”ガッツポーズ”の語源はガッツ石松!?

ドジャースがMLB制覇!日本の3人トリオの頑張りが目立ち、山本投手がMVPで日本中が歓喜したのではと思います。一方日本では阪神が残念でしたが・・・。

ドジャースも優勝した際、ベンチから全員がガッツポーズしながら飛び出してきましたが、”ガッツポーズ“の語源を最近知り驚きました。ガッツ石松氏が1974年4月11日にWBC世界ライト級タイトルマッチで、戦前の予想を覆し日本人初の世界ライト級チャンピオンの座を掴み取った時のガッツ石松氏の両手を挙げたポーズが語源だそうだ。さらに4月11日が「ガッツポーズの日」と制定されているという。

致知11月号の連載「20代をどう生きるか」の170話に元WBC世界ライト級チャンピオン、ガッツ石松氏が登場されている。その記事で上記件を初めて知った。

栃木県出身で、父親が病弱なこともあり、家計を支えたのが母だったが、石松氏曰く“村一番の貧乏人”で、ともかく人生の辛酸をなめ尽くす日々だったとか。学費にも困り中学卒業即、東京に出向くもうまくいかず、ふるさとに出戻り。母に押され再度東京に出て、米倉ジムに跳びこんだそうだ。が、当時はボクシング全盛期で練習生も多く、何度も挫折を味わい、食っていくために20余りの職を転々としながら稽古を積んだ。指導もあったと思うが、先輩や有名ボクサーの一挙手、一投足を観察しながら自ら頑張ったお陰と言う。粗末な家に住む田舎の両親のことを思ったことも、きつい練習にも耐え抜く力になった。小さい頃、悪ガキ大将で警察にも世話になった自分が、順風満帆でない世界で、負けた時には、なぜ負けたのかwhyを突き詰め、負けた相手との再戦では必ず勝ったという。そして、故郷の両親には新しい家を建て直してあげたそうだ。

一般的には、軽薄と思われている自分が、ボクシング引退後に芸能人として「北の国から」や「おしん」など多くの作品に出演できたのは、スタッフの方々から自分の人格を認めてもらったお陰と言う。母の「偉くならなくていい、立派な人間になれ」との言葉を心に銘記しながらいろんな勉強をしているそうだ。

「精神爽奮(せいしんそうふん)」を再び!

現役時代含めて本棚には本が溜まる一方で、時々整理しながら、過去読んだ本を紐解く機会が多くなった。最近、「人生の大則」(致知出版社藤尾社長作)を読み直し、懐かしい言葉に再度出会った。「精神爽奮(せいしんそうふん)」という言葉だ。現役時代後半、社内報や、社員への挨拶などでよく使った言葉だ。当ブログでも2011年4月にUPしている(https://jasipa.jp/okinaka/archives/20)。明末の大儒、呂新吾(りょしんご)の言葉だ。

精神爽奮なれば則ち百廃俱(とも)に興る
肢体怠弛(したいたいし)すれば則ち百興俱に廃る

(精神が爽やかに奮い立てば、もろもろの廃れた事が一斉に興る。 手足身体が怠け弛むと、もろもろの盛んなことも一斉に廃れる)

「人生の大則」第6章を下記紹介する。

以前、ある経営者に、人生で、一番大切なものは何か尋ねたことがある。その人は「それは自分にもわからないが、こういう人は絶対に成功しないという条件はある」と答えられ、次の4項目を挙げられた。一つは言われたことしかしない人。二つは楽をして仕事をしようとするーーそういうことが可能だと思っている人。三つは続かないという性格を直さない人、そして四つはすぐに不貞腐れる人である。省みて、深くうなずけるものがある。多くの人生の達人が教える人間学のエキスは、いついかなる状態においても、常に精神を爽やかに奮い立たせることの大切さである。精神爽奮、いつも颯爽としている。いつも颯爽とし気分でいること。そこに幸運の女神が微笑んで来るということだろう。

名だたる成功者とのお付き合いの中から掴まれた「人生の大則10箇条」の一つだ。

現役時代はもちろんだが、喜寿を過ぎた我が身にとっても、「爽やかに生きる」ことを忘れないでいたい。

”スワーダ・アル・ムダファーラ”さんと”いとうまい子”さんの人生!

