前日は台風のため、フランクフルトのホテルに入ったのが22時過ぎ。ぐっすり寝た朝はホテルを8時にスタートして、2時間半近く、初めてのアウトバーン(速度無制限の高速道路)をバスでケルンに行った。
ケルンは古代ローマ帝国によって作られた植民市(colonia)で、ライン川の河畔の位置した古代から現代に至る陸上、水上交通の要所として栄えた町だ。重工業が発展する一方で、オーデコロン(“ケルンの水”の意)の生産地でもある。ケルンと言えば、ケルン大聖堂だ。世界最大のゴシック様式建築でもあり、高さは157㍍を誇る堂々とした威容だ。現存する大聖堂は3代目と言われ、初代は4世紀に完成、2代目は818年に完成し、12世紀後半に東方三博士(イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる)のものとされる遺骨(聖遺物)を納めた黄金の棺が安置され多くの巡礼者を集め、ケルンの発展に貢献したと言われている。1248年に火災で焼失し、その年に3代目建設が始まったが、宗教戦争を始め、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て今の姿が完成したのは1956年で、1996年にユネスコの世界遺産に指定された。
中に入ると、中央祭壇の金の聖遺物と、ステンドグラスの輝きに驚かされる。回廊には無数の19世紀に贈られたステンドグラスが窓に飾られているが、中でも入口右側のバイエルン王ルードウィヒ1世が奉納した「バイエルンの窓」と呼ばれる5枚のステンドグラスが有名だ(2段目の5枚)。そのうちの一つには、新約聖書を記したマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人が、福音書を記した順に左窓から並んでいる。
次に向かったのは、第二次世界大戦後(1949年)から東西ドイツ統一(1990年)まで西ドイツの暫定首都だったボンだ。ボン大学(1811年設立)でも有名(ニーチェ、マルクスや、初代ドイツ首相アデナウアーなどを生んだ)だが、ベートーベン生誕の地としても有名だ。ベートーベンは1770年にこの地に生まれ(黄色い建屋の一番右上の屋根裏部屋)、ボンの選帝侯が雇い主になり、12歳からボン宮廷楽団でオルガンやヴィオラを引いていたそうだ。記念館には、使っていたオルガンやヴィオラ、直筆の楽譜、ウィーンでベートーベンの師であったハイドンの肖像画、若くして難聴になり自分で工夫して使った補聴器(あまり役に立たなかった)、遺書、デスマスクなどが飾られている。庭のイチョウの木は、平成5年天皇、皇后両陛下が記念植樹されたものだ。
外に出て、ミュンスター広場周辺を歩いた。広場に面した中央郵便局を背に、ベートーベンの立派な銅像が建っている。この銅像は生誕75年を記念して、リストの提唱で建てられたもので、今年で建立160年になりました。1845年8月12日の除幕式は、英国のヴィクトリア女王、プロイセン国王フリートリヒ・ウィルヘルム4世、作曲家のベルリオーズなど、ヨーロッパの各界著名人が臨席し、華やかに行われたと言う。ベートーベンは1827年ウィーンで亡くなったが、この時の弔問者が2000人に及んだと言う。如何に多くの人に愛されていたかが分かる。
その後は、フランクフルトに戻り夕食後、ホテルに戻った。