「稲盛和夫」カテゴリーアーカイブ

襲撃された湖南省長沙市の「平和堂」

今朝の朝日新聞6面に大きく「襲撃 中国人社員も涙~反日デモ被害の平和堂」という記事が載っている。中国進出18年目の災難であるが、今年の2月の当ブログで、中国進出成功事例(日経記事)として、この平和堂を紹介した(http://jasipa.jp/blog-entry/7295)。安売り競争に巻き込まれるのではなく、付加価値UPで成功した事例の一つとして下記のような記事を書いた。

2月19日日経の「日曜に考える」の記事から。中国で最も安定的な成長軌道に乗った小売チェーンはどこか?イオンでも、セブン&アイでもなく滋賀県彦根市の平和堂だ。1990年代初めに滋賀県と友好関係にあった湖南省から同省長沙市への出店要請があった。社内では猛反対を受けたが当時の会長は「内陸部もいずれ成長する」として決断。しかも、スーパーしか経験がないのに、「日本企業なのでブランド品など品質の高い商品を求めるニーズが高かった」ため、ローレックス、シャネルなどを扱う百貨店形式での出店を決断。既存3店に加え、中国各地から出店要請が来ていると言う。これも将来のマーケットを読んだ高付加価値商売への転換の事例であろう。

第二次世界大戦で日本軍が激しく爆撃をした長沙市であったため、怒鳴り込む客や反日ビラをまかれるなど厳しい環境の中でのスタートだった。しかし、サービスUPで苦境を乗り越え、今では地元で最も売り上げを稼ぐ代表的な店に育ち、他省への進出を検討し始めた矢先の事だった。テナントを含めれば1万人近い雇用を生んでいる。湖南省からの要請で進出し、ここまで成長させ、湖南省の期待にも十二分に応えたという自負があるだけに、平和堂の夏原社長は残念でつらかったことと思う。襲撃から10日後、夏原社長は現地の社員に「長年の努力が否定されたようで本当につらい。ずっと店と一緒に成長してきた社員の皆さんも同じ気持ちと思う。困難にひるまず、再出発しよう。団結して頑張ろう」と呼びかけた。通訳していた中国人副店長も涙で言葉に詰まったと言う。

襲撃犯のほとんどは無職。高級品を扱う平和堂の顧客層とは違う層だ。夏原社長は「政治リスクはあるが、リスクと将来性を判断しながら、商機は探せると思っている。これまで同様、現地社員と一体になって取り組みたい」と話す。1号店、2号店とも強奪、破壊された店を修復し、今月末には開店したいと言う。同じく襲撃を受けた「ジャスコ黄島店」は11月下旬、「泉屋百貨(江蘇省蘇州市)」は今月中に全館復旧見通しとか。両社とも「今後も中国に出店していきたい」という。

隣国中国が、まともなお付き合いが出来る国となって、経済・文化面での交流がより盛んに行え、お互いの国の発展に寄与できることを願いたい。そのためにも、政治に対する不満層の暴挙を防ぐ手立てが中国政府にも求められる。お互いWin-Winの関係を作るためにも。

日本人以上の日本人と言われる“白鵬”

昨年10月17日当ブログでは、大鵬との対談記事を紹介した(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2011/10/17)。その際、大鵬が「普通の日本人力士よりよっぽど日本の歴史や相撲の歴史を知っており、日本の伝統文化を守ってくれている」と言ったことを紹介した。再度、「致知2012.10」で今度は、経営破たんした日本航空をわずか1年で再生させた稲盛和夫氏との対談記事がある。

稲盛氏も対談の最後で、「ここまでの話を聞いて、本当に横綱は普通の日本人以上に日本人らしい心をもっていらっしゃる。白鵬さんが横綱になられて、大相撲は日本の国技なのに、外国人ばかりだ、という批判が少なくなったような気がします。相撲だけではなく、その心を追求してこられたから、そうなられたのだと思います」と言っている。

白鵬は、稲盛会長が塾長の「盛和塾」の会員になっている(昨年)。柔道の山下泰裕、サッカーの岡田武史氏も会員だ。前項でも紹介したが、白鵬の持論「心・技・体は心が8割、技・体は2割」に基づいて、心を磨くために稲盛氏の講演やCDなどを繰り返し聞いているそうだ。「未だ木鶏たりえず」と安岡正篤氏の教えを請うた双葉山を信奉し、相撲は心だと悟ったと言う。稲盛氏は、「経営も同じで、日本航空の再建でも、再建の主役は自分自身であり、その当事者意識を持つことの大切さを説き続け、その意識が変わることによって同時に業績も向上した。全社員の心を一つにすること、それが経営もポイント」と言い、盛和塾の「心を高める、経営を伸ばす」のテーマが相撲道も同じということで白鵬と意気投合している。