今年1月にサハル・ローズさんを紹介した。ひどい環境の中で育ちながら、今でも立派に日本でご活躍されている姿だ。今回紹介するのも、並の精神力では出来そうにないご活躍をされている女性の紹介だ。

まずは、8月21日のテレビ朝日の「徹子の部屋」に登場されたスワーダ・アル・ムダファーラさん。オマーン国籍を取得された日本人女性だ。一夫多妻の国で4度結婚して4度離婚!?年齢は明らかにされていないが、恐らく70歳前後と思われる。今から46年前に文化使節団としてオマーンを訪問。その後オマーンの女性に日本の心を教えるために何度かオマーンを訪問し、オマーンの男性と結婚。その後離婚、結婚を繰り返した。そして25年前に当時の夫に資金支援はしないと言われながらも私立学校を作り、校長になったという。最初は5人の幼稚園児だったのが今では高校までの一貫校となり800人の学生を有するオマーン有数の名門校となっているそうだ。この間、資金繰りに苦労し不渡りを出しながらも軌道に乗るまで困難な日々を振り返っている。現在は校長を退任し、青少年のライフコーチとしてご活躍だそうだ。オマーンでは、日本に対する憧れも強く、スワーダさんは、日本人としての証を残す活動の一環として学校を設立し、さらに継続して活動を続けられているという。

次は、致知9月号に掲載されている「恩返しで開いた人生の扉」とのタイトルで、芸能界で活躍のいとうまい子さんのほんとに驚く人生が語られている。記事のリード文は下記。(https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2025/202509_itou/

18歳から芸能活動を続けてきた“いとうまい子”氏はいま、研究者、経営者、そして大学教授等々、八面六臂の活躍で注目を集めている。華やかなデビューから一転、「地獄の10年間」と振り返る不遇の二十代を乗り越えて、彼女はいかにして運命を切り開いてきたのだろうか。人生のターニングポイント、」そして自身を挑戦へと突き動かす思いに迫った。

18歳で芸能界に入り、役者を目指したが、童顔のせいか思いどおりの役柄に恵まれず、悩んでいたとき、飼っていた犬に教えられ、人生の生き方、考え方を変えたそうだ。頂いた仕事は、どんな仕事でも感謝の気持ちで臨むこと、さらに感謝だけではなく恩返ししたいとも思うようになったそうだ。高校を卒業してすぐ芸能界に入った自分は、無知、無教養で恩返しのすべもわからない状態。ということで45歳で早稲田大学に入学。まずは高齢化が進む現状を考え、予防医学を学び、その後事情があって、ロボット工学に。プログラミング経験もない中で、加齢に伴う筋肉や骨の衰えで思うように歩いたり、体を動かしたり出来なくなって要介護になってしまう問題に取り組み、正しいスクワット検出装置を開発し、国際ロボット展に出展。そのときある企業から声がかかり、開発したのが「ロコピョン」というスクワット運動を促すロボット。高齢者の方に2ヶ月試してもらったら30秒間に椅子から立ち上がれる回数が増えたそうだ。その後も早稲田大学で基礎老化学を勉強し修正課程から博士課程に進むことも出来たそうだ。都合15年間、60歳まで早稲田で勉強し在籍中に共同研究していた東京大学で分子構造の解析の研究中だという。今年には請われて情報経営イノベーション専門職大学教授にも就任とか。

芸能活動をやりながらの研究で、寝る間も惜しんで勉強したそうだが、その原動力は?本人の言では、芸能界で苦しいときも「本屋さんでもやるの?」と言われるくらい哲学の本など片っ端から読んで勉強したとか。本から勇気をもらい、自分がどう考えるかで人生は変わること、壁に直面してももうダメではなく、どう乗り越えるかを考えるように教わったと言う。20代の地獄の10年間、いろんな方のおかげで自分がいるのに、それを当たり前と思って感謝を忘れていたが、今は「嫌なことが起きても感謝」を自分に言い聞かせていると、いいことがどんどん起こるという。

あの童顔のスターが、童顔故に苦労した時代をバネに、全く未知の分野へここまで突き進めることを考えると、人生考え方一つで誰にでも開ける世界はあるのではと思わせてくれる。

冲中一郎