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金子みすずの世界

昨夜のNHK総合夜10時からの「歴史秘話ヒストリア」を見ました。例の「こだまでしょうか」の詩の作者「金子みすず(1903~1930)」がテーマでした。

小さい頃からの苦労の連続にもかかわらず、ある時は「魚」の気持ちになって、ある時は「雪」の気持ちになって、素直にいろんな視点で詠った言霊に、西条八十(青い山脈など作詞家)も天才と称賛!当時は「童謡詩人会」には与謝野晶子と金子みすずの二人だけしか女性はいなかったそうで、東京に出て行けば、もっと活躍の場があり、もっと有名な詩人になっていたと思われるが、故郷(山口県仙崎)に留まったそうだ。弟の熱意もあって、やっと昭和の最後(1984)になって全集が発行され瞬く間に「金子みすず」の名が広まった。この番組でもいろんな詩が紹介されましたが、「こだまでしょうか」の詩は、仕事を失い、遊郭で遊びまくる夫との確執で、離婚寸前の状態の中で生まれた詩だったとか。夫を変えたい、いつか変ってくれると信じて我慢していた頃、夫の厳しい言葉に、厳しい言葉で返さず、優しい言葉で返せば、いつかは優しい言葉が返ってくると思ったのでしょう。その心情が

「こころ」はだれにも見えないけれど 「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど 「思いやり」はだれにでも見える

と言わせたのでしょう。最後は夫に追い詰められて(離婚後の娘の親権問題)自殺したその人生には、ほんとに涙します。

話は変わりますが、「致知2011.11号」の記事に「朗読を通して伝える金子みすずの言霊」があります。元三菱総研で現在はキャリアコンサルタント、玉川大学特任教授などをやられている永田清さんの投稿記事です。ある時軽い気持ちで参加した金子みすずの詩の朗読会で、詩の深さ、世界の広さに触れた感動を忘れることが出来ず、これまでの経営コーチングの技術を活かし、その詩を企業など組織内の活性化、さらに人々の生きがい作りに活用されています。今ではマスコミにも取り上げられ、自治体の生涯学習や老人ホームでも活動されているそうです。

やり方は、全員で、あるいはグループで何度も繰り返し朗読する(感情こめて、詩に合わせて手を広げたり、体をゆすったり・・・)。最初はぎこちなかった人もいつしか感情豊かに表現できるようになり、みすずさんの心情に同化して行くそうだ。同化した頃を見計らってそれぞれがいま感じることを率直に話し合います。終了後は参加者が「清々しい気分になり、明日への活力とやる気が漲ってくる」と口を揃えて話されるそうです(涙を流される方もいるとか)。みすずさんの豊かな生き方、心温まる人間関係、自然と人間との調和のようなことを感じ取られるから。永田さんはこれからも日本人の素晴らしさを見出していくお手伝いを続けたいとおっしゃっています。

地域再生も市民が主役!

コミュニティデザイン手法を用いた地域再生への模索をテーマにした、NHK総合「クローズアップ現代」を見た(10月18日)。人と人との“つながり”を広げることで活力を生み出すという「コミュニティデザイン」、その第一人者の山崎亮さんは、これまで20の自治体を成功に導き、現在、全国から依頼が殺到している。ポイントは、住民自らに課題や魅力を発見させ、自分たちの手で解決法を考えさせることだという。

延岡市は、他の地方都市と同じく、駅前はシャッター街化、建物の20%が空き家となっている。この年に山崎さんが呼ばれ再生プロジェクトを始めた。市民100名以上が加わり、対策を練ったが、合言葉は「市としての誇り(Civil Pride)を取り戻せ!」。

