丹羽宇一郎氏逝去の報に接して

昨年12月24日に88歳で亡くなられた丹羽宇一郎氏の情報が1月9日の各メディアでとりあげられた。トイレ掃除の鍵山さんも昨年1月に91歳で亡くなられ、稲盛さんも3年前に90歳で亡くなられた。いずれの方も、私が信奉する方々で、当ブログでも何回か紹介させていただいた。

1月9日の朝日新聞朝刊の記事では、「経営に日中(日本と中国)に 直言居士」と題して、伊藤忠を立て直した実績や、退任後企業人として初めて日中大使に任命され日中関係改善に尽くされたことを伝えている。反骨精神が旺盛で理不尽なことを嫌い弱者に寄り添う姿勢を、入社2年目に新人をいじめる先輩に直言した事例を通して説明している。苦境時(副社長時代)にファミリーマートを取り込んだのも丹羽氏だ。社長時代の標語は「クリーン、オネスト、ビューティフル」で、商売は信頼こそが生命線との信念を実践されたと言う。

私のブログ(2016.3)「人類と地球の大問題~真の安全保障を考える(丹羽宇一郎)」では、政治家も経済界の誰もが沈む一方の日本の50年先を見た取り組みをしていない事への警告を発しておられたことの紹介をした。

「食料にしろ、エネルギーにしろ、海外からの輸入なしには生きていけない日本は危機への耐性が最も低い国の一つと言える」と。さらに「近年日本の経済界は目前の事ばかりに目を向けて、50年、100年単位の射程で社会を考えることが失われてきたように感じる。地球温暖化にしても食糧危機にしても、やがては間違いなく自らに降りかかることである。未来を見据えて、社会がどうあるべきかを精査、検討したうえでメッセージを発信するのは、経済人の重要な役割ではないだろうか。経済人ばかりではない。政治家もメディアも有識者も、50年後の日本の姿について、国民にわかるように語ろうとしない。(中略)その結果、日本が将来に向かう姿は海図なき航海を続ける船そのものと言える。」とも。

2019.2には「脱せるか、やる気後進国」のタイトルで丹羽さんの言葉を紹介した。

少子高齢化問題も大きな課題だが、今いる、あるいは生まれてきた人材の質向上のための国挙げての施策も必要ではなかろうか?伊藤忠商事の元社長丹羽宇一郎氏も「仕事と心の流儀」(講談社現代新書、2019,1刊)で、“若いうちに外国に行け”と言っている。サッカーでも海外修行に出るようになってから日本は強くなった。国内でも期限付き移籍と言う制度を利用して成長させている。国内や海外の企業間での人材交流でお互いに刺激を受けながら成長するような「社員の挑戦心」を呼び覚ます風土つくりが求められている。

中国大使時代、石原都知事の尖閣購入計画に対して「日中関係に重大な危機を招く」と発言し、政府との考え方と違うと約2年半で事実上の更迭となったことが「直言居士」の例として挙げられる。

経営の神様と言われる方々の訃報は、日本の将来にとっても、実に悲しいこと。丹羽氏の訃報に心より哀悼の心を捧げたい。謹んでご冥福を祈りたい。

24年前の惨劇で娘を失ったお母さんのすばらしい生き方!

私の愛読書「人間学を学ぶ月刊誌 致知」12月号にこんな人生もあるのだと言う感動的な記事が掲載されている。今から24年前の、いまだ記憶にも残る大阪付属池田小、児童8人殺害事件で当時2年生の愛娘さんを亡くされた本郷由美子さんと、当ブログでも何回か紹介した鈴木秀子さんとの対談記事だ。タイトルは”人生の悲愁を超え、命を見つめて生きる」だ。

お母さんは本郷由美子さん、娘は優希ちゃん。叔母が鈴木秀子さんと親交があり、池田小事件の後、亡くなった8人のために都内で静かにミサを挙げて下さり、さらに事件の2年後に愉美子さんが「私とひまわりの娘」と言う本を出版された際、この本を読んで下記のような手紙を頂いたそうだ。

「愉美子さんは意識していないでしょうが、この本は深く心に傷を負った人がその傷を自ら受け止め。癒し続け、恵みに変えていくすばらしい人間性があふれています。」

自ら、当時はこれ以上辛いことはない、瀕死状態と言われ、目に見るものは灰色、匂いも感じられない、音もぼんやりとしか聞こえない、触るものも堅い冷たいなど分からない、五感が麻痺状態だったと言われる。ある時、事件のあった小学校を訪れていた時、笑顔の優希ちゃんが抱きついてきた不思議な現象を体験したそうだ。実は刺されたとき誰が見ても即死状態と思われる状態で68歩(由美子さんが後で実測)歩いて果てたそうだ。その時「最後の力を振り絞って歩いた68歩。私も同じように頑張って生きていく。神様、優希と一緒に手をつないで優希と68歩目を歩ませてください。」と誓ったそうだ。

