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孔子に人間学を学ぶ!

2011.12号「致知」は【孔子の人間学】特集です。最近、書店においても「論語」に関わる書籍が並び、経営者のみならず、女性、子ども向けの書籍も多く見られ、ちょっとしたブームになっているようだ。今回の特集では、中国文学者や作家、経営者、塾主宰者などの対談記事や投稿記事があり、いろんな角度から論語を解説している。

その中に、小さいころから論語などの古典に親しんで来られたSBIホールディングスCEO北尾吉孝氏の「孔子と私 言より行い」とのタイトルでの投稿記事がある。著書も多数あり、「君子を目指せ 小人になるな」はまさに論語からとったタイトルと思われる。孔子は3000人いたと言われる弟子たちに教えたかったのは、一言でいえば「君子となれ」ということと北尾氏は言う。北尾氏が挙げられた名言のいくつかを紹介する。

  • 君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず。(君子は口にした事は必ず実行)
  • 君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る。(君子でも困る事はある。しかしその時に取り乱すかどうかが君子と小人の違い。)
  • 君子は諸(これ)を己に求む。小人は諸を人に求む。(何か悪いことが起こった時、他人のせいにするのが小人。)
  • 徳は孤ならず。必ず隣あり。(徳ある人には、周りに徳ある人が集まる。)
  • 賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。(賢い人に合えば自分もそうありたいと願い、愚劣な人に会えば自分にもそういう部分がないか省みる。)

北尾さんは、時々に応じて、上記のような孔子の教えを反芻し、対処方法を考え、実行されているそうだ。そしてこれからも、孔子の生き方に学び、君子を目指してさらに精進したいと言われている。

東日本大震災を契機に、従来以上に人の「絆」の重要性が見直されつつある。絆、思いやりなどで明るく安全な社会を築くため、孔子など世界の聖人の残した名言に習うことは多い。さらには、明治の大実業家渋澤栄一氏が道徳と経済の合一を目指し続けたその精神的根幹には常に論語があったと言われるように、健全な企業経営にも大いに通じるものがある。もう一度「論語と算盤」(渋澤栄一著)など読み返してみよう。

致知出版社長講演「出逢いの人間学」

前掲の致知出版社主催の社内木鶏全国大会で講演された藤尾社長は「先哲に学び、人間力を磨き、日本を変える」情熱に燃えたぎっている方である。その情熱で「致知」を33年続けて来られたのであろう。初めて藤尾社長の講演を聞かせて頂いたが、迫力十分、説得力十分、知識満杯で、勉強になり、「人生の道しるべ」を得る貴重なものであった。その内容を十分伝えきるのは困難だが、一部エッセンスを書きとめておく。

  • 「人生の成功者」は、自分に与えられた縁に価値を見出す。「成功できない人」は、常にもっといい縁を求め続ける。
  • 米長将棋名人が、羽生さんなど若い人たちが台頭し、負けが込んできた。その時、負けた若い人たちの家庭を見て見たら、すべて「奥さんが主人を尊敬している」家庭であった。
  • 脳性マヒの山田康文君の「ごめんなさい、お母さん」(略)。究極の感謝。深謝の言葉で、お互いが感謝する気持ちを表せばそこに「真の心の交わり」が開けてくる。
  • もうひとつ、脳性マヒの木村ひろ子さんの話。父母を若くしてなくし、わずかに動く左足で米を研ぎ、墨をすって絵を描く。その絵を売って生計を立てていた。自分のためにだけ生きるなら芋虫も同じと、絵の収入から毎月身体の不自由な人のために寄付をした。そして言う「脳性マヒのお陰で生きると言うことの素晴らししさを知った」と。
  • 松下村塾〔吉田松陰〕:「感謝・感激・感動するという資質」がない人は成長できない。
  • 森信三(教育家):人間には現状維持はない。進歩か退歩しかない。
  • 平澤興(元京大総長):人生はにこにこ顔で生命(いのち)がけ。教育とは自ら火をつけること。生きるとは燃えること。
  • 平澤興:人の悪口しか言えぬ人は成長能力のない人であり、また人の短所しか見えない人は成長がとまった人。名人とは、どんな人でも長所を見つけられる人。

「成人の学」は二つの事からなる。一つは特性を養う「人間学」。もう一つは知識・技能を養う「時務学」。前者の人間学を日本の教育は疎かにしてきた。若い幕末の志士を育て、日本を変えるために、命がけで取り組んでおられる藤尾社長。「土手の桜」より「深山の桜」を目ざして、「深山の桜」(雑誌致知)をより魅力的なものにして多くの人がその獣道を踏みしめ立派な道に出来るよう頑張るとの決意も表明された。