ポルトガル旅行~その4~トマール・コインブラ

リスボンから北へバスで2時間ほど、世界遺産“キリスト教修道院”で有名な”トマール“に着く。トマールのキリスト修道院が設立されたのは12世紀、レコンキスタの時代。1147年イスラム舞台からサンタレンの年を取り返した「テンプル騎士団」に初代ポルトガル王「アフォンソ1世」が土地を与え、そこに修道院が創設されたのが始まりだ。14世紀に勢力を強めたテンプル騎士団への解散命令が出されると、当時の国王「ディニス一世」はテンプル騎士団のメンバーを中心に「キリスト騎士団」を結成させ、修道院はその本拠地となった。かの有名な「エンリケ航海王子」はキリスト騎士団の団長を務め、修道院の増築を行った。
まず修道院の入り口では城壁と城壁に囲まれた公園が迎えてくれる。天気も良く気持ちよく歩いていくと修道院に着く。

南門はまさにマヌエル様式の典型だ。

修道院の入口から入場し、二階へ上がると沐浴の回廊がある。近くにあったエンリケ航海王子の住居は廃墟に。

“墓の回廊”はエンリケ航海王子が増築した回廊で、修道士たちの墓所となっています。ヴァスコ・ダ・ガマの兄弟の墓もある。

最大の見どころでもあるロマネスク様式の「テンプル騎士団聖堂」に着く。堂内全体が壁画で覆い尽くされており豪華な雰囲気で、騎士団が戦いに出る前に祈りをささげた聖堂。円堂になっているのは騎士たちが馬で回りながら礼拝することで、いつでも戦いに行けるようにするためだそうだ。マヌエル1世が整備した。

16世紀に増築されたルネサンス様式の回廊である”ジョアン3世の回廊“もある。”サンタ・バルバラの回廊“にはマヌエル様式の窓があり、鎖やロープ、サンゴなど海の産物が刻まれている。

宿坊、学習室も備わっている。貧者にパンなどを供給していた”貧者の回廊“もある。

次に訪れたのはコインブラ、ポルトガル第3の都市だ(リスボン、ポルトに次ぐ)。世界でも珍しく大学そのものが世界遺産に登録されている。コインブラはポルトガル王国を樹立した1143年から、リスボンに遷都する1255年まで首都だった。ヨーロッパ屈指の名門大学であり、1290年リスボンに設立の古い大学だ。教会と政治権力の争いの中、コインブラとリスボンの間を行き来し、最終的に1537年ジョアン3世のときコインブラの地に落ち着いた。当時宮殿だった所を改造して作られた一帯に観光客が集まっている。マヌエル様式とルネサンス様式の“鉄の門”を入るとその地区だ。大学のシンボル“時計塔”とジョアン3世回廊のある法学部教室の建物だ。

黄金の図書館 “ジョアニア図書館”は、金泥細工による装飾や30万冊にも及ぶ蔵書で有名。“世界一美しい図書館”と言われている(今回は入場せず)。門と横から見た光景だ。1階には学生牢があるそうだ。広場にはジョアン3世の像がある。

外に出て、他の大学館を見る。歯学部、医学部、薬学部、工学部などが立ち並ぶ。学生数37000人で70%が女性だとの説明に驚く。

大学が丘の上にあり、かなり急な坂道を降りていく。まずは16世紀末にイエズス会が建造した新カテドラル、その横には国立博物館。そして下っていくと首都時代に作られた旧カテドラルがある。

商店街にはコルクを使ったバッグや靴などの製品が並び、コンペイトウの店もある。ポルトガルはコルク一大生産地だ。

次は、3大聖地の一つ、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラを訪問する。

ポルトガル旅行~その3~シントラ・ロカ岬

ポルトガル旅行~その3~シントラ・ロカ岬
リスボンから北西へ30km強の大西洋に面した世界遺産の街シントラと、ユーラシア大陸最西端のロカ岬に行った。

まずは、詩人バイロンが「この世のエデン」と称えたリスボン近郊の世界遺産の街シントラ。アンデルセンもお気に入りで滞在していたそうだ。そこに王家の夏の離宮として13世紀からディニス王、ジョアン1世、マヌエル1世などが改修しながら利用してきたため、ゴシック、マヌエル、ルネサンス様式の混在する建物となっている。内部に入るとまずは”白鳥の間“で、ジョアン1世が英国に嫁いだ娘の幸福を願って造らせたもの。宮廷舞踏会場として使用された大広間で、天井には、夫婦円満の象徴白鳥が27羽すべて異なるポーズで描かれている。

”カササギの間“はジョアン1世の浮気の言い訳の間で、天井にはおしゃべりなカササギと言い訳の言葉を書かせたと言ういわくつきの間だそうだ。壁には”アズレージョ“がびっしり。

