日本のリーダー土光敏夫


今年の7月、横浜市鶴見区北寺尾にあった土光敏夫氏の家が取り壊されたそうだ。その一角には、30年前に設置したソーラーシステムの土台も残っているとか。IHI、東芝社長を経て、経団連会長の重責を果たす中、歯に衣着せね物言いで、行革はじめ政治の世界にも物申してこられた。土光氏の人生におけるいろんな発言、思想をまとめた「清貧と復興 土光敏夫 100の言葉(文芸春秋)」が8月に出版された。

29年前NHK特集で「85歳の執念 行革の顔 土光敏夫」が組まれ、自宅や食卓が紹介され、一躍「メザシの土光」が注目された。これは、自ら政府の第二臨調会長として行財政改革の先頭に立っている時、金権政治蔓延の中で、国民に納得してもらうために、自らの生活実態を見せることにしたそうだ(率先垂範姿勢)。政治に金をかけることに堂々と批判を続け、経団連会長時代に政治献金を廃止したり、政治家とは夜の待合ではなく昼間に正々堂々と会うことを指示されたそうです。また、立花隆が文芸春秋で田中角栄総理の私生活(数千坪の敷地に豪邸が何棟も並び、錦鯉が泳いでいる)を暴露した際、サシで田中総理に辞任を勧告したとの情報もあるそうです。議員定数削減の提言や、政局より政策論議をまじめにやれとか、今の時代、土光さんのような人が欲しいですね。

経団連会長時代、福島第一原発にも足を運んでいる。GEへの一括発注方式を批判し、「日本の技術者が、GEの技術を吸収し、自分達の判断で設計図を日本の土壌に合わせて見直すべし」と体を張って主張されたが、東電、政府は「世界一のGEを信頼する。余計なことを言うな」と聞き入れなかったとの証言もある。技術者として、原発の安全性と効率に関して主張し続けた土光さんが、今生きておられたら何を言われるだろうか?

この土光さんが最も信頼していたのが、石坂泰三さん。東芝社長に招聘し、周囲の反対を押し切って経団連会長に推薦されたのも石坂さん。

土光敏夫氏のDNAを引き継いだ現代の人として、著者の出町譲(テレビ朝日ニュースデスク)が挙げるのが、永守重信(日本電産社長)、坂根正弘(コマツ会長)、安斉隆(セブン銀行会長)などの方々。

「日本のリーダー土光敏夫」への6件のフィードバック

  1. 故郷の先輩です県人寮に住んでた 大学4年のとき老朽化した寮の建替え計画を発議し金策の一環で、郷土の先輩回りをしたらポーンと自腹の浄財を寄付してくださったのを記憶しています

  2. 横浜市鶴見区北寺尾にあった土光敏夫氏の家が取り壊された。そうですか。残念です。私の中には“正しきものは強くあれ”の言葉がとても響いております。橘学苑の碑が目に浮かびます。土光さんほどの方は今後において現れるのか。

  3. 確かに1896年岡山市生まれとあります。橘学苑は土光さんのお母さんが教育の実態を嘆いて、香典の先渡しをお願いしながら資金を集めて創立されたとか。運営は土光さんの給与の大半を投入したため、学費は他の学校に比べて格安だったとか。ほんとに私心なく、世のため人のために命をささげられた方ですね。

  4. 言い忘れました。「正しきものは強くあれ」という石碑の言葉はお母さん(登美さん)の信念らしい。土光さんは気質がお母さんそっくりと土光さんの姉が証言しているそうだ。

  5. 土光さんは 今夏 甲子園BEST4で全国をわかせた 関西高校のご出身です。土光大先輩の後輩に当たる 関西高校出身者が今春 当社に大卒新入社員で入ってきました。土光さんのような 気骨をもった男であれ!と 期待しています。

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