2011年3月24日、東日本大震災から13日後でした。4月からJASIPAの仲間に入れてもらえるということになり、前職で社員向けのブログを4年半やっていたことをご存知のある理事の方(kin29○○)から「是非に」と薦められ、始めたのがこの日でした。その日の内容はやはり大震災の事でした。以下にその記事(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2011/3/24)を再掲する。
ある人からメールを受け取りました。 その人はアメリカにいる友人から教えてもらったそうです。 日本の高校生が震災後立ちあげたツイッターサイトだそうです (http://prayforjapan.jp/message/ )。
感動が涙を誘います。日本だけだはなく、世界にも暖かい心の人が一杯います。 何も出来ない自分に、電車が動かないことに不満を言う自分に、政府・東電の対応に文句を言う自分に、日本の経済の行末を嘆く自分に、前を向いて「何が出来るか」まずは考えろ!と発破をかけねば。 被災者の皆さんの「生きているだけで幸せ」の言葉の重みを噛みしめながら、家族を失いながら他人のために身を粉にして働いている方々のお気持ちを考えながら、自分の事しか考えていない自分を打ち砕かねば。 そして日本のために命を賭して動いてくれている方々(自衛隊、警視庁あるいは東電、日立、東芝、IHIの方などなど)に感謝の心を忘れず。 みんなで、今こそ日本の底力を結集しようではありませんか。
文中のURLサイトは今はないようだ。少し修正しておくが、高校生は間違いで「震災当夜、栃木県北部にある停電中の一時避難所で20歳の大学生によって立ち上げられた」というのが真相だったようだ。そのTwitterサイトでは、世界各地からの日本への祈りの言葉や応援メッセージ、写真など24時間で数十万件を超える数だったそうだ。それらのメッセージを国内のメッセージも合わせて、「10年後も20年後も、親から子供に語り継がれるものを作りたい」との使命感を持って、講談社が編集し、最初にサイトを開設した大学生鶴田浩之氏(慶応大学)が監修者となって1ヵ月半後(2011.4.25)に出版された「3.11世界中が祈り始めたPRAY FOR JAPAN」。あらためてその本を読み返した。こんなに日本に、東北に世界の暖かい目と心が集まったことに湧き出た希望の光が鮮やかに蘇り、思わず目頭を熱くする。鶴田氏は、本の最後の謝辞に、「これは、きっと日本の財産になる」、そして数々の応援メッセージに「世界中の人々が、日本を見守っている」との想いでPRAY FOR JAPAN.JPを立ち上げたとある(この本は今でもアマゾンで売っている)。被災地は、まだ復興半ばだが、この経験を風化させないためにも語り継いでいかねばならない。アベノミクスは評価できるが、それに酔い痴れ、福島原発事故の原因も未解決で、廃炉も汚染水も先が見えない中で、経済最優先で原発輸出・再稼働に走るのは、日本を見守ってくれている世界の人々の気持ちを考えると如何なものかと思う。収束の見込みを立ててからでも遅くない。その方が日本の底力を見せつけ、世界における日本の評価、存在感も上がることになるのではないだろうか。
ブログ3周年の今朝、当時のブログを読み返しながら、東北復興に思いを馳せることが出来た。当ブログで545件目。最近1年は以前に比しペースは落ちてきたが、3年間平均してほぼ2日に1回ペース。時々過去のものを見ながら、想いを新たにしている。正直かなりきついが、自分の勉強のためにも、ペースは落ちるかもしれないが、これからも継続していきたいと思っている。これからもご支援よろしくお願いします。