シャープペンシルの名付け親?

お盆休みを利用して、太平洋戦争を経験した人たちの壮絶な生きざまに触れてきた。明治から大正、昭和の初期に生れた方々の成功物語にも、多くの感動をもらうと共に、自分の60年有余の生き様と対比して、生きる目的に対する熱意と執念に頭が下がる。

2011.9人間学を学ぶ月刊誌「致知」に連載されている「日本を創った男たち(北康利)」にシャープを創業した早川徳治氏(1893-1980)の人生が紹介されている。冒頭に「本連載は苦労人のオンパレードだが、早川氏が遭遇した悲劇の深刻さは他に類を見ない。だがかれは挫けることなく、前を向き続けた。その精神の強靭さは、軟弱な我々現代人にとって驚異である。」とある。

二歳の時里子に出され、継母の残酷とも言える折檻に耐えつつ、奉公に出された先では、主人が火傷で仕事にならず、その中で穴のいらないベルトバックルを発明し、起業。水道自在器も発明し、さらには故障し易かった繰出鉛筆(これが現在のシャープペンシル)の改良をしたものが大当たり。事業も順調にいっていたところ、関東大震災で家族(奥さん、子ども二人)と工場を無くしてしまった。

大震災1年後、大阪の土地を購入し、早川金属鉱業研究所を起業。これが現在のシャープにつながる(この時早川氏30才)。国産ラジオ受信機第1号をシャープラジオと名づけ事業とした。第二次世界大戦をくぐり、国産テレビ第1号を完成させ、カラーテレビも業界の先頭を切って販売。何事も先取精神で、驚くなかれ、1959年には太陽光発電の研究も開始していたとか。グローバル化も視野に入れ、社名をシャープに変えたのは、パナソニックに社名を変えた松下電器より40年前の1970年。

記事の最後、「東日本大震災で我々は多くのものを失った。しかし、辛くても諦めずに前進する限り再び道は開ける。そのことを早川徳治は時を越えて我々に語りかけてくれている。日本人よ。希望を失うな!と・・・。」

「若者よ、君たちが生きるきょうという日は、死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」八杉康夫(戦艦大和語り部)。

まさに今、我々が平和と豊かな生活を享受しているのは、早川氏や戦争で悲惨な目にあった方々のお陰(日本がロシアや中国の領地にならなかった幸せ)と、気持ちを新たにし、子どもたちの将来をより幸せな世界にするために我々も真剣に考え、行動せねばならないと思います。政治のせいにせず、自ら範を示して!(自省)

日本人の誇りを取り戻そう!(終戦66年に想う)

第二次世界大戦開戦から今年で70年,終戦から66年。終戦後の東京裁判で、「日本が絶対的に悪い」とされたが、その事実関係を説く本が多く出版されている。新田次郎の息子の藤原正彦氏の「日本人の誇り」、元アサヒビール会長の中條高徳氏の「日本人の気概」、他にも京大教授中西輝政氏、上智大教授渡部昇一氏など名だたる論客の著書・記事を見ると、終戦後のアメリカの占領政策は「日本が二度とアメリカに刃向わないようにする」ことで、「修身・歴史・地理」を教育課程から外し、徹底的に武士道はじめ日本が育んできた文化を締め出したとある(罪意識扶植計画ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム=戦争についての罪意識を日本人に植え付ける宣伝計画)。

太平洋戦争は日本が仕掛け、全面的に日本が悪かったのか?欧米白色人種はアジア・アフリカに対する植民地政策で土着民を蹂躙してきた。圧倒的な力を持つ欧米に対し、抵抗もできずその圧力に甘んじていた折、日露戦争(1904-1905)で日本がロシアに勝利した。アジアの小さな有色人種日本が白色人種の大国を破った報は、一気に全世界をかけ巡り、特にアジア・アフリカ諸国は歓声を挙げ、「自分達だって頑張れば独立できる」と元気を得て、実際次々と独立運動が実を結んだのです。そのような経緯から、欧米・ロシアは日本を滅ぼさねばとの強い思いを共有化しつつ、かつアメリカはアジア、特に欧州に先を越されていた中国への進出を大きな課題とする中で日本が邪魔となることを懸念し、日中戦争をわざと深みにはめたりしながら、最後には何とかして日本に戦争の発端を開かせ、アメリカ全体に「日本悪し」のムードを醸し出し、一気に日本つぶしを計画していたと言われています。真珠湾攻撃がなくても、アメリカは日本本土を攻撃する計画(オレンジ計画)を持っていたとの事実も指摘されています。戦後66年経って、いろんな史実が明らかになってきたのです。

もちろん、日本にも責任はあります。しかし、全面的に日本の責任との判断で、アメリカのいうままに骨抜きにされた日本国、および日本人の誇りを思うと、もっと我々は史実を知る必要があると思います。藤原正彦氏(お茶の水大学名誉教授)が学生に聞いたところ、「日本は恥ずかしい国」「胸を張って語れない歴史をもつ国」などとの否定的なものが多かったそうです。親・先生を自分達と平等と考え、昔のような「長幼の序」さえも失われています。自殺者の多さも、日本人としての矜持・日本人同志の絆を失ったことにも起因していると思います。

なでしこジャパンのように世界で活躍する日本人に、そしてフェアプレイ賞をもらったというニュースに日本人は狂喜します。それこそ、家族愛、郷土愛、祖国愛で、誰もが持っているものと思います。日本人が、過去の歴史を含めて「誇り」を取り戻し、その誇りをバネにして、この国難を克服することがより求められているのだとの思いを強くしました。日本人が忘れさせられた、世界にない日本人の良さは東日本大震災で発露しました。グロバリゼーションは時代の流れです。その中で日本人の価値を自覚し、和の精神、利他のこころを世界に普及させていく、それこそが遠い道とは言え、世界が一つの国になる可能性のある道と言えるのではないでしょうか。

我が家の猫

結婚して40年(正確には来年3月で40年であるが)、我が家には癒し用の猫が存在する。もともと私は、小さいころから犬を飼っていて、私がぐずった時は、猫が来ると脅かされたため、猫は大嫌いだったが、家内の猫好きに抵抗できず飼い始めたのが始まりであった。(姫路では犬と猫を飼っていた)

今いる猫で4代目であるが、ずっとペルシア系、チンチラ系の白猫である。1代目は息子がつけた「コロ」であったが、2代目から名前は「ルイ」。単に、代が変われば「ルイ○世」と名づければよいとの思い付きでつけた名前である。現在は雌であることから「ルイ子」と呼んでいる。東京に出て来るときに連れてきたペルシア系の猫はすぐ死んでしまい。今の猫は家内の出身地浜松で買ってきたチンチラである。生後16年は経っていると思うがすこぶる元気である。東京に来てからは、マンション住まいのため外には出さない内猫であることが、まったく病気知らずの元気の源かも知れない。

家内になついて、なかなか私にはなつかないが、寝るときに腹の上に乗せるとしばらくはじっとして腹を「ごろごろ」言わせている。家内の所には自分で行って、抱かれるとすぐ「ごろごろ」言いつつ、気分よく抱かれている。

夫婦で意見が合わないとき、猫に八つ当たりしながら気持ちを納めあっている。ペットはしゃべらないのがいい。

冲中一郎