「企業理念」カテゴリーアーカイブ

“CSV経営”とは?

4月4日の朝日新聞7面のコラム「波聞風聴」の「企業と社会~価値の共有が生みだす利益~」と題した解説委員多賀谷克彦氏の記事に注目した。当ブログで紹介した“社会的インパクト投資”(http://okinaka.jasipa.jp/archives/4496)もリーマンショックの反省で生れた概念だが、同じようにCSV経営も最初は2006年マイケル・ポーターが提唱したが、世の中で注目を浴び始めたのがリーマンショック後だそうだ。

CSVとは、Creating Shared Valueの略で“企業と社会の共通価値の創出”と呼ばれている。このコラムで3つの事例が紹介されている。

  • ・一つはキリンの「復興支援キリン絆プロジェクト」の一つとしての福島県産の梨と桃を使った缶チューハイ”氷結”の限定販売だ。:「放射能汚染」という風評被害に悩む農家への信頼を高める活動。
  • ネスレ日本は、神戸市とともに「介護予防フェア」を約60か所で開いている。集会所にコーヒーマシンを提供し、高齢者が集会所まで歩く、会話する機会を作っている。:介護予防への支援が「ネスカフェ」を継続的に購入してもらう機会となっている。
  • 伊藤園は「おーいお茶」の茶葉を得るために、耕作放棄地を茶畑に造成。茶葉の全量買い取り契約を、農家と結んでいる。:農業の振興と安定的な原料確保の両立。

これらの活動は、自社の生産、営業活動が社会的な課題の解決につながっており、多くの企業が取り組んでいる社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)とは趣が異なる。CSRは寄付や社員のボランティアに頼る事が多く、企業のイメージ戦略に近い。3社のような活動をCSV経営と言い、短期的な利益追求ではなく、長期的な視点から利益を生む活動と言える。

CSV経営は、元来日本の考え方に近いと多賀谷氏は言う。近江商人の「売り手、買い手、世間」のためになる商いを「三方よし」と呼ぶ言葉や、京セラ稲盛名誉会長の「人の為、世の為に役立つことをなすのは、人間として最高の行為である」とCSVの考え方に賛同する経営者は多い。一橋大学の名和高司教授は「日本は課題先進国。企業の視点から、日本の社会的課題の解決策を見出せば、それはイノベーションにつながる」と指摘する。

リーマンショック後、企業経営者の意識が明らかに変わりつつあるように思える。利益至上主義から、社会的責任経営へ、さらにはステークホルダーの幸せを追求するコンシャスカンパニー(世界の超優良企業がすでに始めている「人を幸せにする経営」(http://okinaka.jasipa.jp/archives/1718)へと大きなうねりが生れつつある。

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創業者早川徳次の理念を忘れたシャープ?!

4月4日の各新聞で下記のような報道があった。

「経営再建中のシャープを傘下に収める台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業は、シャープの創業者、早川徳次氏(1893~1980年)の記念館をつくる検討に入った。大正時代に会社を起こし、日本を代表する総合家電メーカーにシャープを育てた早川氏の功績を顕彰する。」

「PHP松下幸之助塾2016.3-4」に歴史作家北康利氏による「早川徳次不撓不屈の男」の記事があった。北氏曰く、「世に“伝説の創業者”と呼ばれる人は、いくつもの艱難辛苦を乗り越えて成功を掴んでいるのが常だが、早川徳次が歩んだ道の峻嶮さは他に類を見ない。だがそれでも彼は挫けることなく前を向き続けた。そして挑戦することをやめなかった。(中略)今を耐え忍んでいるシャープの皆さんにその不撓不屈の人生を思い起こしてほしい」と言う。

北氏の記事を読むと、信じられない人生を歩んでいる。1歳11か月で母親の病気故に出野家に里子に出される。継母による折檻は尋常でなく、殴る蹴るは日常的で、厳寒の中、肥ツボに突き落とし、近所の人の声でしぶしぶ井戸に連れて行って氷のような水をかぶせる