そこからがすごい!2000年前後は、阪神・淡路大震災をきっかけに心のケアが浸透しつつあったが、まだ犯罪被害者等基本法も制定されておらず犯罪被害者の人権も守れず、犯罪被害者の置かれている状況は過酷な状態だったそうだ。このような状態の中で、事件や犯人への恨みなどマイナスに向かうエネルギーを、精神的な命を繋ぐ生きるエネルギーに変えたいと思い、早速精神対話士という対話型、寄り添い型の支援を行う資格を取得(2005年)。さらにグリーケアの道が開け2011年から3年間上智大学グリーケア研究所の養成講座で学んだそうだ。心のケアは技術ではない、自分の価値観を一度手放して一人ひとりの人生とどう向き合うか徹底して学びを深められたそうだ。

無残な死を遂げた娘を思い、最初は犯人を憎み、一歩間違ったら、加害者になっていたかもしれなかったと言う由美子さん。いまでは犯人にも思いを寄せ、恨みからは何も生み出せないと気付いたと言う。鈴木さんも、本郷さんの歩みを伺いながら、悲しみや寂しさなどの感情を受け入れることで今度は他人のために尽くすようになるという、人間の成長の縮図のようなものを本郷さんに感じたと言う。本郷さんは現在、グリーフケア、グリーフサポート、又それを広げるための講演、研修活動など多岐にわたる活動を展開されている。2022年には都内にグリーフケアライブラリー「ひこばえ」を開設、絵本や童話、事件事故など遺族が寄贈の本1200冊が展示されている。「ひこばえ」とは切り株から出た新芽のことで、幹を切られ風雪に耐えた木から出た芽に人間の可能性を重ね合わせられたそうだ。このような活動の中で、漫画家松本零士氏の出逢いもあり、漫画に宇宙船に乗った優季ちゃんが乗っていたそうだ。2024年に完成した映画「グリーフケアに時代に」の上映初日に紀子妃殿下がご臨席され、本郷さんなど出演者に声をかけて下さった出逢いもあったそうだ。

「ともかく悲しんで哀しんで哀しみつくし、自分なりに折り合いをつけると悲しみの根源にある愛に気がつき、いつしか悲しみの涙の質が変わってきて、安らぎを得た暖かい涙として流れてくるようになる。悲しみと向き合うことで心が成長できる。私はこれからも悲しみを愛しきものとして抱きしめて歩いていきたいと思う」とのこと。

今でも悲しみは消えないことと思うが、それをエネルギーとして世の中のために頑張る本郷さんに、鈴木さんと共に大拍手を送りたい。

”ガッツポーズ”の語源はガッツ石松!?

ドジャースがMLB制覇!日本の3人トリオの頑張りが目立ち、山本投手がMVPで日本中が歓喜したのではと思います。一方日本では阪神が残念でしたが・・・。

ドジャースも優勝した際、ベンチから全員がガッツポーズしながら飛び出してきましたが、”ガッツポーズ“の語源を最近知り驚きました。ガッツ石松氏が1974年4月11日にWBC世界ライト級タイトルマッチで、戦前の予想を覆し日本人初の世界ライト級チャンピオンの座を掴み取った時のガッツ石松氏の両手を挙げたポーズが語源だそうだ。さらに4月11日が「ガッツポーズの日」と制定されているという。

致知11月号の連載「20代をどう生きるか」の170話に元WBC世界ライト級チャンピオン、ガッツ石松氏が登場されている。その記事で上記件を初めて知った。

栃木県出身で、父親が病弱なこともあり、家計を支えたのが母だったが、石松氏曰く“村一番の貧乏人”で、ともかく人生の辛酸をなめ尽くす日々だったとか。学費にも困り中学卒業即、東京に出向くもうまくいかず、ふるさとに出戻り。母に押され再度東京に出て、米倉ジムに跳びこんだそうだ。が、当時はボクシング全盛期で練習生も多く、何度も挫折を味わい、食っていくために20余りの職を転々としながら稽古を積んだ。指導もあったと思うが、先輩や有名ボクサーの一挙手、一投足を観察しながら自ら頑張ったお陰と言う。粗末な家に住む田舎の両親のことを思ったことも、きつい練習にも耐え抜く力になった。小さい頃、悪ガキ大将で警察にも世話になった自分が、順風満帆でない世界で、負けた時には、なぜ負けたのかwhyを突き詰め、負けた相手との再戦では必ず勝ったという。そして、故郷の両親には新しい家を建て直してあげたそうだ。

一般的には、軽薄と思われている自分が、ボクシング引退後に芸能人として「北の国から」や「おしん」など多くの作品に出演できたのは、スタッフの方々から自分の人格を認めてもらったお陰と言う。母の「偉くならなくていい、立派な人間になれ」との言葉を心に銘記しながらいろんな勉強をしているそうだ。

冲中一郎