前回紹介の「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」を読み進むにつれますます、その凄さが分かってくる。まさに「自分のため、会社のため」を乗り越え、「日本のため、社会のため」と、命を賭して頑張った姿には頭が下がります(85歳で臨調会長を引き受けた)。
土光さんがここまで頑張ってこられたのも石坂泰三さんのお蔭だとか。IHI会長になって、好きな本でも読んでゆっくりしようと思っていたところ、東京オリンピック後の景気停滞で危機状態の東芝の社長に推薦したのが石坂さん。経団連会長も石坂さんの推薦だった。その土光さんが最も尊敬する人が石坂さんだと堂々と述べられている。「偉い人って何か、業績を上げることもあるが、人間的にこの人なら見習おうという、人間の魅力だと思う。その点で、石坂さんは実に魅力のある人だった」と。
石坂泰三氏は皆さんご存知の通り、第一生命や東芝の社長をやられ、その後経団連会長をやられた方で、いろんなエピソードをお持ち方です。経団連会長の時、貧相な経団連会館の建て替えのために国有地の払い下げを申請したが、大蔵省の返事に埒があかない。石坂会長が大蔵省に乗り込んで、当時の水田蔵相を直談判。それでものらりくらりの回答だったので、「もう君には頼まない」と怒鳴り散らし部屋を出た。この時の発言が、城山三郎の「きみには頼まない 石坂泰三の世界」(文春文庫)のタイトルになっている。
第2臨調会長の時代、財政・行政改革を国民的運動として活動せねばならないときに、井深大氏や本田総一郎氏が「行革推進全国フォーラム」を核になって活動してくれた。その両氏の最も尊敬するのが土光さん。特にそれまで、技術者としての道を歩み、政治の世界にはタッチしていなかった本田さんは、老齢の土光さんが頑張っておられる姿に感動し、初めて政治活動に飛び込まれたそうです。
力を発揮し、日本のために活躍された方々も、一人の力ではなく、いろんな協力者があってはじめて成果を出すことができたということだと思います。その意味で、人徳を磨き、尊敬される人になることは、リーダーとしての大きな要件とも言えます。大きな成果を出すためには・・・。