「TPPがあろうがなかろうが、私たちは生き残っていかなきゃならない。そのためには、皆さん一人一人が経営者にならなきゃダメ」というのは、北海道の釧路と根室の中間に位置するJA浜中町代表理事組合長の石橋榮紀(しげのり)氏。全国から若い夫婦が新規就農で入って来て、その新規就農者が浜中町全体生産組合員の2割を占める。「私もハーゲンダッツの原乳をつくりたい」との思いも手伝って来てくれる。その若い人たちが嬉々として働く姿を見て地元の後継者率が70%、耕作放棄地ゼロを達成。184戸の小さな農協で、年間販売額98億円と言う。(「致知2014.6」の「かくて地域は甦った」とのテーマでの荻しーまーと駅長の中澤さかな氏との対談記事より。)
昭和53年の第二次オイルショックでの減産型生産調整(絞った牛乳の1割は出荷禁止)で全国の乳業業者は大きな打撃を受け、浜中町でも雪印乳業が合理化の一環で工場を閉鎖してしまった。その時、農協の理事だった石橋氏は「いいものを作れば売れる筈」と「世界一の牛乳を作ろう」と決意。そしてアメリカでは既に取り入れられていた、土壌と草の関係、牛乳の成分などデータに基づく「見える管理」を行うため、周囲の反対を押し切って「酪農技術センター」を全国に先駆けて作った(現在もこれだけの機能を持つのは、農協では浜中町だけという)。「見える化」管理によって、日本唯一のブランド「北海道4.0牛乳」を昭和58年に開発。これが、ハーゲンダッツの牛乳に選定されることにつながる。雪印乳業撤退後、すぐ「タカナシ乳業」が浜中町に進出。その頃、タカナシ(製造)とサントリー(販売)が出資してハーゲンダッツジャパンを設立。当初はアメリカから製品を持ってきていたが、タカナシが日本で製造するために牛乳の仕入れ先を捜していた。成分はもちろんだが、温度管理など厳しい管理の要求もあり、大手メーカーは手を引いた中で、浜中町の牛乳に目をつけた。一度でも品質事故を起こすとブランド力も信用もガタ落ちとなるリスクを感じているタカナシは浜中町の「酪農技術センター」に注目し、採用を決定したそうだ。今でも、浜中町の牛乳を使って、タカナシ高崎工場で、ハーゲンダッツを製造している。タカナシ乳業は当時乳業メーカーでは84番目だったのが、今は№5だと言う。
新規就農者に対して全国初の「就農者研修牧場」を平成3年に作ったが、この時も行政は大反対で、地元の学校で育成すればいいとの大合唱。しかし、20年経った今ではようやく国や農業団体が「浜中のような制度を作ろう」と勉強を始めたそうだ。
石橋氏は、「トップが如何に高い志を持ち、夢を語るか、それが組織の盛衰を決める」と言う。「世界一の牛乳を作ろう」とのビジョンで組合員を巻き込みながら、反対勢力も時間をかけて納得させた行動力が今を作っている。現在は「世界一クリーンな環境で牛乳を搾る」との目標を持って、いまから3年前に全国で初めて1050kwのメガソーラーを作り、約750台のトラクターを牛の糞尿を活かしたバイオマスガスで動かそうとしている。
今朝の新聞でも1面全面にJAがTPPに関する広告を出している。そのような動きの中で、政府は成長戦略の一つに農業改革を打ち出し、JAの改革も視野に入れているが、一律的な改革ではなく、JA浜中町のように頑張っているところをさらに応援するような施策もぜひ検討して欲しいと思う。