「歩行禅」って???

「歩行禅」という言葉にお目にかかった。茂木健一郎氏の最近の著作「脳と心の整理術―忘れるだけでうまくいく」(PHP研究所、20122)の中にある。

多くの現代人が、「忘れる」ことを不得手とするあまり苦しんでいる気がする。忘れることは大切だ。忘れることができれば、脳の中はスッキリ整理され、心が軽くなって前向きに生きることが出来る。

ネガティブな経験を引きずらないために、如何にネガティブな経験を忘れるかを説いている。その一つに「プロロングド・エクスポージャー」という方法を紹介している。「あえてそのことを振り返ってみる」手法で、2004年のスマトラ島沖地震に遭遇した人々の回復過程を研究した結果出てきた手法だとか。人間関係や、災害に遭遇したとき、冷静にそのつらい経験を振り返り、向き合うことによって、心の整理が出来る可能性が出てくる。ただ漠然と辛い思いを抱き続けていると、相手を恨んだり、自分自身を悲劇の主人公にしたまま、その思いから逃れることは出来ない。

ネガティブな感情を整理するためには、その前に、何も考えずにボーッとする時間も必要と説く。風呂に入った時や、歩くときがいい。茂木氏は、「歩行禅」を定期的に実施しているとか。「歩行禅」とは、読んで字の如く、歩きながら禅を組むこと。ひたすら無の境地で歩くのである。脳の状態が、いわばアイドリング状態になって、デフォルト・ネットワーク(人間が世の中の出来事や何かの目的、文脈などに捉われることなく活動する場合に働く神経回路網)が活動しやすくなる。感情や運動、記憶といった、脳の中の各部位を繋ぐ中心的な役割を果たすのがデフォルト・ネットワーク。何も考えず、脳がアイドリング状態の時に働く。いわば脳のメンテナンスで、だから歩行禅をすると頭がすっきりすると言う。

脳の中の整理には、自分の悩みを人に話すことも意味があると言う。ブログで自分の思ったことを書くのも効果大と言う(茂木氏は毎朝ブログを書いている)。人間の脳は、新しいものを好む「ネオフィリア」という性質を持っている。人間が進化し繁栄したのは、この性質を持っていたからという。すなわち脳にとっては、退屈が一番の敵で、退屈に慣れると成長が止まると言う。そのために茂木氏は読書をしているとか。

「歩行禅」にトライしてみようと思う。6月1日にさくら舎版「運を活きる」(曹洞宗大本山騒總持参禅講師大童法慧氏著)刊行記念で「座禅と法話の会」が八重洲ブックセンターである。NSD在籍中の「冲中サロン」にご出席頂いたさくら舎の古森さんからご紹介いただいた。「無私」の世界を体験する「一息の禅」にまずは参加してみたい。

カルタゴ、ベネチアに学べ!

東大名誉教授で、地球環境問題にも詳しくメディアにもたびたび登場される月尾嘉男氏が、「日本再生の針路―次なる百年への舵を切れ」とのタイトルで致知6月号に登場している。

アメリカへの過度の依存体質、またそれに伴う国防問題に対する弱腰、電機業界に代表される内向き体質(韓国製に完全に押されている、発展途上国では使用人が勝手に中身を盗むから冷蔵庫は鍵付き必須なのに対応が遅れ韓国製に敗退)など、国全体が大きな危機に瀕していると言う。データでみると、主要55か国で、15歳以下の人口比率最下位、65歳以上の人口比率最上位、財政赤字は米国に次いで2位、政府予算の国債比率はトップ、税収比率は32位、貿易収支も24位、国際観光収入の対GDP比は最下位、1990~92まで世界一の国際競争力を誇った日本がいまは25位。

このまま進むと日本はどうなる?恐ろしい話だが、過去に栄えた国家が滅亡した状況と、今の日本が酷似していると警鐘を発する。

まずはカルタゴ。貿易大国として栄えたカルタゴは文化を軽視し、国家観や歴史観を持たず、経済発展のみに熱中した。結果は3次にわたるローマとのポエニ戦争に敗れ、国は殲滅した。もう一つは、イタリアの海上都市として栄えたベネチア。軍艦を大量に保有し、ヨーロッパ最強の国家として地中海を支配していたが17世紀ころから陰りが出始める。顕著な変化は、造船技術革新を怠り、オランダなどに追い抜かれ技術後進国となっていくとともに軍事力も後退していった。最大の問題は社会が成熟し、既得権益が固定し、革新を起こす精神風土が衰微したことにある。その風土により、適齢男子の結婚比率が急速に低下、17世紀には4割となり、子供のいる夫婦も4割となった。そして18世紀末にナポレオンに戦わずして降伏させられた。

