「オリンピック・パラリンピック」カテゴリーアーカイブ

障碍者レーナ・マリアさんのゴスペルシンガーへの道のり

生まれつき両腕が無く、左足が右足の半分と言う重度の障碍を持ちながら、18歳の時から出ている障害者の水泳世界選手権などで数々のメダルを獲得し、1988年のソウルパラリンピックにおいても好成績を収め、かつ高校から音楽専攻科に進みストックホルム音楽大学において声楽を学び、卒業後はゴスペルシンガーとして世界的に活躍されているスウェーデン生まれ(1968年)の女性レーナ・マリアさん。日本も含めて各国から講演のオファーが絶えないと言う。「致知2013.12」に「神様は私に手の代わりに心の中の豊かさを与えた」と題したインタビュー記事があった。こんな重度の障碍を持って生まれながら、「物心がついてから少し不便だなと思うことはありますが、悲しんだり落ち込んだりしたことは一度もありません」と言い切る。これが格好をつけて言っている言葉ではないことは、水泳、音楽家としての道を大成された実績を見れば明らかだと言えるのではなかろうか。日本でも全国各地でコンサートを開き日本語の歌も歌われている(カチューシャの唄の例:http://video.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 )。

これだけ重度の障碍ながら、「悲しんだり、落ち込んだりしたことは一度もない」というのに正直驚かされた。小さい頃から障害者としてではなく、一人の娘として育ててくれた両親に感謝していると言う。両親はいつも「神様に愛されていること、そして神様に特別の計画がおありだから、他の人と違う形につくられた」と話してくれた。3,4歳から父の勧めで機能訓練のため水泳を始めた。5歳で潜水、背泳、クロールも上手になったそうだ。水泳のお蔭でスケートや編み物、刺繍なども出来るようになった。スウェーデンと日本では社会保障制度では随分違う(ハンディキャップがある人には必要があれば生後すぐヘルパーが一人つくことなど)とはいえ、レーナさんは日本に来て、日本人はハンディキャップがある人を見れば「かわいそう」と思っていろいろ世話をするが、「かわいそうと思うより自分で何でもできるようにしてあげるのが大切」と言い切る。両親が、レーナは階段も上がれないし、字もかけないから普通の学校に行くのは無理だね、と言われたら今の自分はないと言う。普通学校に通ったが、からかわれてつらい思いをするのは健常児も一緒。同級生に「おい、一本足、元気そうじゃないか」と言われたら「ありがとう、二本足、あなたも元気そうね」と答える。自己憐憫にあったり、人を羨んだり、自分に自信がなかったりすると、誰かの言葉に傷ついて人生は辛くなるのでは、とも言う。

なぜ自分がそんなに強くなれたか?家族や友人、そして神様などから愛されていると感じるから。人間は自分一人で強くなることは出来ない。もしも私が強い人間だと思う人が居るなら、それは私の周囲の人の愛が私を幸せにしてくれているからです。もう一つ、レーナさんは元気の秘訣を指摘する。「人生の中で意味のあることをする」こと。自分の事ばかりにこだわっていたら、多分人生はつまらなくなります。誰かを助けたり、配慮したり、愛や未来への希望を与えたり、役に立つと言うことも生きる上で大切なこと。家族や友達、近所の人に微笑みかけるだけでも、幸せにすることは出来る、と。

レーナさんの歌声を聴くだけでも元気を頂くことが出来るが、レーナさんは来日時福島県の小学校にも足を運んでくれている。レーナさんの足跡を見ると、健常者の自分が恥ずかしくなる。

この記事を書いている時、期せずして五輪招致の顔となった佐藤真海さんの記事があった。「大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではない」との言葉は、レーナさんの考え方に通じる。この件は別途ブログにUPすることにしたい。

ヤッタァー!ゴールボール金メダル!

パラリンピックも残すはあと3日となった。後半になって日本人の活躍が目立っている。昨日も水泳100平で田中が世界新で金メダル獲得。それも自己記録を6秒以上短縮しての結果だ。すごい!もっとも感動したのは9月1日当ブログでも紹介したゴールボールで、パラリンピックでの団体競技では初の金メダル獲得だ(http://jasipa.jp/blog-entry/7942)。おめでとう!

今朝の朝日新聞によれば、主力の小宮、安達、浦田選手は成人になってから視力を失ったとの事。チームの中でも防御面で察知力が抜群と紹介されている浦田さんの事が書かれている。保育士を目指して通っていた福岡市の専門学校を卒業する3か月前に突然目が見えなくなったそうだ。ショックで親にも、友達にも告げられず、一人暮らしの部屋から出ることもできなかったとか。親に告げたのは1年半後。それまでの期間、自殺を何度も思い止まったそうだ。親の「頑張れ!」との言葉に励まされ、福岡に戻って「福岡視力障害センター」でゴールボールに出会った。金メダルを取って「会場に駆けつけてくれた両親に、私、今すごく幸せだよ、って伝えたい」と。

浦田さんはともかく明るい。ホテルニューオータニで話をする浦田さんの顔が目に浮かぶ。チームをその明るさで引っ張っていったのだろう。苦難を超えて栄光に輝いた人からもらう元気は、ほんとに力になる。日本に元気を与えてくれてありがとう!

パラリンピックも応援しよう!

先のオリンピックでは、過去最多のメダル数を獲得した日本人の活躍があり、応援も過熱した。終わったあともメダリストは大忙しだ。続いて行われているパラリンピックは、テレビ放送が少なく、わりと平静であるが、日本人も17競技、134名が参加して8月29日から始まっている。北京では27個のメダルをとり、今回の目標はこれを超えること。頑張ってほしい。

昨日行われた「ゴールボール」を見た。視覚障害選手が行う対戦型スポーツで、1チーム3名の選手が鈴の入ったボールを投球して攻撃したり、鈴の音を頼りに身体全体を使ってセービングをするなどの攻防を行い得点を競い合う競技だ。ほぼバレーボールコートと同じ広さで、縦18メートル、幅9メートルの広さの中で競技する。ゴールは幅9メートル、高さ1.3メートルでサッカーのゴールと同じような形となっている。そのゴールの前で、3人が投げてくるボールの行方を感知し、手足を一杯に広げて防御する。手足を伸ばしても3人で9メートルのゴールを守り抜くのは厳しい。そのためボールの中の鈴の音を聞いて、ボールの来る方向を如何に見定めるかが勝負となる。

練習風景を見て驚いた。敵のゴール前にいる選手が、味方のゴールの所でボールを持ったり、置いたりする時の鈴の音でボールの位置を言い当てるのだ。9メートルを18等分して、その場所を当てる。その的中精度がすごかった!「神経を研ぎ澄ませて鈴の音に集中するその緊張感が楽しい」と選手の浦田理恵さんは楽しそうに話していた。この浦田さんは教員になりたくて教員資格もとったが、20歳の時難病にかかり急に目が見えなくなった方だ。昨年10月にホテルニューオータニで開催された致知出版社主催の全国木鶏会での浦田さんの話には感銘を受けた。「皆さんは私が目が見えないとは分からないと思いますが・・・」と笑顔で話す姿は、全く健常者と変わらない姿に見えた(ブログはhttp://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2011/10/26)。

障害者の方の前向きに明るく努力されている姿に、健常者も多くの刺激を受けると思います。健常者では想像だに出来ないスキルを身に着けている方も多いと聞く。是非ともパラリンピックもみんなで応援して、北京以上の成績を是非とも挙げてほしいと願う。