白鵬の話では、双葉山は右目がほぼ見えなかった中で、69連勝を達成したことの素晴らしさを言う。立ち合いでも「勝ちに行くぞ」という気負いがまるでなく、相手の立ち合いをしっかりと受け止めてから自分の型に持っていく。そういう立ち合いを「後の先」というが、右目がほとんど見えない中で立ち合い遅れを克服したそうだ。そして69連勝がストップした時、安岡正篤氏に「ワレイマダモッケイタリエズ」と打電したそうだ。

白鵬は、双葉山が目指した「木の鶏のように動じない心」を目指して相撲道にすると同時に、武道を通じて日本の子どもたちに精神を鍛えて頑張るようメッセージを発信し続けることを夢とすると言う。この話に稲盛氏は「自身が強くなることに加え、青少年の夢を育んでいきたいと言う姿勢は、“才能を私物化しない”との自分に言い聞かせてきた言葉と通ずるものがある」と、称えている。

これまで長い間一人横綱で頑張ってきた白鵬。大相撲も9月場所真っ最中。5人が連勝継続中だが、二人横綱にしてやりたい気持ちと、白鵬に優勝させたい気持ちと複雑だ。

西郷南洲の教えに学ぶ

同じ鹿児島生まれの稲盛和夫氏は、子供のころから西郷隆盛を敬愛し続けてきた。そんな稲盛氏が、世情の乱れてきた今こそ西郷の精神の復活が必要だとして、「南洲翁遺訓」全41条の解説書を出している。「人生の王道―西郷南洲の教えに学ぶ(日経BP社、2007.9)」という本だ。稲盛氏は、この遺訓は、時代を超え、我々に人間としてのあるべき姿を、今も鮮やかに指示してくれると言う。

「無私」:

「廟堂に立ちて大成を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也」

(政府にあって国の政をするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心を差し挟んではならない)。今の政治屋にも肝に銘じてほしいと思うが、どんな組織であれ、トップに立つものの心構えとするべし。稲盛氏の「動機善なりや、私心なかりしか」を自ら問う姿勢は、この遺訓からの教訓だろうか。

「試練」:

「古より君臣共に己れを足れりとする世に、治功の上りたるはあらず、自分を足れりとせざるより、下々の言も聴き入るるもの也」

(昔から主君と臣下が共に自分は完全だと思って政治を行うような世にうまく治まった時代はない。自分は完全な人間ではないと考えるからこそ、下々の言うことも聞き入れるものである)。上に立って人をリードしていく者が自信を持ちすぎ、傲慢になることを戒めている。自信と謙虚さ、温情と非情、利己と利他など相矛盾する両極端の考え方を持ちながら、それを局面に応じて矛盾なく正しく発揮できる人が最高の知性を有する人である。

「利他」:

「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ」

(道というものは、この天地の自ずからなる道理であるから、学問を究めるには敬天愛人{道理を慎み守るのが敬天、仁の心をもって衆を愛することが愛人}を目的とし、自分の修養には己れに克つことをいつも心がけねばならない)。人間というのは、心の中に常に煩悩が沸き起こり、腹が減ると「食欲」、外敵に立ち向かう際には「怒り」、無知蒙昧である故「愚痴」が出る。仏教ではこの3つを「三毒」と言う。この3毒を自分の意志の力で押さえつけることが克己。この克己が出来るように修養し、人々を分け隔てなく愛することが学問の目的という。人間とは弱く、偉くなって成功すれば、謙虚さを失う。

「大義」という面では、リーダーは集団の目指すべきところを明確にすべしと説く。

「信念」ということでは、どんな制度や方法を議論しても要は人の問題に帰結する、才覚と熱意を持って、才に溺れない人格を有し、哲学を学び実践しながら「人格形成」を図らねばならない。

「立志」では、人が自分自身を高めていこうという「志」を捨て、努力する前に諦めてしまう心の弱さを西郷は最も厳しく戒めている。

この遺訓は、江戸の薩摩藩邸の焼き討ちまでやり敵対していた旧庄内藩の手でまとめられた。稲盛氏は「かって、とびきり美しく温かい心を持った、一人の上質な日本人がいた。それが西郷隆盛」とまで言う。「西郷隆盛」をもっと知りたいと思う。