「経営改革3」カテゴリーアーカイブ

樋口廣太郎の人材論

先日「耳障りな話しを聞けるか?」(http://jasipa.jp/blog-entry/8453)で樋口廣太郎氏の話を紹介した。この話を契機に、昔読んだ樋口氏の本「人材論」(講談社1999)を本棚から取り出し読んでみた。本田宗一郎氏の有名な言葉に「無駄な奴は一人もいない。」や「一人ひとりが、自分の得手不得手を包み隠さず、ハッキリ表明する。石は石でいいんです。ダイヤはダイヤでいいんです。そして、監督者は部下の得意なものを早くつかんで、伸ばしてやる、適材適所へ配置してやる。そうなりゃ、石もダイヤもみんな本当の宝になるよ。」とあるが、樋口氏も「すべての人々は“人材”としての力を発揮する可能性を秘めている」と言う。

「一人の人物にすべてを委ねるのではなく、その行動をみんなが支え、共に前進しよう。私はそれを“ウィズアップ(With UP)”と呼んでいます。逆境を乗り越えるためには、リーダー自身も周囲の人も、お互いに“ウィズアップ”の気持ちを胸に抱きながら行動しなければなりません。」と。まさに世界レベルで経済環境変化の激しい今、「全員経営(http://jasipa.jp/blog-entry/7685)」のための環境つくりを10数年前に説かれている。

アサヒビールに来られた時、エレベーターの中で会ってもデパートで見知らぬ人と一緒になったような雰囲気でじっと黙っている。そこで「おはよう運動」を始めたり、身なりや姿勢を大事にすることを推し進めた。挨拶などは、社員間、あるいはお客様とのコミュニケーションをスタートさせるためのスィッチのようなものと言う。そして「伸びる企業の管理者のカタチ」として、部下が伸びる環境を如何に造るかを重視する。「自分より優秀な人材を育てるのが上司の喜び」とし、「管理職が自分は’偉い‘と錯覚している限り、フラットな組織は作れない」と言い切る。管理職にとっては、部下の提案を受け入れたり、障害を取り除いて、自ら育つ意欲を助長することが重要。人材の拡大再生産だ。

「人間性を高める人財育成」の必要性についても強調する。叱り方でも「何をやっているんだ。だからおまえはダメなんだ」と言われるのと「何やっているんだ。おまえらしくないじゃないか」と言われるのとでは、部下の受けるダメージは全く違う。「褒めるなら、本気で褒める。叱るなら本気で叱る。感謝するなら本気で感謝する。詫びるなら本気で詫びる。それが人間同士の信頼関係を築く上での基本です。‘心’以外に、人と人を結びつけるのはありません」。

坂本光司氏は「日本でいちばん大切にしたい会社(http://jasipa.jp/blog-entry/8437)」の中で、「社員を大切にする会社こそが、元気を持続できる」と言われる。「人を大切にする」との理念を標榜する会社は多いが、「行動なき理念は無価値」との認識で、行動に移されることを望みたい。

耳触りな話を聞けるか?

日頃余りしない資料の片づけをしていたら、表題の新聞の切り抜きが目に留まった。裏の記事がロンドンオリンピックなので、昨年8月中ごろの日経の記事だと思う。元アサヒビールの社長だった樋口廣太郎氏に関するエピソードだ。「樋口廣太郎の『感謝』の仕事学」の本の中の話で、日経特別編集委員の森一夫氏が書いたコラムだ(樋口氏はその1か月後に86歳で亡くなられた)。

「悪い情報ほど積極的に集める。それに耳をふさぎ、目をそらしていたら、気付いた時には取り返しのつかない事態を招きかねません。」という。だが、誰しも偉い人の機嫌を損ねたくない。そこで耳障りな話を持ってきた部下には「大切なことを教えてくれてありがとう」と感謝しなさいと戒める。

他の経営者も似た話をよくするが、実際には苦言を嫌うお偉いさんが多いようだと森氏は語る。住友銀行の頭取、会長を歴任した磯田一郎氏に森氏が取材に行くと「最近、うちの評判はどうかね」と行内では入らない情報を探っていた。

その磯田会長に副頭取だった樋口氏は、商社のイトマンへの野放図な融資をいさめた。気に障ったのだろう。「邪魔立てするな」と一蹴された(自著「樋口廣太郎 我が経営と人生」より)。ある同行元幹部によると、部屋を出ようとする樋口さんにガラスの灰皿が投げつけられたそうだ。樋口氏がアサヒに転出したのはこれが原因だったらしいと森氏は言う。名経営者とたたえられた磯田氏だったが、絶大な権力に毒されたのだろう。このイトマン事件で失脚し晩節を汚した。

森氏は最後に言う。「一般的に狭量な人物は、耳の痛い話を聞きたがらない。結局は人間としての器の大きさに帰する問題である」と。

稲盛氏が、日々「動機善なりや」と自らに問いかけながら、いろんな施策をうったと聞く。人間とは弱いもので、権力の座に長くいるとついつい傲慢になりやすい。信頼できる「ナンバー2」を必要とする理由とも言える。