山崎さんの成功例の紹介もあった。私の地元瀬戸内海の島「家島(姫路市)」の再生への取り組みである。昔は、山から土石を切り出し、関西国際空港などへの提供で活気があり、大金持ちもいたようだが、今は過疎化がどんどん進み、島の行末が懸念される状態にあった。「島としての誇り」を取り戻すために学生を派遣し、魚を食べさせたりしながら、島の誇りを島の住民に気付かせる活動をした。実際、活きのいい鯵など、魚や海苔は家島独特の味があり、学生たちもその味に舌鼓を打った。そして島の人たちは、誇りを取り戻し、NPO法人まで作って、町の活気を取り戻したそうだ。兵庫県三田市も人と人との絆を求めて、いろんな行事に多くの人が集まり活況を呈しているとか。

延岡市も、市民が議論を通して、市の誇りに気付き、空き家での市民のいろんな集まりの提案や、空き地でのコンサートなどなど、市民主体の提案が出て動き始めたそうだ。

今、国や多くの企業も大変な状況下にある。が、危機を脱するためには、国民自身が国の誇りに気付き、自らが強い思いを持って自主的に動くこと、社員が会社の誇りに気付き、自らその気になって会社の活性化に動くことが重要である。主人公は、一国の総理ではない、社長ではない、国民、社員そのものの意識と行動力がなければ変わらない。

延岡市も企業城下町で、市のことは企業と行政に任せきりだったため、不況に巻き込まれてもどうしようもない厭戦気分が漂っていたが、市民活動で蘇りつつある。番組から、大きな教訓を得た。

「我、いまだ木鶏たりえず」

この言葉は、ご存じの方は多いと思います。白鵬の連勝記録(63)がストップした時、この言葉が新聞にも掲載されました。白鵬が信奉してやまない双葉山が連勝記録(69)をストップした際、教えを請うた陽明学者安岡正篤にこの言葉を打電した言葉として有名です。

「木鶏」とは、「荘子」に出てくる話で、ある王が闘鶏づくりの名人に自分の闘鶏を託し、40日かけて「いかなる敵が来ても、木彫りの鶏のように動ぜず、徳力が充実している」姿にしたとの逸話から出てきた言葉です。大鵬も、双葉山から直接「木鶏」の話を聞き。双葉山のあまりの理想の高さ、気高さに身震いがしたそうです。白鳳もこの心境を目指しているのです。平幕力士であろうと、苦手な相手であろうと、平常心で相撲がとれるように。

昨年5月、名古屋で全勝優勝しても天皇賜杯授与出来ず、涙を流した白鵬の姿が思い出されます。「致知2011.11号」に大鵬との対談記事が掲載されていますが、大鵬も「白鵬は、普通の日本人力士よりよっぽど日本の歴史や相撲の歴史を知っており、日本の伝統文化を守ってくれている」と言っています。「相撲や、武道は『心・技・体』が大切と言われますが、やはり心が一番上です。技を磨く、体を鍛える以上に、心を育てるのは難しい。勝つためには心が八割、技が二割、体はゼロじゃないか。」と白鵬は言う。

今年の日本オープンも終わりましたが、石川遼君は残念な結果でした。遼君も、『心・技・体』の心で悩んでいるのではないでしょうか。大関に昇進した琴将菊も、心の問題に悩み、東海大学の教授の教えを受けたり、写経に励んだりしたそうです。

人間学を学ぶ月刊子「致知」の読者が集まる会が全国各地(120地区以上)にあり、読者有志が月1回集まっている。「木鶏会」と称しているが、これを企業内で実施する「社内木鶏会」が広がりを見せている。昨年から「社内木鶏全国大会」が始まり、成功事例発表会&表彰式が行われている。今年の第2回大会は今週21日にホテルニューオータニで、5社の発表がある。第1回は1000名が集まり、会場全体の盛り上がりがすごかったと聞いています。人間力に関心を持ち、行動している方々の集いを私も一度見てみたく、参加することにしています(パーティもあります)。

白鵬は日本人以上に日本人となっていますが、我々日本人ももっと歴史を学び、古典に、先哲に、名経営者の言葉に学び、元気付けられ、自信を取り戻さねばと思います。グローバル化の進展は必然でしょう。日本人としての誇りを取り戻し、自信を持って堂々と世界に進出したいものです。