条」を挙げている。

  • 1.部下への命令はその根拠や意図を明確にして、論理的かつ具体的に指示する。
  • 2.部下が業績をあげられるようにサポートする。自分は黒子に徹して、部下に手柄を。
  • 3.できない部下、やる気のない部下にも役割を与え、モチベーションを高めていく。
  • 4.現場には無理難題と思われがちな会社の目標も自分なりの言葉に変えて部下に伝える。
  • 5.部下が目標を達成するためのプロセスを管理。目標数字ではなく、具体的な行動を指し示す。
  • 6.数年後の組織の明確なゴールイメージを与える。実現可能で継続性のある目標を示す。
  • 7.意思決定のルールづくりも重要。自分の下した意思決定とその理由を説明できる。
  • 8.「会社のために」を言い訳にしない。不祥事が起こっても会社は守ってくれない。

今の時代、以前にも増して中間管理職の意識・行動の重要性が言われている。いろんな方々の意見を聞きながら、自分の考えに昇華させていきつつ、自分の部下の能力を最大限に発揮させていくリーダー力を磨いていくことが求められている。

話しは変わるが、高城氏は、元リクルート社員だが、同じ日の日経2面に「業を起こすリクルートの子供たち」の連載が始まった。その中で、リクルートは「退社を卒業と呼び、30代で転職、起業するのが当たり前」と言う。先月1997年入社組のほぼ半数の55人が集まったそうだが、そのうち半分は辞めていて、個人事業主を含めて3人に一人が社長だったとの事。ある人は「リクルートは日本最強のビジネススクール」と呼ぶ。楽天、ソフトバンク、LINEなど成長中の企業には必ずと言っていいほど枢要なポジションに「元リク(リクルート出身者の通称)」がいると言う。これもリクルート創業者の江副浩正氏(今年2月逝去)の理念に沿ったものだそうだ。