寝室にもアズレージョが一杯。大航海時代のガレー船の舟底が天井になっている”ガレー船の間“。

宮殿で最も豪華な”紋章の間“。天井部分に描かれているのは、16世紀の王侯貴族の紋章。その功績を称えられたヴァスコ・ダ・ガマの紋章もある。壁一面にアズレージョが。

”中国の間“には日本由来の屏風が飾られている。天正遣欧使節団も訪れた礼拝堂。

キッチンも。キッチンの天井に空いた丸い穴は、この宮殿のシンボルの煙突の穴だ。

沐浴の部屋にもアズレージョが一杯。

中庭からはシントラ山の頂上に、800年から900年にムーア人によって作られた城の跡が見える。その近くには外観がすばらしい19世紀の建物ペーナ宮殿もあるらしい。

次に行ったのはシントラから18kmほどのロカ岬。ユーラシア大陸最西端の大西洋に面した岬だ。途中、エニシダやカタバミの花で、山一杯が黄色に染められている。

ロカ岬に立つモニュメントには、ポルトガル最大の詩人と言われ、ジェロニモス修道院に棺も飾られているカモンイス(1524?~1580)の詠んだ「ここに地終わり、海始まる」の詩が刻まれている。灯台と高さ140mの断崖も見ものだ。松葉ボタンの変種シュラオンの花が咲いていた。


次回は、トマールとコインブラ大学で有名な12世紀の首都コインブラを訪れる。

ポルトガル旅行~その2~リスボン

翌朝、西へ30km強の世界遺産の街シントラと、ユーラシア大陸最西端のロカ岬を回り、再度リスボンへ戻って観光後ホテルへ。

やはり最初に紹介すべきはリスボンのベレン地区(ベレンは、イエス・キリスト生誕地でもある「ベツレヘム」のポルトガル語読み)。この地には、大航海時代の繫栄を象徴する建物がいくつかある。テージョ川に面して、世界遺産の“ベレンの塔”、“ジェロニモス修道院”があり、大航海時代を記念して建てられた“発見のモニュメント”もある。観光客で最も混雑する地区だ。ベレンの塔。16世紀、テージョ川の船の出入りを監視するため要塞として建造された。大航海時代の栄華を反映した建築・芸術様式であるマヌエル様式の傑作として知られる。<マヌエル様式>は、これから訪れる都市の建造物によくみられるもので、大航海時代の繁栄を象徴するポルトガル独特の建築・芸術様式だ。その様式名は、インド航路発見し海外進出事業を押し進め、在位中にアフリカ、アジア、新大陸にまたがる一大海洋帝国を築いたマヌエル1世(1469-1521)の名に由来している。ゴシック建築様式をベースとし、海外交易によって築かれた巨万の冨を象徴するかのような海草やロープ、鎖、貝殻、天球儀などの過剰装飾が特徴だ。ベレンの塔の前の公園に、1922年世界初の南大西洋横断に成功した水上飛行機“サンタクルス号”のモニュメントがある。

ベレンの塔とさほど離れていない場所(ヴァスコ・ダ・ガマ1460~1524が旅立ったテージョ川岬)に“発見のモニュメント”がある。エンリケ航海王子(1394~1460)の没後500年を記念して1960年に建てられた高さ52mの帆船を模した巨大なモニュメントだ。大航海のパトロンでもあり、先駆的指導者だったエンリケ航海王子を先頭に、ヴァスコ・ダ・ガマやブラジルを発見したカブラル、初の世界1周を成功させたマゼラン、日本にキリスト教を持ち込んだザビエルなど33人が飾られている。広場には世界地図が描かれ、ポルトガルが上陸した各国の年号が記されている(日本は1541年)。

次に訪れたのは“ジェロニモス修道院”。この修道院は、ヴァスコ・ダ・ガマとエンリケ航海王子の偉業をたたえ、1502年、マヌエル1世の命により着工。東方貿易や植民地支配で得た莫大な富が投入され、最終的な完成までにはおよそ300年もの歳月が費やされた。まさにポルトガルの黄金時代を象徴する存在。「マヌエル様式の最高傑作」とされ、世界遺産に登録されている。特に南門の彫刻には、1584年にジェロニモス修道院を訪れた天正遣欧少年使節団も驚嘆したそうだ。西門を入ると高い天井を持つ壮大な空間があった。柱に巻かれるロープ状のものなどマヌエル様式の彫刻物が随所にみられる。入り口にはヴァスコ・ダ・ガマの棺が飾られている。

今回は行けなかったが、リスボン最古の建造物のサン・ジョルジェ城から見る絶景パノラマ、1883年創設の、「国立古美術館」も人気だ。14~19世紀のヨーロッパ美術や、大航海時代に世界各地から集めた宝物が展示されており、日本人として注目したいのが、日本からポルトガルに渡った狩野内膳作の南蛮屏風。インドのゴアで出航準備をするポルトガル船と、それが長崎の平戸に到着した様子が描かれた屏風は、桃山文化の最高傑作。
次回はシントラ・ロカ岬の予定。

冲中一郎