工業社会から情報社会への移行にしても、55か国の中で、コンピュータの国民普及率は23位、インターネットの回線速度は34位、携帯電話普及率46位と、情報社会としても二流国に成り下がっている。明治維新を動かしたのは、何よりも劣等国として見下されることに耐えがたいと言う、「武士道」に通ずる名誉を重んじる気風であり、それが最大の動機という。名誉こそ日本民族の精神の根底をなす概念という。政治の世界で、能力のなさを嘲笑されながらも居座る大臣、不祥事に恥じることのない官僚や企業幹部、かってであれば、切腹によって恥をそそいだような事態にも鈍感になった社会の蔓延と月尾氏は嘆く。そしてかってのような「日本人としての精神的バックボーン」を取り戻し、明治維新以降の100数十年と、これから先の100数十年とはまったく別の社会だという位の気構えを持って、政治家や官僚はもちろん、国民一人一人が当たらなければならないと説く。

月尾氏は危機状態をあらわすために、「29日目の恐怖」という例え話を紹介している。

ある時、湖面に蓮の葉が1枚浮かび、翌日には2枚、次の日には4枚、4日目には8枚と倍々で増加し、29日目には湖面の半分を覆った。この湖面が完全に覆われるのはいつか?毎日観察してきた人には明日と分かるが、知らない人は気付かない。すなわち歴史観を持って社会を見ないと現在の日本の状況には気付かない。人口減少など世紀を跨って起こっている大変化は、緩やかだが恐ろしく巨大な異変なのだ。2050年には朝鮮半島も日本もすべて中国領になっているという噂もある。もっと真剣に日本の今を見つめなければと思う。

自然は慈母であると同時に厳父である(寺田虎彦)

東日本大震災後、寺田虎彦(1878-1935)が話題にのぼることが多くなった。虎彦がなくなる前年の昭和9年に、函館の大火(3月・死者2200人)、北陸水害(7月)、室戸台風(9月・死者約2700人)、昭和8年には昭和三陸地震(M8.1・死者約3000人)と立て続けに災害が起こった。このことから科学者(地震学者でもある)寺田虎彦は、災害に対する警告として、いくつかの随筆を発表している。(「天災と日本人」寺田虎彦著、山折哲雄編、角川ソフィア文庫)

日本の気候、自然の多様性は、他国にはないことは知れ渡っている。古来日本では、この自然を、敬い、畏れながら、環境に適応してきた。この日本特有の自然と共生する中で、日本独特の文化・風土を生んできたと言う。随筆「日本人の自然観」より。

地震や風水の災禍の頻繁でしかもまったく予測しがたい国土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑に浸みわたっている。・・・眼下の大地は母なる大地であると同時に、刑罰の無知を揮って吾々の兎角遊惰に流れ易い心を引き緊める厳父としての役割をも勤めるのである。

そして、文明が進めば進むほど天然の脅威による災害がその激烈の度を増すと言う事実を指摘している(「天災と国防」より)。

文明が進むにしたがって人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろな造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の驚異を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然が暴れだして高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を亡ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものは誰有ろう文明人そのものである。

昔の人間は過去の経験を大切に保存してその教えに頼ることにはなはだ忠実であった。過去の地震や風雪に耐えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に耐えたような建築様式のみを墨守してきた。それだからそうした経験に従って造られたようなものは関東大震災でも多くは助かっているのである。

さらには、「やはり文明の力を買いかぶって、自然を侮りすぎた結果からそういうことになったのではないかと想像される。」と。

前稿に記した、釜石の湾口防波堤(1200億円、30年工事)や、宮古市田老地区の巨大防波堤が逆に被害を大きくした(安心して防波堤の近くに居を構えた)事実を見るとき、そして災害が起こる長サイクルを考えるとき、自然の「慈母」の姿に抱かれる日々の中で、「厳父」としての自然の怖さをどうやって次代、次次代に引き継ぐか、教育も含めて考えねばならないと思う。寺田虎彦の随筆を読むと、東日本大震災を受けて最近書かれたものとも思える位現実的に感じられる。90年近く経っても全く進歩していないというか、天災に対する我々の考え方・姿勢が文明の進歩に対応して退化しているように思える。

冲中一郎