「会社経営」カテゴリーアーカイブ

事業環境最悪の島根県で成長続ける建設会社(島根電工)

日経朝刊の広告を見て、タイトルに惹かれて早速買って読んだ。本のタイトルは「“不思議な会社”に不思議なんてない」(荒木恭司島根電工社長、あさ出版、2016.7刊)。
島根県は県民所得が46位、隣の鳥取県は最下位の47位、両県合わせた人口は減り続けて130万人、しかも島根電工は建設業という典型的な不況業種。そんな最悪な状況の中で売り上げを伸ばし、平成26年はバブル期(平成2年)の1.8倍の155億円の売り上げを達成。該社は、「日本でいちばん大切にしたい会社3」(坂本光司著、あさ出版)に、「社員、地域、お客様にやさしい会社は不況下でも高成長」と紹介されている。世間で「不思議な会社」と言われるそうだが、こんな会社がなぜこんなにも成長し続けることができるのか?
荒木氏が30代後半若くして出雲営業所長を命ぜられた頃のこと。本社が出雲市にないということで、地元の公共事業がもらえず、日々格闘していた。その頃に出合った一冊の本があった。スカンジナビア航空の社長ヤン・カールセンが書いた「真実の瞬間」だ。39歳で社長になった彼は倒産寸前の会社をたった1年で回復させてしまう。彼がとった戦略は、顧客に対する「感動的なサービス」の提供だった。スカンジナビア航空は運輸業からサービス業に大きく転換したことで他社との差別化に成功し、業績をV字回復させた。それをヒントに、「島根電工を建設業からサービス業へ」の発想の転換が、生き残る道だと思うようになったそうだ。このまま公共工事や、ゼネコンの大型工事に依存していては将来はないとの危機感も相まって、一般家庭を対象にした「住まいのお助け隊」の事業を周囲の抵抗もあったが始めた。当ブログでも紹介した町田市の「でんかのヤマグチ」(http://okinaka.jasipa.jp/archives/180)と同じ発想だ。2001年に事業を立ち上げ、2006年から、島根県民には有名なテレビコマーシャル(作業着の若者たちが“助けたい”と歌いながら、一列になって行進していく)の効果もあって、今では全体の売り上げの約半分が、この事業の売り上げとなっている。
一般家庭を対象に、コンセント1個をつけるような小口の事業を推進するには、お客様からの信頼が欠かせない。お客様さえ気付かないニーズの掘り起こし、お客様の期待を超える感動を与えることなどで、リピート率を上げることが必須になる。そのためには社員のマナー教育や、文化の醸成に力を注いだ。新人の時には20日間の合宿研修、2年次、3年次には4か月に1回2泊3日の合宿研修では、「人生観」、「職業感」、「感動を与えること」などに重点を置いている。講師もすべて社内の人間。4年次以降も研修は続き、「部下を研修に行かせないと恥ずかしい・・・」、そのような文化を作っている。先輩が若手を見守り指導する「ビッグ・ブラザー制度」もある。家族ぐるみでの会社のファン作りにも注力されている。入社3年目までの社員の家族を集めて会社の実情や方針を説明する会を催したり、新人の家族に会社で頑張っている姿をアルバムにして送ったり、大々的に家族を含めた大運動会を開催したり、様々な形で施策を打っている。結果として、離職率がほぼゼロ、出産育児後100%復帰などを達成している。
何よりも社員を信用して、育てている。リストラもしない。見学者も多いそうだが、島根電工の取り組みで多くの中小企業を元気にしたいとの思いで、フランチャイズ制を敷いている。これは島根電工がより儲けたいための仕組みではなく、フランチャイズの企業の社員を研修のために受け入れたりしながら、島根電工の文化や風土を全国に届けるためのものだ。松下幸之助の言う「全員経営」にも通じる経営だが、お客様の信頼を勝ち取るのは社員であり、その社員を大事にする経営が、企業成長の要であるとの荒木社長の哲学に強い共感を覚える。

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11人の会社を6000人の一流企業に成長させたその秘訣とは?