ことも有ったと言う。見るに見かねた近くの祈祷師の救いの手で7歳10か月の時、かんざしや洋傘の付属品を作る金属加工を生業とする丁稚奉公先に行ったが、契約金や毎月の小遣いも継母に全部持って行かれ苦しい生活を余儀なくされた。ろくに学校にも行けなかったが、努力を怠らず、職人としての腕を磨き、「徳尾錠」(穴をあけずにベルトを締める)や、水道自在器(水道栓の先につけて蛇口を自由な方向に向ける器具)を考案し、それがヒットしたことで独立を決意(18歳10か月)し、江戸本所に仕事場を借りた。ここで名を轟かせることになる繰出鉛筆[シャープペンシル]の改良版に取り組んだ。これがまずは海外で有名になり、その波が国内に波及して売れに売れ兄と共に“早川兄弟紹介を設立、工場も本所以外に押上、亀戸と3工場を建設するまでになった。しかし、また大きな不幸が襲う。関東大震災だ。家も工場も、そして最愛の妻と二人の子どもも失い、失意の中で、会社を解散。販売を委託していた日本文具製造から借金の取り立てがあり、シャープペンシルの特許を無償提供し、技術指導のために従業員14名と共に大阪に向かう。日本文具製造を辞し、大阪の片田舎の後のシャープ本社となるとに工場兼事務所を建設し、「早川金属工業研究所」を設立(30歳)。その後も国産ラジオ受信機第一号機(シャープラジオ)の開発、そして戦後の混乱の中で倒産の危機に瀕したが、それを克服し、国産テレビ第一号(1951年)、カラーテレビと世界初のトランジスターテレビ(1960年)、世界初のオールトランジスタ電卓第一号機(1964年)、世界初のIC電卓(1966年)、手のひらサイズの電卓(1969年)と時代の先を見つめ、ライフスタイルを変える革新的発明にこだわった製品を次から次へと開発してきた。

シャープの企業理念は“いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって、広く世界の文化と福祉の向上に貢献する”だ。これは早川徳次の理念でもある。今回のシャープの悲劇は薄型テレビで市場を席巻したのち、さらに超大型の投資をしたものの価格競争に巻き込まれてしまった。つまり、「いたずら」に規模の拡大をおった事が取り戻せない失敗となってしまった。これは、「質」を求めてきたシャープの歴史の中で、「量」をおったが故とも言える。

不本意にも鴻海(ホンハイ)の傘下となったが、創業者早川徳次の理念を噛みしめ、再起を図ってほしいと切に願う。

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総合スーパー「成城石井」はなぜ元気なのか?

「イオン、イトーヨーカドー。食品から衣料品や住居関連用品などを幅広く扱う総合スーパー(GMS)が苦しんでいる。(中略)昨年の消費増税後、スーパーは二極化の様相を見せた。特徴を打ち出せないGMSが振るわない中、ライフコーポーレーションやヤオコーなど、首都圏を中心に展開する主要な食品スーパーは生鮮食品や惣菜に力を入れた結果、値上げの反動減をはね飛ばして業績を伸ばしている。そうした堅調な食品スーパーの中でも異色の存在が、「成城石井」だ。」で始まる東洋経済オンラインの記事(「成城石井は、なぜ「安くない」のに売れるのか」)に目が止まった(11月26日 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151126-00094092-toyo-bus_all&p=1 )。成城石井の特徴は、決して安いとはいえない高価格帯の商品を扱う高級スーパーなのに、突出した利益率を上げている。なぜ?

結論は、まさに前稿でも書いた「顧客支持率の高さ」(http://okinaka.jasipa.jp/archives/3980)だ。経営者から販売員まで口をそろえるのは「お客様のため」というキーワードだ。「お客さまにご満足いただく、お客さまに喜んでいただく。それだけを目指し、動いている。」特に創業の地、成城(東京都世田谷区)は都内でも屈指の高級住宅街であり、そこに住む人たちの食に対する興味や関心は高いものがあった。本物志向で、妥協はしない。「高くて良いもの」というだけでは不十分で、「いいものを適正価格で」が求められた。そのため品揃えと共に、お客さまの要望に沿える品質を確保するためのこだわりが随所に見られる

例えば、ワイン、外国生活経験者が多い成城で「ヨーロッパのワインの方がうまい」とのお客様の声を受け、船での定温輸送を徹底するために貿易会社を作って直輸入としたり、1日5000本以上売れるというプレミアムチーズケーキは一つ一つ手作りし常温でも保存できるのが人気となっている。こだわりの自家製ソーセージ(本場ドイツでも認められている)など自家製商品は2000点以上。こだわりは惣菜にも。他のスーパーでは外注しているが成城石井は自家製にこだわり、一流ホテルなどの料理人がこだわりの食材を使いすべて手作業で作る。生ハム、紅茶、コーヒー、オリーブオイル、ジャム、味噌、牛乳、豆腐、納豆、昆布、鰹節、ダシ、チーズケーキなどなど、有名なメーカーのものも置いてあるが、成城石井でしかお目にかかれない商品も多い。昨年10月に成城石井を子会社化したローソンの玉塚社長も、都市型生活のニーズを満たすモデルに目を見張る。

「高いから売れない」は勝手な思い込みにすぎないと言う。お客さまの期待は価格だけではなく、「この店に行けば買いたいものが必ずある」との安心感や信頼感も要素としては大きい。徹底した顧客優先の姿勢であり、コストは後からついてくるとの考え方だ(でなければワインやチーズの定温輸送のために貿易会社を作ったりはしないだろう)。そして品揃えやこだわりの品質に対して、価格は高くてもお客様の支持を得ている。昨今の成城石井の快進撃が、それを裏付けている。