その企業は、日立キャピタル。その立役者は、花房正義氏。「致知2015.9」に「誠こそすべての礎」と題した花房氏とTACT高井法博会計事務所代表社員高井法博氏との対談記事があり、その中で80歳になられる今でも「花房塾」と称し、各企業での講演などで全国を飛び回っておられる。岡山出身の花房氏の人生は、期待された跡継ぎを放棄して、画家を目指して東京に出てきたのがスタートだ。しかし、東京では美術学校にも入れず、仕方なく東京経済大学に入学。そこで出合った、経営学の大家「山城章先生」によって花房氏の人生は大きく開くことになった(山城先生は今は故人だが、今でも名だたる企業が参画している「経営道フォーラム」などを実施している「山城経営研究所」の発起人として花房氏は活躍された)。

大学卒業と同時に、創立間のない「日立家庭電気販売」に入社、月賦販売が始まり作られた「月賦販売」に異動、社員は社長含めて11人だった。その会社が「日立クレジット」になり、さらに「日立キャピタル」になった。その会社を牽引し、好業績で日立に貢献してきたことで、後日日立本体の取締役にも抜擢されている。

山城先生の教えに基づき、いろんな施策を実施してこられた。理念の明確化とその理念の実践のための行動指針策定、そして「人を愛して人を活かしていく企業」を目指すことなどだ。日立キャピタルで掲げた企業理念は「健全経営・人間尊重・社会責任」。行動指針で実体経済に基づいたクレジットビジネスに徹するなどを掲げ、サラ金など目先の利益を追求する単なる金融はやらず、徹底したサービスに特化することで、債権内容が高く評価されダブルAの格付けをもらったそうだ。

花房氏の人を大切にする経営に興味を持った。「人を育てる楽しみをもっと意識せよ」と経営者によく言われるとの事だが、人を育てるにはまず、基本をしっかり根付かせることが大事で、その上で自由に働いてもらうことが大事と花房氏は言う。「自由・自己責任・自助努力」の3つの言葉を言い続け、決められたことや、上から言われたことだけをやると言うのではなく、自分自身で考えて行動すべしと言うことを徹底された。さらに、リーダーの条件として「改革者・人間愛・自己規律」を挙げられる。

成長する企業と言うのは、煎じ詰めると、社員もお客さまもすべて、人を愛し、人を活かす企業だと思うんです」との花房氏の言葉は、11人の会社を6000人の一流企業に育て上げ、日立本体からもその業績を高く評価された人の言葉として、大きな重みをもって強い共感を覚える。

今の時代に活況を呈する「阪急うめだ本店」!

「百貨店の市場収縮が止まらない。マーケット全体の規模は、いまやバブル時代の6割程度。(中略)そんな中、消費税増税後も、連日多くの顧客で賑わい、売上を着々と伸ばす百貨店がある。2012年、大阪都心にリニューアルオープンした「阪急うめだ本店」だ。百貨店不振の時代、なぜ活況ぶりを呈しているのか。デパート革新の仕掛け人、椙岡俊一氏がその理由を語る」。これは、「PHP松下幸之助塾2015.7-8」に掲載されている「“劇場型百貨店”が感動を生み出す~“モノ”を売る前に“コト”を売る~」と言うタイトルの椙岡氏(元阪急百貨店社長、現阪神百店との統合で生まれたエイチ・ツー・オーリテイリング相談役)の特集記事のリード文だ。

成熟社会において、ただ単に「安くていいもの」を追求しても特に百貨店では勝負にならない。モノの機能的価値(見える価値)に加えて、作り手の思いや哲学、アート、デザイン、センス的価値、長い歴史や伝統に育まれた文化的価値など、見えない価値にも焦点を当てた展開は出来ないものか。そして行き着いたのが「劇場型百貨店」だった。そのための舞台つくりをするために阪急梅田本店のリニューアルを決断。これまでの物販売り場を主体とした配置から、全体の20%の面積を文化的価値をビジュアルに見せる劇場空間とした。この空間はいわば「モノを売らないスペース」で、メインは12階まで吹き抜けの9階にある「祝祭広場」。全館24か所にある小ステージ「コトコトステージ」と相まって、文化的価値を伝えるイベントは月間600回、年間にすると約7000回にも及ぶ。

祝祭広場にはアートビジョンなどの大掛かりな舞台装置と、表舞台を支える楽屋のような舞台裏も備えている。イベントは、2年先まで週単位で計画し、開催している。例えば「エルメスフェア」では、フランスからエルメスの靴、鞄、スカーフを作る職人を招き、実演を交えながらモノづくりについて語ってもらったそうだ。インターネットで調べると今は「エキゾチックスタイルを楽しむモロッコフェア」と「ベリーダンスフェスティバル」が同時開催されている。

お客さまは「阪急に行けば何か面白いことがありそうだ」「きっと素敵な暮らしが見つかる」という期待を抱いて阪急うめだ本店を訪れてくださっていると椙岡氏は言う。お客さまが求めているのは、驚き、発見、学び、文化、そしてエキサイティングな買い物体験で、これらを具現化することで人が集まり、モノが売れ、活況が生れる。そして、従来の「モノを売る」から「コトを売る」ために売り場を削ってでも舞台を作るという大きな決断が、功を奏した。「発想の転換」の成功事例だ。